「東海学園大学のMF児玉駿斗、2021年新加入内定のお知らせ」

 この発表が名古屋グランパスの公式ホームページに上がったのは、今から2年前の2018年3月29日のこと。当時、大学2年生になろうとしていた児玉の“早すぎる”プロ内定には驚きの声が上がった。

「オファーをもらった時は自分でも『え、早くないか?』とは思ったのですが、決断することには悩みませんでした。もちろんこの決断によって、賛否両論が出て、騒がれるだろうなとは思ったのですが、純粋にもっと上手くなれるんだったら、そっちを選んだほうがいいと思えたんです。僕にとってこれはそれほど重い決断ではありませんでした」

 児玉の予想通り、周囲からは「Jリーグはまだ早い」、「もっと選択肢を広げた方がいいんじゃないか」、「(クラブ)に入るまでに監督やフロントが変わったらどうするの?」などネガティブな意見が多く耳に入った。

「正直、『そりゃそう言いたくなるよね』と思ったのですが、純粋に自分にベクトルを向けた時に、僕がずっとサッカーを続けている理由は『90分間をより楽しむために自分がどこまで上手くなれるか』だと改めて思ったので、そういう声は気にしていませんでした」

名古屋入りのタイミングは後悔していない。

 大学2年の2018年4月7日のJ1第6節の北海道コンサドーレ札幌戦で特別指定選手として、名古屋でプロデビューを飾ると、この年はリーグ8試合に出場し、うちスタメンは4試合と躍動。

 しかし、大学3年となった昨季は怪我の影響で思うようにプレーできず、プロの舞台では5月のルヴァンカップに1試合出場したのみに留まった。その間、風間八宏監督が解任され、マッシモ・フィッカデンティ監督に代わるなど、置かれる環境にも変化があった。

 大学4年生となった今季は、新型コロナウイルスの影響で東海学園大サッカー部も活動休止に追い込まれており、現在は大阪の実家で過ごしているという。

「あのタイミングで名古屋入りを決めたことに後悔はしていませんし、決断してよかったと思っています。もちろん風間さんのサッカーは魅力的で、僕自身学ぶことがたくさんありましたが、結果が出なければプロの世界で代えられるのは当たり前と思っていたので、そこまでの驚きはありませんでした。マッシモのサッカーには守備面や縦へのスピードなど自分に必要なものがたくさんあるので、そこでいろいろ感じて幅を広げたいし、自分がサッカーをする上で一番好きな『相手の逆をとる』プレーの引き出しをもっと増やしたいと思っています」

どんな相手だろうが「楽しむ」

 彼には揺るぎない信念がある。それはどんな時もサッカーを楽しむことだ。

「一瞬でも楽しいと思えれば、そこからの時間は楽しめるので、その瞬間がいつ来るのかを窺いならプレーするのも実は楽しいというか、ワクワクするというか。だからこそ、僕は毎試合楽しみで仕方がないんです。それを味わえるのは本当に試合があってこそなんで。だからどんなサッカーでも苦ではないと思います」

 90分間において、どう自分が楽しむ時間を作るか。

 レベルが上がれば上がるほど、楽しむことは難しくなり、試合によっては数分程度しか「楽しい」を感じる局面がないかもしれない。だが、その局面が来ることを信じて走ったり、その局面を作るための工夫をし続け、日々のトレーニングを積み重ねる。それこそが彼のサッカー選手としてのモチベーションであった。

サインをもらうのはいつもヤットさん。

「昔からですね、僕はずっとガンバ大阪の遠藤保仁選手が大好きで、今も憧れの選手。試合中にどんな相手でも、どんな舞台でも変わらず落ち着いて、相手の意表をつくパスを出したり、教科書のような正確なプレーをするなどミスが少なくてめちゃくちゃ上手い。それに脱力系というか、試合をリラックスして楽しんでいるように見えるんです。だから観ているこっちもワクワクする。僕はヤットさんのような選手になりたいんです」

 大阪府吹田市で生まれ育った児玉は、小さい頃からG大阪ファンの両親に連れられて自転車で行ける距離にある万博記念競技場や練習場に通っていた。「練習見学中もヤットさんばかり観ていて、ファンサービスを受ける際も母はいろんな選手にサインをもらうのですが、僕はもうヤットさんオンリー。他の選手に抱っこされる時も『ヤットさんがいい』と思っていたくらいでした」と、その魅力にハマっていった。

 小学校の途中で摂津市に引っ越してからも、本田圭佑の出身チームである摂津FCでプレーし、中学時代はLEO FCでプレー。プレースタイルはドリブルよりも多彩なパスを駆使して周りを動かしていく司令塔タイプで、遠藤のように相手の逆を巧みについていく技術はピカイチだった。

ドリブラーが揃う中で磨いたパス。

 児玉はその後、千葉の中央学院高に進学する。選択肢にあった京都橘高と迷うも、「LEO FCで千葉遠征の際に中央学院の試合を観たのですが、みんなドリブルがうまくて、中でも武田拓真(現・ファジアーノ岡山)くんと榎本大輝(現・徳島ヴォルティス)くんの2人がずば抜けていて、『ここでプレーしたい』と思った」と、全国大会出場経験こそないが、ドリブルとテクニックに特化された中央学院に魅せられた。

「(中央学院の)浜田(寛之)監督から『うちはドリブルだけじゃないよ』と言われて、強みであるパスを生かしながらドリブルを磨くことができました。みんなドリブルが上手いので、いかに周りのいい状態の選手にパスを出せるか、周りに合わせることをメインにしていました」

 技術を磨き上げながらも、児玉の代も全国大会とは無縁だった。3年間県リーグでプレーし、高2のインターハイ予選は1次トーナメント初戦で千葉日大一に2−2のPK負け。その年の選手権予選は準決勝に進むも市立船橋高に1−2で敗れ、高3のインターハイ予選では決勝トーナメント初戦で流通経済大柏高に残り1分で決められて0−1の敗戦。選手権予選では決勝トーナメント2回戦で八千代高を相手に1−1からPK負けを喫した。

「勝敗は当時からあまり気にしていませんでした。インターハイ予選や選手権予選で早い段階で負けても、全国に行けない悔しさはありませんでした。最後の大会で八千代に負けた時も『あ、高校サッカー終わったな?』という感覚でした」

 そうあっけらかんと話す彼だが、決して「勝たなくてもいい」というわけではない。

「楽しむ」ために必要な準備。

「周りからすると『やる気がない』とか、『勝つ気がない』とか思われてしまうと思うのですが、僕はただただ今よりももっと上手くなりたいんです。もちろん負けていいとは思っていませんが、逆に勝ったから全て良しとは一切思いません。自分たちがやりたいプレーができずに勝って、ヘラヘラしている人を見ると腹が立ちます。『なんでそうなれるの? あれで納得してるの?』と思うんです。

 僕はサッカーに関しては常に矢印を自分に向けている。その目は厳しいと思っています。決して全国に行かなくていいとか、勝てなくていい、楽しければなんでもいいのではなくて、『楽しい=自分の技術がきちんと発揮できている』ということなので、その時間を90分間の中で作り出すために万全の準備をするんです。

 この準備を怠ると試合で楽しめることは絶対にないと思っているので、試合までは毎日の練習はもちろん、食事や生活面も配慮しながら準備をして、いざ試合となったら『さあ、今日もとことん楽しむぞ』と思うんです。それは相手がどこであろうが、どういう試合なのかは一切関係ないんです。どの試合に対しても変わらぬモチベーションで臨んでいます。楽しむことに関して、甘えがあるのが嫌なんです。それはずっと変わらないです」

 彼にもプロサッカー選手になりたいという目標はあった。だが、全国の檜舞台で自分を表現してプロになりたいと思うより、コツコツと自分のために自分を磨くという単純作業をブレずにやり続けた。

「舞台はどこであれ、自分のプレーをしっかりと出し続けていればどこかで必ず見てくれる。それに『高卒で何が何でもプロ』という考えはなくて、自分が楽しみながら、常にベストなプレーを出せるように心がけ続けた先にプロがあると思っていました」

風間監督の目に留まった技術。

 刺激を受けた武田、榎本の両先輩を追うように愛知県の東海学園大に進んだ彼がプロの目にとまるのには時間はかからなかった。かつて名古屋でプレーし、「天才」と言われた安原成泰監督の下、無名の存在からメキメキと頭角を現した。

