女子バレー日本代表の新鍋理沙が6月20日、久光製薬スプリングスのホームページ上で突然の引退を発表した。

 今季も日本代表に選出されており、今夏開催予定だった東京五輪へ向けた合宿にも参加していた。幾度となく、「東京五輪を集大成に」という言葉は聞いて来た。今なお現役選手の中で新鍋ほど、サーブレシーブの技術に長けた選手はいないとわかっていても、おそらく、この夏を終えればユニフォームを脱ぐのだろうと予想はできた。

 ただ、まさかそれが、今になるとは。

 まだまだ日本代表の主戦力であるはずの新鍋が、なぜ今、引退を決断したのか。6月29日、オンラインでの記者会見に臨んだ新鍋が、その理由を明かす。

「ケガと向き合いながら選手生活を続けてきましたが、手術、リハビリを継続して行っていく中、1年後に自分が納得する姿を想像することができなかった。納得できないプレーでコートに立つのは、自分自身が納得できない。潔く身を引く決断をしました」

 何度も繰り返す「納得できない」の言葉に、おぼろげながら、突然の引退も腑に落ちる気がした。

なぜバックアタックを打たないのか。

 新鍋にとって2011年以来、2度目の出場なった昨秋のワールドカップ。スピードと精度の高いコンビバレーを掲げ、メダル獲得を目指すも結果は5位。'18年の世界選手権では決まった新鍋の前衛からの攻撃もブロックに仕留められ、ブロックを抜いてもレシーバーに難なく上げられる。個人のパフォーマンスだけでなく、前半はチームとしても黒星が先行する厳しい展開を強いられた。

 それでも何とか尻上がりに調子を上げ、後半の大阪3連戦は3連勝を飾った。ただ内容に目を向ければ大会を通して露わになった課題が克服されたわけではなかった。

 高さで勝る相手に対し、攻撃の速さではなく同時に仕掛ける枚数を増やすことで対応すべきではないか。特に新鍋が後衛時のローテーションで連続失点を喫する場面も多くあったことから、なぜバックアタックを打たないのか。なぜ助走に入らないのか。そう問われると「攻撃も大事だけれど、その分フォローも大事」と答えた後、新鍋は言った。

「バックアタックが大事なのはわかります。でも、中途半端にバックアタックをするぐらいなら、確実に点が取れる攻撃へ持って行くほうがいいと思うんです。自信がない、中途半端なプレーをしても、納得できないじゃないですか」

新鍋が貫いたストイックな姿勢。

 常に世界を視野に入れて戦う。それは日本代表として挑む試合だけでなく、クラブとしてアジア、世界制覇を目標に掲げる久光製薬で戦う時も同じだった。

 世界選手権やワールドカップ、国際大会の直後にVリーグが開幕するたび「身体がボロボロすぎてしんどい」と会えば冗談交じりで弱音を吐いたが、どれだけ肩や手指に巻くテーピングが増えようと、プレーやコンディショニングで一切の妥協はなかった。

“チームが勝てばいい”“負けたら悔しい”ではなく、勝ち負け以前にやるべきことが徹底できたか。納得できなければ朝早くから練習し、全体練習後も可能な限り練習する。新鍋曰く「中田(久美・現日本代表)監督が久光の監督になった頃から、私生活やバレーに対する追求の仕方、細かいところまで考えるようになった」と振り返るように、結果にこだわり、そのための経過に手を抜かないストイックな姿勢で、バレーボールに打ち込んできた。

周囲にも厳しく、嫌われても構わない。

 自らをどれだけでも厳しく追い込むせいか、周囲に対する要求も常に厳しかった。

「試合の中でも練習でも、明らかな課題が出る。それって、絶対に大事な場面で自分の足を引っ張るんです。だったらそうならないように、どれだけ苦手なことでもひたすら練習するしかないじゃないですか。それなのに、人より練習もせず、苦手だから得意なところでカバーするとか言われると納得がいかないんですよ。それで勝てるほど、簡単な世界じゃないですから」

 嫌われても構わない。厳しさを露わにしながらも、納得するプレーをして勝つ。ただそれだけにこだわり続けて来た。

 だが、そんな選手生活の集大成と位置付けた2020年、東京五輪の延期が決定した。これまでと同じように、心身を張り詰めた生活を続ける覚悟があるか。新鍋は「絶望というか……。私にとっての1年は、とても長く感じました」と吐露した。

「1年後を想像するのが難しかった」

 延期の決定から間もない今年4月23日には手術を敢行。3、4年前から痛みを感じてきたが、「日本代表の合宿が始まってからはオーバーパスをするのも痛くなった」という右人差し指と中指の付け根の疲労骨折した箇所をドリリングし、伸びた靭帯を縫い縮めた。その時点ではもちろん、東京五輪で最終メンバーの12名に入り、目標のメダル獲得、よりよいパフォーマンスへつなげるための前向きな選択ではあったが、リハビリに取り組むうち、感じたのは「本当に前以上のプレーができるのか」という不安だった。

「年々コンディションもパフォーマンスも落ちていると感じていました。もう1年同じサイクルで、コンディションを保つのは、自分の中でちょっとしんどいと思ってしまったり、なかなかいいイメージを持つことができなくなってしまった。もともとオリンピックが最後の目標で、そこで引退しようと思っていたので、それがもう1年となった時に、1年後を想像するのがすごく難しかったです。今辞めるのは無責任だという思いもありましたが、そういう気持ちが出てしまった以上、中途半端な気持ちではやっちゃいけない。そう思ったので、こういう決断をしました」

 納得できない自分で続けるよりも、いっそ潔く。たとえ周囲にどう思われようと、自分が納得できる道を選ぶ。それが突然の引退へ至った理由であり、これまでの歩みと同じく、新鍋の生き方そのものとも言うべき決断でもあった。

萱嶋代表「かけがえのない選手だった」

 会見に同席した萱嶋章・SAGA久光スプリングス代表取締役も「かけがえのない選手だった」と振り返ったように、久光製薬でも日本代表でも新鍋に代わる選手はいない。決して派手ではなくともそう思わせる、特別な存在だった。

 ファンへのメッセージを求められ、新鍋は「みなさんと戦った11年は私の財産で、一生忘れない」と涙で言葉を詰まらせたが、それは見てきた者たちにとっても同じ。飽きることなく何度も、納得するまで繰り返された練習の賜物である技術の1つ1つもそう。たとえコートから離れても、きっと残像は残り続けるはずだ。

 これが初めての試合出場というルーキーや、ディフェンスのウィークポイントを着実に狙う。なおかつ勝負所にめっぽう強い。そんな選手を見たら、それぞれが「あの時の新鍋」に重ね、振り返るのではないだろうか。あれほど嫌な選手はいなかった、と。

 アスリートにとって、1年という時間がどれほど長く、重いものかを噛みしめながら。

文=田中夕子

photograph by SAGA Hisamitsu springs