『フランス・フットボール』誌5月19日発売号では、欧州5大リーグの先陣を切って5月16日に再開された、ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトに所属するドイツ代表GKケビン・トラップのインタビューを掲載している。

 2015〜'18年までパリ・サンジェルマンでプレーしたトラップは、昨季はレンタルで古巣フランクフルトに戻り、完全移籍を果たした今季も不動のスタメンとしてゴールを守り続けている。

 そのトラップが語った――待ち望んだリーグの再開について、忍耐を余儀なくされた新型コロナ禍について、来年に延期されたEUROや3シーズンを過ごしたPSGについて……。オリビエ・ボサール記者によるロングインタビューの抄訳をここに掲載する。

監修:田村修一

「無観客で試合をするのは初めてではないしね」

――再開は驚きではありませんか?

「結果には満足できなかったけど(再開後の初戦でフランクフルトはボルシアMGに1対3の敗北)、再びプレーできたことには喜びを感じている」

――誰もがあなたと同じ考えですか?

「最高の条件でプレーができるように配慮がなされた。誰も感染しないようにリーグはあらゆる手段を講じた。もちろんいつ誰が感染するかわからない。だが、検査を何度も繰り返し、結果はすべて陰性だった。誰かひとりでも不都合があったならば、それは明らかになっていた。

 不安を感じるのは当たり前だが、クラブはその点で真摯だった。誰もが落ち着いて行動し、すべての規則を遵守した。難しい期間を過ごすうえで問題は何もなかった」

――いろいろな予防措置や試合での配慮など奇異には感じませんでしたか?

「再開に際しては、遵守すべき衛生規則がいくつもあった。ひと月前から再開した練習でもそれは同じだった。だから今はどうすべきかよくわかっている。

 最初のころは全員が距離をとって、トレーニングも3人のグループでおこないロッカールームでも間隔を保っていた。それから試合に向けてチームの全体練習が始まったが、やはり規則は厳格に守られた。常にマスクを着用し、手を消毒した。そんな風にやってきたんだ。

 無観客のスタジアムも同じだ。それが再開の条件であるならば従う。無観客で試合をするのは初めてではないしね」

――それでも特殊であることに変わりはないですが……。

「リーグ中断中の2カ月間の状況は、誰にとっても特殊だ。ただ、最初はどれほど奇異に感じても、少し時間がたてば徐々に慣れてくる。状況を受け入れてそのうちそれが日常になっていく」

「再開を望んでいる他の国々のいい模範例として」

――フィジカルが極度に低下しませんでしたか?

「再開に向けて十分に準備した。練習開始からの5週間は家や練習場でしっかり取り組んだから何の問題もなかった。ドアとか壁とか床とか、利用できるあらゆるものを使ってトレーニングしていた」

――他国に比べてドイツが危機にうまく対処できたのはどうしてですか?

「説明は簡単じゃない。僕にはフランスやイタリア、スペインがドイツよりも酷い理由がよくわからない。ただ、言えるのは、ひとたび問題に真剣に対処したとき、感染者数を増やさないためにあらゆる努力をしたことだ。ひとりひとりが責任を持って、状況改善のために全力を尽くした。今日では店もレストランも開いているしサッカーもまた始まった。感染の可能性があったらそうはいかない」

――ドイツの人たちは再開をどう思っていますか?

「サッカーがまた見られることを喜んでいる人は多い。街を歩いていても、試合がなくて寂しいという声はよく聞いた。

 ただ、まだ時期尚早という人もいる。子供は外でサッカーができないのに、ブンデスリーガが再開したのは理解できないという親も多い。当然の疑問だと思う。

 だが、ブンデスリーガが再開のためのプランを示し政府もそれを認めたならば、プランは適切だったということになる」

――今は世界の目がドイツに集まっていますが。

「その通りで、最初に再開した僕らのリーグは注目を浴びている。再開を望んでいる他の国々のいい模範例となることを願っている」

「ドイツのそれはフランスとは大きく異なっていた」

――外出禁止期間中はどう過ごしましたか?

「ドイツのそれはフランスとは大きく異なっていた。散策もできたし閉じ込められることはなかった。一番違っていたのは、妻(ブラジル人トップモデルのイザベル・グラール)がパリにいるからずっと会っていないことだね」

――あなたは食料を分配したり、マスク製造を支援したりと積極的に活動しましたが、そうしたサポートは大切だと考えていますか?

「いつもスタジアムで僕らをサポートしてくれる人々に対して何かをしたかった。この厳しい時期に、僕らが彼らに何かをしなければならないと思った。マスクに関しては、僕には家で作るための膨大な時間があった。そして時間があれば創造力を発揮できる。規格に合っているかどうかもわからなかったが、考えた末に自分にできることはこれだという結論になったから、SNSでも発信したんだ。家に籠っている間に、本当にいろいろなことができた」

ピアノ、外国語、料理に挑戦した!

