現代サッカーにおいて、サイドバックに求められる役割は多い。

 守備がメインのタスクだった時代から、活発な攻撃参加を求められ、よりゴールへ直結した働きが増えていった。そして現在ではゲームメイクやビルドアップにまで関わり、「試合を作る」存在として重宝される。ボランチやシャドーに近い役割をも求められているのだ。

 この多岐にわたる役割のすべてを高いレベルでこなせる「ハイスペックなサイドバック」として期待されているのが、来季、鹿島アントラーズ入りが内定している明治大4年・常本佳吾だ。

マリノスで育ち、明治大で磨かれた。

 常本は横浜F・マリノスの下部組織で右サイドバックとして力を磨いたあと、大学王者の明治大に進学。2年生まで右サイドバックをこなしたが、明治大・栗田大輔監督から「同じポジションで1学年上の中村帆高(FC東京)と競わせていたが、2人とも能力が非常に高く、どうしても2人を同時に起用したかった」と3バックの中央に抜擢され、新境地を開拓。「ビルドアップ、ラインコントロールなどの守備のセンスをもっと磨けば、本来のポジションでももっと質が高くなる」という栗田監督の見立てのもと、ディフェンスリーダーとしてチームを統率し、大学3冠に大きく貢献した。

 4-4-2の布陣で臨んだ今季の関東大学リーグ1部開幕戦の駒澤大戦においては、右サイドハーフ、3バックの中央、右ウィングバックと3つのポジションをこなし、それぞれで遜色ないプレーを披露。改めてその能力の高さを印象付けた。

「サイドバックとして攻撃の起点となってチャンスを作れるプレーを期待している」

 鹿島の椎本邦一スカウト本部長がこう語ったように、プロでは右サイドバックが主戦場となるだろう。本人もその意向で、「右サイドバック」を自分が勝負する居場所として捉えている。

「他のポジションをするようになってからも、試合や練習では『サイドバックに入ったらこう判断すべきだな』と意識をしたり、自主トレでオーバーラップからのクロスを上げたりと、常に(サイドバックとしての)感覚だけは研ぎ澄ませていました」

衝撃を受けたラームの万能さ。

 常本には自分の「理想のサイドバック像」を作り上げてくれた重要な選手がいる。

「ドイツ代表のフィリップ・ラーム選手を見て、これまで持っていたサイドバックのイメージが大きく変わりました」

 ドイツ代表のキャプテンとして2014年ブラジルW杯を制し、'17年に現役を退くまで強豪バイエルン・ミュンヘンの不動の右サイドバックとして活躍。170cmと小柄だが、対人に強く、抜群のスプリント力を駆使した守備と球際の強さを見せる一方で、足元の技術と戦術眼に優れ、サイドバックながらビルドアップにも加わり、攻撃の起点となるチャンスメークをハイレベルでこなす。その能力はジョゼップ・グアルディオラ監督にも重宝され、キャリア晩年には右サイドバックだけでなく、インサイドハーフやアンカーをこなすなど、サッカーIQの高さを世に知らしめてきた。

脇役ではなく、主役として。

「小学校まではCBがメインで、右サイドバックはたまにプレーする程度。右サイドバックに固定されたのは、身長が伸びなかった中学の頃から。当時のサイドバックの印象は地味に汗をかいて、体を張る。攻撃面ではクロスを上げるという“脇役”。でもラーム選手を見て、その価値観がガラッと変わった。ビルドアップに参加して、足技で相手を翻弄することもできる。右サイドバックが完全にゲームメーカーになっているんです。

 それでいて守備面でも屈強なFWに厳しくプレスをかけてボールを奪い取れる。何でもできる姿を見て『サイドバックって決して脇役ではないんだ』と思いました。そこからはこのポジションが大好きになり、プレーしていても『主役になる』というモチベーションで楽しめるようになりました」

 自分の「天職」を意識したことで彼は大きく成長。高3になるとキャプテンにも選ばれ、チームの核を担った。しかし、マリノスへのトップ昇格は叶わなかった。

「高1からトップチームの練習に参加していたので、自分の中では『上がれる』と思っていました。でも、高3になると左足かかとに原因不明の痛みが出てきて、5月8日のプレミアリーグEAST・流通経済大柏戦を最後に公式戦は1試合も出られませんでした。その怪我が完治したのが(高3の)12月で、その間にトップ昇格はないと告げられました。痛みが出る前に一度だけ練習に参加していた明治大に進むことになったんです」

試合に出られなかった大学1年。

 マリノスユースの同級生GK原田岳、MF吉尾海夏がトップ昇格する姿に悔しさを抱きつつ、「大学4年で必ず同じステージに立つ」と決意新たに明治大へ進学。それでも、強者揃いの中で1年目は試合に絡めずに終わった。

「大学だったら1年からレギュラーを取れるだろうと甘く見ていました。でも、蓋を開けてみたら、1年間ずっとセカンドチーム。自分の考え方の根本的な甘さを痛感しました。明治大には(Jリーグ下部組織出身の)岩武さん(克弥/現浦和)や鳥海さん(晃司/現千葉)のようにトップチームに上がれるのに、自分をいろんな面で鍛えるためにこの環境(大学)を選んだ先輩がいた。

 高校時代の僕はトップ(マリノス)に上がることがすべてだと思っていたし、プロになれるチャンスを掴まない意味がわからなかった。でも先輩たちは精神的な面も含めて自分と現在と将来に向き合って、サッカーに打ち込んでいることが分かったんです。僕もそうならないと4年後のプロなんて無理だと思いましたし、『もう一度、きちんと自分とサッカーに向き合おう』と考え直しました」

長友、室屋らが背負った明治の2番。

 大学2年になると、自分の中で明確な「目標」が生まれた。それはプロになりたい、プロで活躍したいという抽象的なものではなく、より鮮明な自分への義務であった。

「これまで背番号にあまり固執してこなかったんです。でも『明治大で右サイドバックとして成長したい』と本気で思った時に、『俺が明治の2番を背負わないといけない』と将来の自分像がはっきりと見えたんです」

 これまで明治大の2番と言えば、長友佑都と室屋成という日本を代表するサイドバックが背負ってきた番号だ。「2番」を背負わずして、ここから自分の思い描くストーリーは成し遂げられないと思うようになったという。

「周りから『2番はお前しかいない』と思われる選手になるためには、どのポジションもこなせる選手ではダメだし、右サイドバックしかできないのもダメなんです。攻撃では起点とアシスト、守備では1対1の強さと正確なカバーリング。攻守において試合を決定づけられる選手にならないといけない」

 世界を変えてくれたラームとの出会いに始まり、どんどん明確な形ができていく「サイドバック像」。だからこそ、違うポジションをこなしていくなかでも、信念は一切ぶれなかった。最上級生になった常本は先輩・中村から2番を引き継いだ。

アントラーズの2番といえば……。

 そんな折、新たな目標が生まれた。内定した鹿島から声を掛けられた時、すぐに「アントラーズの2番」を背負う姿をイメージした。

「鹿島が自分に興味を持ってくれていることを知った時に、『鹿島の2番』への憧れが一気に湧き出たんです。鹿島の2番と言えば、名良橋晃さんと内田篤人選手の名前が真っ先に浮かぶ。名良橋さんは日本のサイドバックの概念を変えた偉大な存在で、守備のうまさと運動量はもちろん、ゴールに直接絡むこともできる。内田選手はもう説明不要の世界的なサイドバックですし、鹿島の象徴的な選手。僕なんかがおこがましいのですが、内田選手は憧れであり、尊敬する存在であるからこそ、絶対に超えたい存在でもあるんです。本気で『鹿島の2番』を取りに行きたいと思えたんです」

 常本のもとには、横浜FMからもオファーが届いた。愛着のある古巣であるがゆえに、決断は簡単ではなかったが、最後は練習には一度も参加していないながらも、自分の将来像がより具体的になった鹿島からのオファーを受ける形となった。

「鹿島の右サイドバックとして、将来は2番を背負える選手になりたい。そのためには鹿島だけじゃなく日本全体が認めるような存在にならないといけない。かなり険しい道ですし、プレッシャーの大きいことはわかっている。生半可な努力や覚悟ではできないことだからこそ、それを成し得た時に自分の可能性が大きく広がると思ったんです。そこで自分が望む道に進むことができるし、そのための壁が高いのは当たり前のことだと思っているので。だから鹿島に決めました」

思い出した先輩・遠藤渓太の覚悟。

 なりたい自分になるためには、目標を明確にし、本気でその道を突き進むこと。それを一番教えてくれたのは横浜FMユースの1学年上の先輩である遠藤渓太だった。

 高1年時からレギュラーだった常本に対し、遠藤がレギュラーの座を奪ったのは高3から。常本は右サイドでコンビを組んだ遠藤を「ドリブルは凄いけど、引き出しが少ない印象がありました」と語るほど、大きなインパクトを残せていなかった。ところが、その遠藤は夏の日本クラブユース選手権(通称・クラセン)で大ブレイク。得点王とMVPを獲得し、当落線上だったトップ昇格を手にした。

「大会前に渓太さんはトップ昇格について『クラセンを見てから決める』と告げられていて、本人も『この大会で人生が変わる』と話していたことを覚えています。大会直前の覚悟がこれまでとまったく違って、自分の武器をフルに発揮する気迫というか、本気度が凄まじかった。後輩の僕が言うのはおこがましいですが、自分と真正面から向き合っていて、サッカーに対する考え方が一気に変わった。初戦で活躍してからは驚くほどのスピードで自信をつけて急成長していったんです。うまくなったというより、存在感が違った。プロフェッショナルそのものでした。

 当時は何となく『渓太さん凄いな』と思っていたのですが、大学の1年を経験して、あの時の渓太さんの姿勢への見方が変わった。覚悟の違いだったり、本気度によって人はここまで変われるんだなと気づかせてくれたんです」

「鹿島のサイドバック」への挑戦。

 明治大サッカー部伝統の紫紺のユニフォームに輝く背番号2。常本のプレーは偉大な先輩たちの思いをしっかりと継承し、自分の色を足しながら、その価値を一層高めている。そして、その先には「鹿島の2番」を纏う自分の姿を想像し、覚悟を胸に宿らせている。

「明治大は常勝軍団としての責任がある。プロが決まったからといって中途半端なプレーを見せてはいけない。来年はさらに上の世界での常勝軍団の看板を背負わないといけないわけですから、その舞台にふさわしい選手、人間になっていないといけません。この半年間は明治大、鹿島という2つの自分の使命を共存させて、自分を高める重要な期間だと思っています」

 最後に常本は今後について「挑戦」と口にした。具体的にその内容を問うと、明確な答えが返ってきた。

「鹿島のサイドバックは伝統的に、90分間通して上下動とハードワークを当たり前のように求められる。そこにザーゴ監督が求める足元の技術、ボールポゼッション、ビルドアップへの関わりを加えると、あらゆる面をレベルアップしないと『鹿島のサイドバックのあるべき姿』には到達しません。本気でこの領域を目指して到達し、どんなシステムだろうが、どんな戦術だろうが、自分の力を発揮できるサイドバックになる。これが僕にとっての挑戦です」

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando