「今日は5時間です。新宿、半蔵門、赤坂、田町に配達して、バイト代は4688円でしたよ」

 ロンドン五輪フェンシング銀メダリストの三宅諒は、このゴールデンウィーク中、新宿区、港区エリアを中心に午前、午後と自転車を走らせ、「Uber Eats」の配達員として汗を流していた。

「朝、9時〜10時の1時間を午前の配達に充てて、日中は自宅内でトレーニングします。体幹トレーニングなどが中心ですね。身体の免疫力のことも考えて、午後は昼下がりの15時くらいから、また配達を始めます」

 2012年、三宅は太田雄貴らとともにロンドン五輪に出場し、男子フルーレ団体で銀メダルを獲得。現在では日本フェンシング界において、五輪でのメダル獲得を経験した唯一の現役選手である。

「東京五輪前の最後の国際大会が新型コロナウイルスによって中止になり、アメリカから急遽帰国することになりました。それが3月のことなので、もう2カ月くらいは対人での練習ができておらず、自宅にいる状況が続きます」

五輪中止、スポンサー支援を断った。

 三宅には東京五輪出場を目指し、サポートしてくれる企業があった。ガス会社、不動産会社、保険会社の3社がスポンサーとして、競技活動の金銭的な部分を支えてくれていた。

 しかし、三宅は今年1月の入金を最後に、スポンサーからの支援を断った。

「2月あたりから新型コロナウィルスの影響で、世界情勢に暗雲が垂れ込めました。もしかしたら東京五輪が開催できないかもしれない。あるかどうかわからない目標に対して、スポンサーさんにお金を出してください、とは僕は言えませんでした。だから一旦、契約を止めてもらうことにしました」

 東京五輪という目標があるからこそ、アスリートと企業の間にはシナジーが生まれる。アスリートが競技で結果を残すことで、企業のイメージやブランド力を上げてくれる対価が支払われる。しかし、中止、または延期になる可能性がある目標に対して、スポンサーとの契約を続けることは三宅にとっては大きなプレッシャーでもあった。

限られた時間で、どう収入源を作るか。

「競技費用の管理をしてくれている母から春先に連絡が来て、『銀行の預金額を見たら、到底、競技を続けられる金額ではないよ。どうするの?』と言われました。幼い頃から僕のフェンシング人生を支えてくれた母にそんなことを言わせてしまったこと自体が、ショックでした」

 日本国内だけではなく、国際大会が多く続くフェンシングの五輪代表をかけたレース。三宅らのトップ選手になると年間の競技費用は300万円、生活費を入れると500万円は必要になってくる。

 現状、スポンサーからの収入は無くなった。「Unlim」という寄付を募るギフティングシステムにも加入した。あとはどこで収入源を作るか、時間は限られている中でいったん競技生活を止めて働けるのか……悩んだ。

 ただ、フェンシングを続けたい、試合に出たい。

 苦しい状況下でも、この想いが常に三宅の頭の中を巡っていた。

「楽しいですよ、フェンシングのためですから」

「新型コロナウイルスの感染拡大という今の状況で、条件で何ができるか。フェンシング人生を続けるためにできることを考えたら、配達員のアルバイトでした。時間の融通も利く、自転車に乗ることで足腰を鍛えるトレーニングにもなる、人との接触や身体の免疫力のことなども考えたら、今すぐにできるのは『Uber Eats』の配達バイトでした」

 五輪でメダルを手にすることは国民的に注目を集め、喝さいを浴びる。ましてやフェンシング界初の男子団体メダルの獲得。その後の生活も保障されるのではないかと想像する方も少なくないかと思う。

「僕らはメダルを獲ったから特別になったという感覚はありませんでした。普段は学校の事務員をされている先輩もいました。僕のようにアルバイトすることも当たり前なんです。もともと部活動の延長線上に五輪がある感覚でしたから、今の状況も全く悲観的には捉えていません。楽しいですよ、フェンシングのためですから」

信じるのではなく、疑わない。

 今年30歳になる三宅。ロンドンでメダルを手にした時は21歳だった。トップ選手として、五輪を目指すのは次の東京が最後になるのかもしれない。ベテランの域に入る彼は東京五輪について、こう語る。

「先日、太田先輩に言われた言葉が印象的だったんですよね。『信じるのではなく、疑わないことが大事』と。東京五輪はあるんだ、と自分を信じようとさせると精神的に負荷がかかる。だから疑わずにピュアでいられるかどうかが大切。東京五輪は開催される、そこに疑わずに向かっていく。気持ちの部分で純粋でいられた選手が、代表権を獲得して東京五輪で結果を残すんだと思っています」

 フェンシングを続ける、試合に出る。その先に東京五輪はある、開催される。

 三宅諒の疑わない心は、明日へ向かう推進力となっている。29歳のベテランフェンサーは今日もペダルを漕ぎ、東京の街を駆け抜け、出来立ての食事を家庭に届けている。

文=田中大貴

photograph by Ryo Miyake