18歳だった大坂なおみがグランドスラム・デビューを果たした全豪オープンで、当時マネージメントを行なっていたオクタゴンの担当者はこう言っていた。

「ナオミの市場価値はグローバル規模で必ず高まる。生い立ちも含めて、ミステリアスな魅力があるから。人はそういうものに惹き付けられる」

 当時、大坂の世界ランキングはまだ120位台にすぎなかったからなおさら印象的で、よく覚えている。あれから4年、大坂の“市場価値”は女子スポーツ界の頂点に達した。

 アメリカの経済誌『フォーブス』が毎年調査する、世界のいわば長者番付の中の女性アスリート部門で、これまで4年間トップを守っていたセリーナ・ウィリアムズを抜いたのだ。

 そればかりか、その推定年収3740万ドル(約40億円)は史上最高額でもある。ちなみに過去最高額は、2015年にマリア・シャラポワが叩き出した2970万ドルだった。

思い出した全豪での大坂のジョーク。

 もう1つ、このニュースを聞いて思い出したのは、今年の全豪オープンで、森林火災の被害に多くの選手たちがそれぞれの方法で寄付を申し出ている中、記者会見で大坂が言ったことだ。

「私も自分が何をすべきか考えたわ。最初、アンフォーストエラーのたびに150ドルを積み立てて寄付しようと思ったんだけど、そうすると私が貧乏になっちゃう。私はアンフォーストエラーがあまりにも多いから」

 もちろん大坂得意のジョークを言ったわけで、そういう無邪気な言動が人気の理由の一つでもあるが、さすがにあんなジョークはもう笑ってもらえないだろう。

 セリーナも、2位に甘んじたとはいっても大坂をわずか140万ドル下回るだけの3600万ドルの収入で、シャラポワ越えとともに自身最高を更新した。

 テニスの賞金の高額ぶりは今ではかなり世間に知られており、大坂の昨年の獲得賞金は約680万ドル、セリーナは約430万ドルだったが、賞金だけなら世界1位のアシュリー・バーティがそれらをはるかに上回る約1110万ドルを獲得している。何しろ、破格の賞金で話題になったWTAファイナルズの優勝だけで、セリーナの1年分の賞金を手にしたのだ。

 そんな中、大坂とセリーナがずば抜けているのはスポンサー契約料だ。

セリーナの実績と大坂の可能性。

 23回のグランドスラム優勝(シングルス)を誇り、史上最高の女子選手とも謳われる38歳のセリーナは、結婚して母となった今もメジャータイトルが期待される実力で、アメリカの強い女性、強い母親のシンボルとして、特別な存在感を増している。

 グランドスラムの史上最多記録にあと1つと迫ったところで長く足踏みしているが、たとえこのまま大記録を達成できなかったとしても、セリーナが20年以上のキャリアで成し遂げたことは圧倒的な意味を持って後世に残る。

 一方の大坂への評価は、すでに成し遂げたものではなく<可能性>だったに違いない。若さに加え、あのマネージャーが確信をもって“予言”したように、日本とハイチとアメリカにバックグラウンドを持ち、ユニークで愛されるキャラクターを備えた大坂はグローバルな規模で多くのスポンサーを獲得した。

 現在のスポンサー15社のうち11社との契約は全米オープン優勝後に交わされたものだが、新しい時代を築くオーラを大坂に見たからだろう。

女子テニスの歩みと無関係ではない。

 同時に忘れてならないのは、今回明らかになった大坂に対する破格の<値段>は本人の実力や魅力とは別に、女子テニスの歩みと無関係ではないということだ。

『フォーブス』がアスリートの年収ランキングの発表を始めたのは1990年。以来、女子のトップの座はテニス選手が独占し続けてきた。10〜11カ月ものワールドツアーを戦うテニスプレーヤーをサポートすることは、広告効果が大きい。

 また、テニスが男女同権のフロントランナーとして、たとえば早くから賞金の同額化を目指して戦ってきた成果ともいえる。グランドスラム全大会で男女の賞金が完全に同額化されたのは2007年だが、全米オープンでは早くも1973年には同額を実現していたし、随分時間が経ったが、2001年には全豪オープンがあとを追った。

グラフにセレス、ヒンギス、シャラポワ。

 '90年代はシュテフィ・グラフ、モニカ・セレス、マルティナ・ヒンギスといった、ときの女王たちが収入でもトップを獲得し、2002年以降はセリーナとビーナスのウィリアムズ姉妹、そしてシャラポワの時代となる。

 特に2005年から2015年まで11年もの間、テニスの好不調やランキングに関係なく年収のトップだったシャラポワが、華やかで美しい女子テニスのイメージを構築した貢献ははかりしれない。実際、シャラポワは18歳にしてそれまでのトップの額を易々と1.5倍となる1820万ドルを稼ぎ、それをほぼ毎年のように更新。前述したように最高で2970万ドルに達した。

 ドーピング違反の発覚を潮目にシャラポワ時代は終わり、30代半ばにしてグランドスラム優勝回数を伸ばし続けるセリーナが再び女子テニスの顔になった。過去約20年の間に、特にセリーナとシャラポワが女子テニスに残したものは偉大だ。

 2人の女王と魅力的なライバルたちによって高まった女子テニス人気は、男女の賞金同額の気運を高め、スポンサー企業の関心を常に集めてきた。

「女子テニスの歴史を変える選手に」

 大坂はその歴史の恩恵を自力で最大限にもぎ取ったが、女子テニスに何かを残すのはこれからだろう。大坂自身、グランドスラム優勝を叶え、世界ナンバーワンになる夢も果たしてからは、「女子テニスの歴史を変えるような選手になりたい」と何度か口にしてきた。

 浮き沈みの激しい昨シーズンを経て、正念場であり期待も大きかった2020年がこうしてツアー停止状態になり、22歳が刻む歴史の続きを見られないことは残念でしかたがない。『世界でもっとも稼ぐ女子アスリート』という目の眩むような称号の証を見せてくれる時間の訪れを、今は待つばかりだ。

文=山口奈緒美

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