野球ファンからは「日本の宝」と称賛され、昨年まで在籍していたDeNAでは人間性でも高い評価を得ていたタンパベイ・レイズの筒香嘉智。心技を兼ね備えたスラッガーは昨年、幼少からの念願を成就し、ポスティングシステムによるメジャー移籍を果たした。

 だが筒香の中学時代をよく知る瀬野竜之介氏は、当時はいまの姿が全く想像できなかったという。筒香は中学の3年間、瀬野氏が代表を務める堺ビッグボーイズでプレーした。堺ビッグボーイズは2度の全国制覇があるボーイズリーグの強豪だ。

「入って来た時から体が大きい選手でしたが、ヒザが痛い、腰が痛い、とケガが多かったんです。中学時代は体が変わる時期なので、その関係もあったのでしょう。2年生まではケガで練習が出来ない時期が結構ありました。ですから無理をさせず、“放牧”していたんです。

 公式戦も筒香たちの代になるまでは出てませんし、よく聞かれるんですが、グラウンドのあそこまで飛ばしたとか、そういう伝説的なこともありません。

 筒香は『うさぎと亀』で言うなら、亀ですね。3年生になってから『こんな選手いたの?』と注目されるようになりましたが、それまではゆっくり時間をかけながら成長していった感じです」

体のケアに対する高い意識がついた背景。

 筒香の実家は和歌山・橋本市にある。ここから家族が運転する車で1時間かけて、大阪・河内長野市にあるグラウンドに通っていた。堺ビッグボーイズに入ったのは、高校球児だった10歳年上の兄・裕史さんの勧めだ。

 裕史さんは現在、地元で幼児から中学生までを対象としたスポーツアカデミーを運営している。弟のために何チームも見て回った裕史さんが堺ビッグボーイズに決めたのは、体のケアをサポートする体制が整っていたからだった。

 瀬野代表は「当時はまだ練習時間は長かったんですが、この頃からケガ予防や、ケガをした時のリハビリを専門家と連携しながら行ってました」と話す。筒香は中学2年まではケガが多かっただけに、この環境に助けられただろう。体のケアに対する高い意識も、この環境によって芽生えたようだ。

「野球を取ったら何も残らないでは……」

 本来ならメジャー1年目を過ごしていたはずの今シーズン。筒香は目下、新型コロナウィルスの影響で一時帰国を余儀なくされている。

 日本では約3カ月遅れでNPBが開幕したが、MLBはようやく7月24日前後に開幕することが発表された。

 長く待たされた形になったが、瀬野代表によると、筒香は黙々とシーズンに向けて準備をしているという。

 瀬野代表は筒香の家族とも親しい関係にあったのもあって、スポーツウェアを扱う会社を経営するかたわら、プロ1年目から筒香のマネジメントをしている。ただし、オフのテレビ出演などのブッキングはせず、もっぱらいち社会人としての人間教育を重視したアプローチをしてきたという。

「野球選手、アスリートは人としてリスペクトされる存在であってほしいのです。高卒でプロに入るような選手は、筒香もそうですが、子供の頃から野球漬けで、高校では寮生活というパターンが多いです。あまり学校の勉強もしてませんし(笑)、社会のことを何も知らずに、プロの世界に飛び込む。

 それでも結果を出せば、若くして大金を手に入れることができます。それは確かに1つの成功ですが、野球しか知らない、野球を取ったら何も残らないでは、本当に尊敬されるアスリートにはなれないかと。

 ですから筒香にはプロで認められるようになってからも、『人としてリスペクトされる存在であってほしい』ということを言い続けたんです。人として成長すれば、野球選手としても成長できるのではないでしょうか。筒香からすれば、時にはうっとうしく感じる時期もあったと思いますが(笑)」

人間力も磨いてきた筒香だからこそ。

 2019年1月、筒香は外国特派員協会で記者会見を開き、若年層に対する野球指導法の問題を提起した。現役選手がアマチュア球界について、公の場で言及するのは極めて異例のことである。

 現役選手の言葉には重みがあるが、こうした場での発信に説得力を持たすには、人間性も求められる。野球の技術だけでなく、人間力も磨いてきた筒香だからこそ、多くの人が耳を傾けたのだろう。

「筒香が亀なら、森はうさぎですね」

 昨年初の首位打者となり、シーズンMVPとベストナインにも輝いた西武の森友哉も、堺ビッグボーイズの出身だ。筒香の4期下にあたる森は、筒香とは正反対のタイプだったという。

「小学時代からオリックスジュニアで活躍するなど有名な子で、入って来た時から、なるほどと思わせる技術を持ってました。身体能力も優れていて、なんでもすぐにできちゃうんです。

 筒香が亀なら、森はうさぎですね。勝手にぴょんぴょん伸びていった。毎年納会には来てくれますが、ウチにいたから今があるとか、そういうのはないと思いますよ(笑)」

 下級生時代から大会に出場し、捕手だけでなく投手や野手もこなす万能な選手でもあったが、手を焼いたのがやんちゃぶりだった。瀬野代表は「ホント、お伝えできないようなこともいろいろありましたよ」と笑う。

 ある時、このままではせっかくの才能を埋もれさせかねないと、森に「もうやんちゃはしない」と約束させた。ところが、舌の根も乾かないうちに、森がやんちゃグループとたむろしているところに遭遇する。瀬野代表は約束を破ったことが許せなかった。「お前、俺との約束破ったな」。飛びかからんばかりの勢いで森を叱責する姿に、仲間たちも呆然と立ちすくんだ。ひとしきり“本気の説教”が終わると、瀬野代表は仲間たちにこう諭した。

「この子はな、野球を一生懸命やってる。だからそれを応援してくれへんか。いっぺん、試合も見に来てや」

 後日、そのやんちゃグループは本当に森の試合を見にやって来た。瀬野代表は歓迎し、一緒に試合を観戦したという。それ以来、森は問題を起こすことが少なくなった。

「いい意味で上手く抜けよと伝えました」

 もう1つ、森について懸念していたのが、公称170cmの体だった。

「高校に入って、あの小さな体で無理したらすぐに壊れると心配してました。ですから練習もやり過ぎるなよ。いい意味で上手く抜けよと伝えました」

 結果的に森は大きなケガをすることなく、大阪桐蔭高時代を過ごした。甲子園での活躍もよく知られている通りである。

「いい選手は、これ以上追い込むと危険、というシグナルを察知できる気がします。一生懸命にやるのは大事ですが、ケガをしたら元も子もない。筒香にもそういう能力はありましたね」

子供ながら「何が必要か理解していた」。

 筒香と森の性格はまるで違ったが、2人には共通するところがあったという。

 それはレベルアップするには何が必要か理解していたことだ。

 実は筒香は、堺ビッグボーイズが取り入れている基礎的な身体を動かす運動、たとえば、ブリッジや前回り、後ろ回り、逆立ちなどのメニューが苦手だった。大柄な選手にはつきものでもある。しかし、筒香は決しておざなりにはしなかった。

「こういうことも自分には必要と分かっていたのでしょう。苦手だから……で済ませず、次の時に見たら、ちゃんとできるようになっているんです。きっと家に帰ってからできるまでやっていたんだと思います」

 森はやんちゃではあったが、1年秋に試合以外は木製バットを使え、練習では全て逆方向に打てと指示されると、忠実に従った。当時から引っ張れば飛ばせたのに、その気持ちを抑えたのだ。

 森もまたこれが自分の成長につながることを分かっていた。瀬野代表は「普通の中1なら、練習でも大きいのを打ちたいし、それを見せたいと思うんですよ。まだ子供ですし、やんちゃな性格ならなおさらですよね。でも、森はとことん丁寧に逆方向に打ってましたね」と振り返る。

 自分にとって何が必要か気付けるなら、何が必要でないかにも気付ける。これは本当に自分に合っているのか、それとも合っていないのか――。取捨選択できる能力も、高校やプロでのレベルアップを促したに違いない。

「親が出たがるところの子供はまず伸びません」

 2人の家族のスタンスにも共通するものがあった。筒香家も森家も、両親は決して息子より前には出なかったという。

 瀬野代表はこう語る。

「指導者になってから長いこと選手だけでなく、いろいろな親御さんも見てきましたが、親が出たがるところの子供はまず伸びません。子供がちょっと有名になると、勘違いしてしまう親がいるんですが(苦笑)、筒香の両親も、森の両親もどんなに息子が活躍しても謙虚でしたね。チームがあっての息子、というスタンスでした。

 筒香の両親は、息子が横浜高を卒業してからも、和歌山から神奈川まで予選の応援に行っているそうです。なかなかできることではありません」

堺ビッグボーイズで全国大会を連覇したが……。

 筒香と森。2人は堺ビッグボーイズにとって偉大な卒業生だ。とはいえ、中学時代に特別扱いされたかというとそうではない。

 瀬野代表は「誰に対してもその子に合った指導をしてきたつもりです」と言う。たまたま野球の世界ではこの2人が有名だが、他分野で活躍しているOBもたくさんいる。

「野球チームなんで、筒香と森に続く選手が出てほしい気持ちはありますが、一方で野球を通して得たものも武器に、それぞれの世界で成功してくれればとも思います」

 瀬野代表は高校時代、浪速高でプレーした。同学年にはPL学園高の宮本慎也(元ヤクルト)らが、1学年下には上宮高の元木大介(巨人ヘッドコーチ)らがおり、当時も大阪のレベルは高かったものの、3年春は2番・左翼で府8強に食い込んでいる。東海大ではケガでリーグ戦出場はなかったが、4年だった1991年より父親がチーム代表を務めていた堺ビッグボーイズのコーチに。翌年から9年間、監督としてチームを指揮し、'99年、2000年と2年連続で春の全国大会を制した。

 2002年から代表になった瀬野氏がチームを改革したのは2009年、森が中学2年の時だった。お腹一杯まで野球をやらせていたことが、その後の成長を妨げていると判断し、大幅に練習時間を短縮。その分、自分たちに考えさせる自主練習の時間を設け、サッカーなど他競技も練習メニューに加えた。

「勝利至上主義」から、育成に重きを置いた「勝利主義」に舵を切ったのだ。

「指導の原点は、いかに野球が楽しいと……」

 これに反発したコーチたちは次々に辞めていったが、瀬野代表は新しいやり方を貫いた。

 すると、選手が伸び伸びとプレーするようになり、グラウンドから帰る時に「また明日も野球がやりたい!」と口にするようになったという。やがてその姿が評判を呼び、少子化で野球の競技人口も減っている中、入団希望者が増えていき、今では小・中学合わせて180名の部員がいる大所帯となっている。ちなみに小学部のスーパーバイザーは筒香が務めている。

 自粛期間も明け、アマチュア野球も少しずつ活動を再開している。長く野球がやれなかった分、誰もがうずうずしながら、この時を待っていたに違いない。

「指導の原点は、いかに野球が楽しいと思える環境を作ってあげられるかでは。楽しいと思えるなら、指導者があれこれ言わなくても、どうすれば上手くなるか、自分で工夫すると思います」

 グラウンドに戻ってきた野球少年たちはいま、嬉々としてボールを追いかけている。

文=上原伸一

photograph by Ryunosuke Seno