確固とした意思とともに歩んできた。

 足立和也は、激流にときに翻弄されながらも、カヌーに打ち込み、大舞台への出場権を手にした。

「東京オリンピックの切符をとったときは、うれしかったですね」

 昨年10月、初めての五輪代表に内定したときをそう振り返る。

 今年10月に30歳の誕生日を迎える足立の「うれしかった」には、さまざまな思いが込められていた。

 カヌースラロームのカヤックシングルで活躍する足立がカヌーに触れたのは3歳の頃。

「アウトドアを取り入れている幼稚園に入ったのがきっかけですね。そこでカヌー体験をしました」
 
 その後も定期的にカヌーを体験し、やがてカヌーをやりたいという思いが心に芽生えた。

「年長の、6歳になるときくらいです。水に浮いている感覚や、まっすぐ進む難しさを知り、続けていきたいと思いました」

大きな挫折を何度も味わった。

 その後頭角を現し大会で活躍するようになると、年代別の日本代表となるまでに至った。

 将来を嘱望されたが、大きな挫折を何度も味わった。

「高校生のときは、世界の中で実力的にいいところにいました」

 だが大学に進んだ後、一転する。

「ものすごい差をつけられていったんです。そこで一度考えてみようと思いました。カヌーをやるのか、別の道を歩むのか」

 考えた末に至ったのは、「まだ戦える可能性があるんじゃないか」という結論だった。
「それだけではなく、自分自身、十代のときは、この競技をなめてるじゃないけれど、こんなもんだろうという部分がありました。

 それなのに、自分よりはるかにレベルの高いものを見せられて、敬意なども生まれ、すごいスポーツだから彼らに追いつきたい、競技をまだよく分かっていないと実感したのがいちばんでした。カヌーの奥深さ、広さを知ったというか」

大学を中退し、山口県萩市に向かった。

 でもこのままでは変われない。

 足立は思い切った選択をする。カヌーの名門として知られる駿河台大学を中退し、山口県萩市に向かったのである。当地で活動するコーチ、市場大樹氏の指導を受けるためだった。

「いろいろなコーチがいる中で、市場さんがいちばん一緒に作りあげてくれるというか、こうだよ、ああだよじゃなく、一緒にこうしていこうというスタイルだったのでお願いしました」

 足立は、もともと自分で考え、組み立てていく選手だった。そのため、市場のようなタイプのコーチを求めるのは自然な流れだったのだろう。

「どちらかというとカヌーに関しては、ああしたい、こうしたい、と生意気なほうなので。あとは世界のトップになった人は日本にいないから、一緒に勉強してくれる人がいいなと思いました」

「退路を断ってやりたかった」

 拠点を移した理由はコーチ以外にもあった。

「友達もいないところですし、生活も分からない。退路を断ってやりたかった」

 アルバイトをしながら打ち込む日々が始まった。生活は厳しかった。遠征時の話が象徴的だ。

「カヌーはメインがヨーロッパで、行くと2、3カ月は滞在します。航空券をとるところまでは大丈夫ですが、生活費を安く済ませないといけなかったので、余分なものは買えなかった。

 試合のときはホットドッグ屋さんとかフライドポテトなどのお店が出ていますが、そこで1ユーロ、130円くらいだったかな、それすら買う余裕はなかった。2キロ1ユーロのジャガイモのほうが安いですし」

 そうした生活の中、強くなりたいという気持ちは増していった。2012年の日本選手権で初優勝し、その後3連覇を達成、2014年のアジア大会で金メダルを獲得するなど成果にも表れていった。

リオ五輪出場がかなわなかった。

 だが、再び、いやさらに大きな挫折が待ち受けていた。2016年のリオデジャネイロ五輪出場がかなわなかったのである。

「自分の人生をかけてリオに向かっていたので、言葉では表せないくらいの衝撃というか悔しさを通り越して何も考えられなかったですね」

 1カ月、何も考えられなかった。

 やめよう、という思いがよぎることもあった。ただただ、失意に沈んだ。

 それでも時間が救ってくれた。少しずつ前を向けるようになり、そして明確に進むためのきっかけが訪れた。リオで羽根田卓也がスラロームカナディアンシングルで、カヌーでは日本選手として初めての表彰台となる銅メダルを獲得したことだ。

「もう一度火がつきましたね。うれしい思いと、悔しい思いもすごくあった。日本初のメダルを先にやられたので」

国内で練習に打ち込み続ける。

 気持ちを取り戻すと、その年の秋、ワールドカップで銅メダルを獲得した。カヤックでは日本初のことだった。

「目標としていたリオが過ぎて、リラックスした状態で臨めていました。オリンピックに向けて技術の完成も目指していたので、それまで築いていたものが出た結果でもあるように思います」

 2017年のワールドカップの大会でも再び銅メダルを獲得。リオ前からの、長年の取り組みもあり、着実に階段を上がり始めた。

 そんな足立には、彼ならではの特色がある。「日本へのこだわり」だ。

 カヌーは本場であるヨーロッパを拠点にする選手が少なくない中、今日に至るまで国内で練習に打ち込み続ける。

「日本でも世界と戦っていけるというのを見せたかったし、現在では日本でトレーニングしていても戦える道筋は見えてきています。だから日本にこだわっています」

「いちばん自由であるときだと感じます」

 海外メーカーのものを使用する選手ばかりの中、ボートも日本製だ。F1、ル・マンなどモータースポーツの車体に携わってきたムーンクラフト社に依頼し、製造してもらっている。

「1つには、海外のメーカーに自分たちの技術やアイデアが持っていかれる、ばれてしまうという懸念。

 もう1つは、ほんとうに細かい部分で僕は要求を出すので、英語より日本語のほうが伝えることができるという点です。車のレースをやっている会社なので、(カヌーの)レースをほんとうによく分かってくれます」

 それもまた、自らの意志で歩み、考えてきた足立ならではだ。

 長年打ち込んできたカヌーは今なお、「面白い」と言う。

「乗っているときは、いちばん自分が解放されているときだと思います。レースのときもトレーニングのときも、いちばん自由であるときだと感じます」

「いちばん高いところに上りたいですね」

 人生をかけて打ち込んできた競技の魅力をこう語る。

「迫力のある流れ、こんなところを下るんですか? というところの技術、迫力。その中で選手たちの表情も見てもらえると選手冥利につきます。真剣にやっているからこその表情を見てほしいです」

 念願のオリンピックは、1年延期となった。

「中止、延期、そのまま開催、いろいろな選択肢があった中で、いちばんいやな選択肢ではなかったのでうれしく思いました。1年間空いたことでより高いパフォーマンスをお見せできるんじゃないかと思います」

 時期はずれても、目指す場所は変わらない。

「ずっと日本にこだわってやってきているので、日本でのオリンピックで、いちばん高いところに上りたいですね」

 ときに挫折を味わいながら、明確な意志とともに歩んできたその視線にぶれはない。

足立和也(アダチ カズヤ)

1990年10月生まれ。神奈川県出身。3歳でカヌーを初経験。世代別日本代表選手に選出される。日本選手権3連覇。2014年、アジア大会優勝。'16年、日本人で初となるワールドカップ決勝進出。'19年NHK杯兼日本代表選手権大会で4位入賞し、東京五輪代表選手に内定した。今年5月、自身のYouTubeチャンネル「足立和也の『東京五輪へ真っ直ぐ!』」を開設した。
「足立和也の『東京五輪へ真っ直ぐ!』」
https://www.youtube.com/channel/UC8URkQpecxxqDAYPa1n3SNw

文=松原孝臣

photograph by YMN