――他には何がありますか?

「最大のチャレンジはピアノだった。音楽の才能はまったくないけど、ピアノを弾けるようになりたいとずっと思っていた。外国語ももうひとつ覚えたくて、イタリア語の勉強を始めたよ。習得すれば、6カ国語(ドイツ語とフランス語、ポルトガル語、スペイン語、英語、イタリア語)を話せることになるからね。あとは料理にもチャレンジしたけど全然駄目だった(笑)」

――フランスもドイツのように再開が可能だったと思いますか?

「5大リーグのなかで、フランスがあっという間に打ち切りを決めたのは本当に驚いた。コロナの影響がどうなるかまだわからないときに、打ち切ってしまったのはちょっと疑問だ。微妙な決断で、誰もが納得できるものではなかった。だからこそドイツは模範になって欲しいし、他の国々が問題なく続いて欲しい。

 たしかにサッカーは人生の最大の関心事ではない。だが、それでも人々はサッカーに大きな関心を抱いている。そんな人々に、この時期に何かを与えられるのは素晴らしいと思う」

「バルセロナ 6−1 PSG」の思い出。

――フランスへの思いはありますか?

「僕はパリで素晴らしい3年間を過ごした。忘れられない試合がひとつある(2017年3月8日、CLラウンド16・第2戦、バルセロナ6対1パリ・サンジェルマン)。それ以外は、パリにはいい思い出しかない」

――この試合のことは忘れようとしていますが、今でも心に甦りますか?

「問題は誰もが僕にこの話題を振ることだ(微笑)。数日前にチームメイトのフィリップ・コスティッチ(セルビア代表)が訪ねてきてこう言った。『バルセロナ戦を見たよ』と。『どのバルセロナ戦?』と尋ねたら『6対1だ』と彼は答えた。その話はもうよしてくれと彼には言った。忘れてしまいたい悪夢だけど、あの試合から多くを学んだのもまた事実だ」

――PSGの選手たちとは今でもやりとりがありますか?

「ずっと続いている。今もPSGのサポーターだし、見れる試合はすべて見ている」

――ではCLラウンド16ではどちらを応援しましたか。ドイツ人としてドルトムントを支持したのか、あるいは元選手としてPSGをサポートしたのか……。

「パリを応援した。ドルトムントにも友人はいるけど、パリの選手たちが目的を達成するためにどれだけハードに働いているか僕はよくわかっている。試合の前にチアゴ・シウバと(電話で)話した。勇気づけるためにPSGの練習着を着た写真を送った。彼らが準々決勝に進んだのは当然だった」

――PSGに関してはロッカールームでの様々な雑音を聞きます。実際にはどうだったのでしょうか?

「選手ひとりひとりに向けるべき質問だ。どうしてそんな間違った情報が出てくるのか本当に不思議だ。実際のロッカールームは最高で、選手はお互いをよく理解している。それが真実だ」

――ブラジル人のグループと仲が良かったのはどうしてですか?

「僕がここにやって来たとき、彼らが本当に親切にしてくれた。マクスウェルは……(微笑)、彼がどれほど親切か君らにはわからないだろう。本当に彼は良くしてくれた。それから妻と知り合って言葉も覚えた。だから彼らとの会話がより容易になった。僕はブラジル人のメンタリティーが大好きだ。常に満ち足りていて親切さを忘れない。それが本当に凄い。それから彼らは素晴らしい選手でもある」

「ズラタンのメンタリティーは卓越していた」

――それではロッカールームで最も印象深かった選手は誰ですか?

「ズラタン(イブラヒモビッチ)だ。彼はいつも一番最初に練習にやって来て、一番最後まで残っていた。メンタリティーが卓越していた。ときにちょっと厳しすぎることもあったが、常に勝利を目指してチームのために戦っていたし、性格も魅力も類まれだった。厳しくはあったがいつもポジティブで、そこは理解すべきだ。

 それにズラタンは、何か問題を抱えたり、彼と話したいときにはいつも親身になってくれた。僕にもこう言った。『僕は君に何か必要なものはあるか? と毎日は訊かない。だが疑問があれば、いつでも聞きに来てくれ』と。彼からは本当に多くを学んだ。常に集中して一切手を抜かずに勝利を目指す。そんな彼の姿を試合でも練習でも間近で見てきた」

――パリでの日々をどう結論づけますか?

「PSGのようなチームで3シーズンを過ごしたら、自分も自然とチームのレベルに達する。出会った選手たちから多くを学んで成長できた。それが僕には一番重要だった。学んで成長し続けることが」

なぜPSGは欧州のトップになれないのか?

――フランスのメディアはあなたに対してシビアではありませんでしたか?

