レスリング男子フリースタイル86kg級で東京オリンピックを目指す高谷惣亮(ALSOK)は筋金入りの異端児だ。中学生の頃から大きな大会に出場するたびに「お前、髪の毛が長すぎだ! 切れ!!」と雷を落とされた。

 いまでこそ髪の毛の長い男子レスラーは珍しくないが、時代は16〜17年ほど前。レスラーの髪の毛といえば、短髪が当たり前だった。口うるさい指導者から見れば、京都の片田舎からやってきたロン毛の少年レスラーは格好の標的となったのだ。

 そのたびに高谷は「ハイ、ハイ」と相槌を打ちながら聞き流し、自分に言い聞かせた。

「髪の毛を切って世界チャンピオンになれるなら切る。でも、切ったからといってなれるわけではない」

「大事な試合の前には何かしらの試練が」

 実力は十代の頃から折り紙付き。高校時代には早くもシニアの全日本選手権のファイナリストに。その頃、スピーディーなタックルと類まれなイケメンぶりから“タックル王子”と名付けられた。

 オリンピックには拓殖大学卒業後のロンドン・オリンピックから出場している。

「23歳の時だったので、(オリンピックに対して)そんなに難しい感情はなかった。世界選手権に一度も出ることなく、初めての世界大会がオリンピックでした。初戦敗退という結果は自分なりにダメージがありましたね」

 高谷は全ての挫折を糧にする。2014年の世界選手権では銀メダルを獲得。そして2016年のリオデジャネイロ・オリンピックにも出場を果たし、7位入賞を果たす。

 とはいえ、リオの時には試合の1週間前に内側じん帯を痛めるという試練を味わった。

「やっぱり大事な試合の前には何かしらの試練があると思っている。それが今回コロナという形で現れたんだと思います」

年初は、まだ新型コロナ禍に楽観論が出ていたが……。

 ロンドンやリオの時にはいずれも前年度の世界選手権で出場枠を勝ち取ったわけではない。いずれも、同年開催のアジア予選で得たものだ。今回も3月27〜29日まで中国・西安で開催予定だったアジア予選で出場枠を勝ち取ろうと計画していた。

 しかし、中国・武漢で新型コロナウイルスの感染が拡大したことに伴い、西安での開催は不可能に。新型コロナが中国で感染拡大した時点で高谷は「中国でのアジア予選は難しい」と予想した。

「2〜3月の時点では『4月には収束して、オリンピックも予定通りに開催できる』という楽観論が出ていた。ところがどっこいこんなに広まるとは……」

 結局、アジア予選はキルギスに変更されて行われると一度は発表になったが、新型コロナの拡大に伴い、中央アジアに位置するこの国も開催を返上してしまう。

 高谷は「実際キルギスに到着したら(国によっては)2週間ほど隔離されるという話を聞きました」と打ち明ける。

「そうなると、選手によって結構不公平なコンディションを強いられるので、キルギスでの開催も絶対無理だと思っていました。一応調整は続けていましたけどね」

「だからそんなに難しい話ではなかった」

 予選開催には疑心暗鬼になる一方で、調整は続けなければならない。そういう時のモチベーション維持は難しいのではないか。そう水を向けると、高谷は「もう僕も31歳になるので」と一笑に付した。

「アジア予選がないならないで、もう一度自分のモチベーションを落して、もう一回上げていく作業をしていけばいい。ずっとベストをキープするというのは絶対無理ですからね。だからそんなに難しい話ではなかった」

 アジア予選には高谷も含め10名の日本人レスラーが出場する予定だった。まだ出場内定という通知を受けていない立場は精神的に結構きついのでは? と思ったが、高谷は東京オリンピックまでにアジア予選というワンクッションがあることの重要性を説く。

「すでに代表に内定している人はオリンピックは一発勝負みたいな感じ。一方、これからアジア予選に挑む僕らは代表内定者より大会数がひとつ多いというアドバンテージはある。試合勘が養えることはいいことだと思う」

トレーニング動画のライブ配信にも挑戦。

 とはいえ、調整はままならない。

 練習の拠点とする拓殖大学は緊急事態宣言が解除されるまでキャンパス内への入構を原則として禁止しているので、高谷は自主トレを余儀なくされている。

「自宅でできる限りのトレーニングをしています。正直、僕はそんなに外に出るタイプではないので、練習ができないということ以外はそんなに問題ではない」

 今回の緊急事態宣言をきっかけに、「今までできないことに挑戦しよう」とSNSによるトレーニング動画のライブ配信を試みる。

「レスリングはマイナー競技。少しでも知ってもらうために、自分からどんどん発信したいと思いました」

ロンドンでは最年少。東京では最年長に!?

 もともと高谷はネガティブな感情は表に出さない性格として知られている。今回自分が置かれた立場と重ね合わせるかのように、拓殖大の恩師である西口茂樹氏(現・日本レスリング協会強化本部長)から聞いた話を引き合いに出した。

「あるハードル走の大会で、開催中に強い逆風が吹いてきた。出場している選手たちは『今日は絶対いい記録が出ない』と口を揃えたけど、その中にひとりだけ『ああ、風が気持ちいい』と呟いている奴がいたそうです。西口先生は『みんながネガティブな感情になっている中で唯一ポジティブなことを発信しているその子はすごい』と。悪い要因もどう捉えるかによってプラスに持っていける。これは大事なことだと思いますね」

 東京オリンピック出場を決めれば、3大会連続出場となる。男子のレスリング選手ではグレコローマンスタイルでシドニー、アテネ、北京に出場した笹本睦以来の快挙だ。

「ロンドンに出た時には(男子レスリングの日本代表の中では)最年少だったけど、今回最年長だったら、それはそれで誇らしいこと」

 年齢を重ねることはネガティブなことではない。高谷は逆に強くなっていることを実感している。さらにレスリングという競技に対する思いにも変化が現れた。

「20代の頃はやりながら、きついという感情が先行することが多かった。でも、30歳を越えてから楽しめるようになってきたんですよ。驚きです。息も上がるけど(気持ちも)楽に上がる」

レスリング界の常識を見事覆せるか?

 ロンドンとリオは74kg級に出場した。

 その後非五輪階級の79kg級を経て、一昨年12月の全日本選手権から86kg級に転向した。

 リオの時と比べると12kgという体重増も、高谷にとってはそれほど大きな不安要素ではない。

「79kg級は86kg級で闘うためのクッションでした。いきなり86kg級で力と力の勝負になっても勝てませんからね。でも、フィジカルトレーナーの松栄勲先生が体の使い方や闘い方をレクチャーしてくれるので、この階級の闘いもだいぶ馴染んできた。東京で金を獲ることも夢ではないと思っています」

 30歳を過ぎても強くなれる。

 筋金入りの異端児は「男子レスリングで日本が活躍できるのは軽量級だけ」という常識を覆すか。

文=布施鋼治

photograph by Sashiko Hotaka