電話口の向こうで、明石商・狭間善徳監督の声がほんの少し渋くなった。

「一番ですか……1人に絞ったほうが良いですか?」

 コロナ禍に呑み込まれ、中止となってしまった第92回のセンバツ甲子園。その出場予定校を対象とした取材に、昨年春夏4強の名将は気さくに応じてくれた。饒舌だった話に重さが漂ったのは、「これまでの教え子で一番印象に残っているピッチャーは誰ですか?」という質問を投げかけたときだ。

 答えが絞れないのも当然だろう。世間にとっての甲子園は毎年訪れるイベントかもしれないが、選手や監督にとってその年、そのチームは一度きり。そんなかけがえのない1年1年を見つめてきた監督には、どの選手に対しても深い思い入れがある。

 結局、狭間監督は松本航(西武)らに触れた上で、吉高壮(日体大)の名前を挙げてくれた。初出場だった2016年のセンバツで、全29.2回を1人で投げぬき4失点。ベスト8へと導いた右腕は170cmと小柄ではあったが、「ピュっと生きた球を投げていた。負けん気もあって、とにかく勝ちやすい」投手だったと言う。

「一番印象に残る投手の教え子は?」

 発売中のNumber1002号の野球特集「今だからできること」では、センバツに出場予定だった高校に「投手」に関するアンケート取材をお願いした。

「今回のセンバツでは、初めて『500球/週』の投球制限が適用されるはずだったが、どう対応しようと考えていたか?」

「高校生投手の育成方針は?」

 こういった質問をぶつけ、紙面で紹介をしている。そんなななかで、未だ開催の見えない夏に向けて準備を続ける名将たちに「一番印象に残っている投手の教え子は誰か?」も問うた。その回答の中から、ここでいくつか紹介したい。

やはり“勝てる投手”の印象が強い。

 一番多く聞かれたのは、狭間監督と同じく“勝てる”投手の名前だ。

 2009年のセンバツで優勝した山梨学院・吉田洸二監督は、「彼がいなければ、優勝はまず無理だった」とNPBでも活躍する選手の名前を挙げた。

「清峰高校時代になりますが、今村猛(広島)です。正直、彼は『怪物』でした。日本代表のコーチとして、大谷翔平選手や藤浪晋太郎選手を見させていただきましたが、高校時代の完成度で言えば今村のほうが上。そう言えるくらいのピッチャーでした」

 日本航空石川・中村隆監督の脳裏には、2017年夏の県大会で佐渡裕次郎が見せた姿が焼き付いているという。

「準決勝の星稜戦で、10回にピッチャーライナーが左足首に直撃したのですが一切弱気な発言をせずに11回を完投。翌日の決勝戦も足を腫らしながら投げきり、甲子園を決めました。スピードや体格が飛びぬけているわけはありませんでしたが、気持ちの強さは群を抜いていました」

甲子園初出場をもたらしたエースも。

 甲子園初出場時のエースを挙げる監督も多かった。計26年に渡って国士舘を率い、浜名千広(元ダイエー等)や岩崎優(阪神)ら数多くの教え子を持つ永田昌弘監督もその1人。1991年にチームを初のセンバツ、そしてベスト4へと導いたのは、エース・菊池裕介だった。

「身長は173cmと小柄で、球速も130km台後半でしたが、打者のインコースをビシビシ攻められる投手でした。左打者へはクロスファイヤー、右打者へは外角のカーブとスライダーで勝負するし、時折投げ込むフォークボールも効果的でした」

 一方、星稜・林和成監督は、昨夏準優勝に導いた奥川恭伸(ヤクルト)の名前を挙げつつも、その理由を「3年間でもっとも成長してくれた」と回答した。

 同じように二人三脚で花開いたエースという回答をしてくれたのは花咲徳栄・岩井隆監督だ。

「高橋昂也(広島)は、中学時代には制球力があまりなく、インステップの修正に入学から1カ月を費やしました。フィールディングも上手ではなかったので、基礎的なところから指導しましたね。練習試合も1年生から上級生のチームに帯同させて経験を積ませ、2年生の夏には主に抑え投手を任せました。1点が命取りとなる試合終盤で求められるのは三振。ストレートはいいものをもっていましたから、あとはスライダーとフォークの変化球でも三振を取るようにと、実戦を通じて教えてきました。その結果、新チームの秋から3年の夏にかけて、予選ではほぼ全試合でイニング数を上回る三振を奪えるまでの投手に成長してくれました」

県岐阜商で“化けた”投手。

 潮崎哲也(元西武)や小園海斗(広島)らの指導でも知られる県岐阜商・鍛治舎巧監督も、3季連続ベスト4の左腕が“化けた”過程を振り返る。

「秀岳館時代だと、川端健斗(立教大)ですね。練習試合で出逢った中学2年生のときは最速110kmの弱小チーム4番手投手でした。私が就任した最初の年に選手として入学し、1年秋には130km超をマーク。2年次センバツからは4季連続甲子園出場に導く中心投手に。MAXは148kmとなり、U18世界大会にも選出。きゃしゃで弱々しい投手が、地道に努力を重ね完投能力を備えた一流投手になってくれました」

 明豊・川崎絢平監督が挙げたのは、夏8強へと進んだ2017年に抑えを務めた溝上勇(太成学院大)。

「ずっとメンバー外でしたが、自ら『スコアラーをするので遠征に連れていってください』と申し出てきました。それで、練習試合の終盤に1イニングだけ投げさせてみると、どんどん抑えるように。

 県大会では背番号20、本大会では18とぎりぎりでのベンチ入りでしたが、そこでも結果を出し続け、ついには甲子園でも大活躍。チャンスをもらえる可能性を自分で考えて行動に移した彼の姿に、生徒の可能性を信じることの大切さと、視野を広げることの重要性を再認識させられました」

 中学時代から将来を嘱望された選手が多い強豪校だからこそ、期待を越える変貌ぶりを見せた選手は印象に残りやすいのかもしれない。

派手に目立つ選手ばかりというわけではない。

 そんな中、「目立つ方ではなかった」という選手も。伊藤一輝(三菱重工広島)をメンタル面や姿勢で評価したのは、中京大中京・高橋源一郎監督。

「足腰を鍛えるため、学校までの片道15kmを自転車で通学させていました。普通の選手は引退すると電車通学を選ぶようになるんですが、彼は自主的に卒業までずっと続けた。センスとかコントロールとかが特別光るというわけではなかったですが、大学、社会人までやれているのはそういった姿勢が大きいと思います」

 選手も指導者も学び、成長を続ける高校野球。「高校での指導歴は3年目のため、これから印象に残る投手を多く育成したい」という鹿児島城西・佐々木誠監督を含め、今後も全国の指導者がまだ見ぬ大器を育ててくれるはずだ。彼らが沸かせてくれる未来の聖地にも期待したい。

文=矢崎香耶子(Number編集部)

photograph by Hideki Sugiyama