「そうは思わない。何が良くて何が悪いか自分でよくわかっていたから、新聞はなるべく見ないようにしていた。彼らは売るために刺激的に書くけど、僕にとって最も大事なのは自分の何が良くて何が悪かったかを知ることだから」

――PSGでGKを務めることの難しさはどうですか?

「フランクフルトから僕がやって来たのは、どの試合でも相手を支配し、GKがビッグセーブなどで能力を示す機会のほとんどないクラブだった。だから最初はまったく勝手が違っていた。フランクフルトでは僕はいつも頼りにされ、試合に参加していたがパリでは違った。僕はパリで何ものかになりたかった」

――あなたが在籍したのはGKの序列が明確ではない時期でした。

「僕が入ったときは、ローラン・ブラン監督のもとほぼ50試合にスタメン出場した。当時はまだ(序列が)ハッキリしていたが、その後、別の哲学を持つ別の監督(ウナイ・エメリ)がやって来た。彼は全員が平等だと言ってすべての選手に競争を喚起した。GKはフィールドプレイヤーとは異なる特別なポジションで、保証を与えられることがとても重要だ」

――ではPSGが、ヨーロッパのトップになっていくために欠けているものは何でしょうか?

「プロジェクトはまだスタートしたばかりだ。経営者が代わってから10年もたっていない。チェルシーがCL優勝を果たすまでに何年かかったか。PSGは野心に溢れ、成功を求めている。そのための選手も揃えた。歴史を刻むまでには、いま少しの忍耐が必要だ。

 CLは最高の選手を揃えたから勝てるわけではない。ディテールこそが重要で、昨年は最後の瞬間にPKを与えたことが敗戦に繋がった。あれがなければ準々決勝に進み、その後の展開も違っていただろう。忍耐強く努力を続ければ、やがて最後には成功に行きつく」

リーグアンのレベルは欧州で低いのか?

――リーグアンのレベルがしばしば問題にされますが?

「進歩は著しい。リヨンやモナコ、マルセイユ、PSGはビッグクラブだ。サンテティエンヌやボルドーもそうだ。

 たしかにプレミアリーグには、CLで優勝しうるチームが7〜8あるが、リーグアンのレベルも決して低くはない。そこは外から見たときの印象の違いなのだろうが、実際に中でプレーしてみても誰もが言っているようには簡単ではない。今季のアミアン対PSG戦を(テレビで)見たが、アミアンが途中まで3対0でリードしていた。それなりであるということだ」

――それではパリでの最高の思い出は何ですか?

「マルセイユとの最初の対戦(2015年10月4日、2対1でPSGの勝利)かな。僕の最初のクラシコで、試合の意味やライバル関係、歴史などを誰もが僕に話した。パリのサポーターたちの前で、僕がPKを止めて試合に勝った。そして試合後には、後に妻となる女性と初めて会った。忘れられない一日だった」

ノイアーとテア・シュテゲンについて。

――29歳(取材時点)になった今、GKとして最盛期を迎えていると思いますか?

「100%の状態だ。ここフランクフルトに戻ってとても満足している。他のクラブに行ってもっと金を稼ぐこともできた。でもここには本物のプロジェクトがある。あらゆるレベルですべてが進化している。

 昨季はELでインテルやベンフィカといったビッグクラブを破りながら準決勝まで進んだ。今季もラウンド16に進み、ドイツカップでは準決勝でバイエルンとミュンヘンで対戦する(6月10日の試合結果は1−2で敗戦)」

――一方でEUROが延期になったのは残念ではないですか?

「中止にだけはなって欲しくなかった。今季はスタートで怪我をして3カ月を棒に振ったが、EUROのためにできるだけ早く復帰する努力をした。最大の目標のひとつで、自分の力をそこで示したい。だが選択の余地はない。今日の状況に鑑みたらハッキリ言えることは何もないし、この危機を誰も解決できてはいない。延期は最良の選択だったと思う」

――マヌエル・ノイアーとマルクアンドレ・テア・シュテゲンの2大看板が前に立ちふさがる状況で、ドイツ代表で何を望みますか?

「マヌはここ十数年で最高のGKだし、マルクも世界最高のGKのひとりだ。彼らとともに3人のGKに選ばれるのは、僕だってそれなりということだ。彼らの凄さはわかっているけど、僕も3番目で満足してはいない。

 目標はあくまで彼らを乗り越えてNo.1になり、スタメンでプレーすることだ。彼らとともに僕はさらに進化できる」

――日常生活が戻ったときに最初にやりたいことは何ですか?

「早く妻に会いたい。パリの状況はまだ微妙で、不安を抱えたまま生活している。会えるようになったらすぐに飛んでいくよ」

文=オリビエ・ボサール

photograph by Pierre Lahalle/L'Equipe