「安原監督は止める・蹴る、ボールの置く位置まで細かく指導してくれて、決して抽象的ではなく、試合で使える技術を徹底して磨こうと話しています。そうするとミスがめちゃくちゃ減るんです」(児玉)

 相手を見て考えるサッカーに自らの技術をリンクさせた彼は大学選抜に選ばれると、その存在は風間監督の目に留まり、当時3年生だった渡邉柊斗、榎本とともに名古屋の練習に参加。3人まとめて内定となったのだった。

「止める・蹴る」の言語化。

「風間さんの下で価値観が大きく変わりました。安原さん、風間さんの2人に『止める・蹴る』を初めて言語化されて徹底して教えてもらえたし、今まで自分が感覚でやってきたことの裏付けが明確にできましたね。例えばパスを出した後にもう1回動いてもらい直すプレーがもっと明確になりました。

 風間さんからよく『ラストパスになるな』と言われていて、『自分がいいパスだと思っても、もう1回動いてもらい直すことができれば、よりゴールに近い位置で決定的な仕事ができるチャンスが生まれる』と指摘されました。メッシがよくスルーパスを出した後にアタッキングエリアに顔を出してペナルティーエリア角からシュートを打つイメージですよね。僕はそれまでパスを出した後に止まってしまったり、ジョグで後方からサポートすることが多かったことに気づきました。パスを出した相手を眺めることが普通だったのを、安原さんと風間さんに出会ったことで、大きく意識が変わりました。

 運動量は当然増えるし、普段よりもう1個先を見ないといけない。これまで『ここに通す』と思ってパスを出していたものが、『ここに通ったらここが空く』と考えられるようになったことで、ボールを受ける前の洞察力、察知力が必要になったし、それに基づいた場所にボールを正確に止めて、自分の間合いを作って正確に蹴らないといけないんです」

この自粛期間を治療と勉強。

 2人の指導者からの骨太な指導でさらに成長した児玉だったが、冒頭で触れた通り昨季は苦悩の時間を過ごしてきた。

「(2019年)3月のデンソーチャレンジで左足の中足骨にヒビが入って、保存治療をしているのですが、ずっと痛みが引かなかった。こんな状態でグランパスの練習に参加しても足を引っ張るだけだし、悪化してしまうと思っていたので、練習打診に応えることができませんでした。大学の練習もほとんど出ずに、重要な試合の時だけ前日などにちょっと練習をして出場をしていたのですが、やっぱり痛くて。夏には内転筋も痛めてしまい、監督がマッシモに代わってからも練習参加の打診を受けていたのですが、やっぱり参加できませんでした。総理大臣杯もインカレも2回戦で負けたし、ボールにすらさわれない時期もあって、正直かなりストレスを抱えた2年間でした」

 今も股関節の痛みはある。その影響で今季の名古屋のキャンプにも参加できなかった。

「今年に入ってからも『俺、治るんかな』と不安はありましたが、活動休止になってからは、逆に身体をしっかりと休めて怪我の治療に専念しながら、自分の見識を広げようと思うようになりました。食事や栄養、睡眠、そしてお金のことも勉強しています。来年からはプロとしてサッカーでお金を稼ぐことになる。なので、経済観念だけはしっかりと養っておきたいと思ったので」

ワクワクさせるプレーを見せたい。

 2年前のプロ内定、華々しいデビュー、そして怪我での苦しみ。プロ入り前から酸いも甘いも経験した。ただそんな中でも「90分間で楽しむ時間を作ること」という考え方はブレていない。

「やっぱりどんなときも、『試合中に楽しむこと=しっかり自分と向き合って綿密に準備すること』なんです。だからこそ、時間を無駄にしたくない。ヤットさんのように見ている人がワクワクするように楽しそうなプレーを見せたいんです」

 最後に2020年、そしてプロへの本格的な道がスタートする2021年に向けてこう口にした。

「まずはちゃんと怪我を治す。そしてコンディションを高める。僕のサッカー人生を振り返ると、僕のスタイルに合っていて、意思を尊重してくれる指導者の下でプレーしてきました。マッシモは初めて自分のスタイルとはちょっと違う監督かもしれませんが、そういう指導者に教えてもらえること自体がまた新たな自分を発見できるんじゃないかと非常に楽しみです」

 新たな1歩に向けて。児玉駿斗は自らの原点である場所で静かにリスタートを切った。

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando