水を得た魚のよう、とはこのことか――。

 新型コロナ禍で多くの大会が中止となるなか、なんとか開催にこぎつけた陸上競技・中長距離の北海道におけるシリーズ戦「ホクレン・ディスタンスチャレンジ2020」で、数々の快記録が誕生した。

 女子3000mで田中希実(豊田自動織機TC)が18年ぶりの日本記録を樹立したほか、男子5000mの吉居大和(中大1年)、男子3000m障害の三浦龍司(順大1年)が、それぞれU20日本新記録を打ち立てた。

 なかでも強烈なインパクトを残したのが、群馬・東農大二高3年生の石田洸介だ。石田は7月18日のホクレンシリーズ最終戦の千歳大会で、16年ぶりに男子5000mの日本高校記録を塗り替える快挙を成し遂げたのだ。

 これまでの日本高校記録保持者は当時、仙台育英高に在籍していた佐藤秀和。佐藤の同級生は能力の高いランナーが多いいわゆる“黄金世代”で、「ダブル佐藤」と言われた佐藤悠基、竹澤健介、木原真佐人、阿久津圭司、そして北京オリンピックの男子マラソン金メダリストのサムエル・ワンジルや、箱根駅伝で活躍したメクボ・モグスら留学生とハイレベルな争いを繰り広げていた。

 ちなみに、のちにマラソンで大成した川内優輝も同学年だ。

大迫傑も届かなかった記録。

 その争いの中から生まれた佐藤秀和の記録は、この16年ものあいだ更新されなかった。つまり、大迫傑(Nike)や遠藤日向(住友電工)といった現在日本の第一線で活躍している猛者でさえも届かなかったということ。その猛者でさえも届かなかった境地に、石田はついに辿り着いた。

 その期待の高校生ランナーに、話を聞いた。

シューズも大迫と同じ新厚底。

 7月18日、この日の千歳は快晴だったが石田がスタートする17時には上空に雲がかかり、気温も20度を下回って絶好のレースコンディションになっていた。

 レースは、ペースメーカーのジョエル・ムァゥラ(黒崎播磨)がきっちりと1000m2分45秒ペースを刻むと、石田もそのペースに付いていき、3000mを8分15秒で通過。

 実は、シリーズ初戦の士別大会では3000mを8分10秒で通過したが後半に失速しており、残り2000mに課題を残していた。その反省を生かし、レースプランを練り直して臨んでいた。

 また、シューズも士別大会では持ち味の“スピードを生かす”ためにスパイクを履いていたが、千歳では“後半に脚力を残す”ことを重視し、大迫が東京マラソンで履いたことでも話題になったナイキの「新厚底シューズ」、アルファフライネクスト%に履き替えていた。

「(1000m)2分45秒ペースの練習はずっとやってきていたので、3000mまでは本当に余裕がありましたね。ラスト2周ぐらいで、場内アナウンスや係員の人から“高校記録いけるぞ”と言われて、もしかしたらいけるんじゃないかな、と」

実業団の格上の選手に囲まれて。

 残り2周からは目まぐるしく先頭が入れ替わり、塩尻和也(富士通)や伊藤達彦(Honda)らとの競り合いになったが、「上の世代の人と走るほうが気楽だし、箱根駅伝や実業団の舞台で活躍している名の知れた選手と走るのは光栄。純粋に楽しかった」と、格上の選手との勝負を楽しんだ。

 ラスト1周では、前を走る高田康暉(住友電工)が手招きしたのを見て、最後の力を振り絞った。

「持っている力を全て出し切ろうと、削り出すような走りをしようと思いました」

 そして、石田は3着でフィニッシュ。それまでの記録を約3秒も更新する13分36秒89の日本高校新記録を打ち立てた。

中学記録を引っさげ、群馬へやってきた。

 レース後のフィニッシュタイマーの前での記念撮影では、普段はクールな顧問の城戸口直樹も「私もいいですか?」と加わり、一緒に写真に収まった。

「3年間で一番うれしそうな先生の顔を見られて、よかったです」

 福岡県出身の石田は、浅川中時代に1500m、3000m、5000mの日本中学記録を打ち立て、早くから注目された選手だった。当然多くの強豪校から勧誘があったが、石田が進学先に選んだのは、地元から遠く離れた群馬の東農大二高だった。

「上から縛り付けられるのではなく、自分の考えを持ちつつ、先生と話し合って、良い方向に向かっていきたいという思いがあったのと、高校駅伝を走りたいと思っていた。その条件にちょうど合っていたのが東農大二高でした」

 しかし、高校進学後はなかなか思うような結果を残せなかった。インターハイ路線は、1年時は全国大会に出場できず、2年時は1500mと5000mで全国に進んだが、ともに決勝は9位と入賞を逃した。速さだけでなく、強さを追い求める石田にとって歯痒い結果が続いた。

「中学の顧問の先生からは“中学記録のことは忘れたほうがいい”と言われていたのですが、そんな簡単に忘れられるわけがなく、自分が思い描いている結果と実際の結果とのギャップが大き過ぎました。中学記録を持っていることのプレッシャーというよりは、自分が自分にかけるプレッシャーがかなり大きかったなって思います」

城戸口は順調だと思っていた。

 苦悩する石田に対して、城戸口はずっと「焦らなくていいよ」と言い続けてきたという。

「表に出さないまでも、石田がフラストレーションを抱えているのは感じていました。ただ、指導者目線でいうと3年計画で考えていて、5000mでは1年目14分9秒、2年目13分51秒と伸ばしてきていましたから、私にはイメージ通り。

 13分51秒で走った時は貧血上がりだったので、これは(高校記録更新も)いけるんじゃないかと思いました」

高校選びを後悔しかけたことも。

 城戸口の思惑通り、高2の終わり頃から石田は再び快進撃を始めた。石田が、自分自身へのプレッシャーから解放されたのもこの頃だったという。

「ここでは言いづらいんですけど、この決断(東農大二高への進学)が本当に正しかったのか……。正直、間違っていたんじゃないかと思ったこともありました」

 この取材はインターネットを使ってリモートで行なわれ、城戸口も同席していた。石田は隣に座る城戸口の様子をちらりと窺いつつ、そんな言葉を口にした。こんなことを恩師の前で言えるのも、確かな信頼関係を築けている証拠だろう。

「自分も諦めずにやってこられたし、先生もずっと支えてくださって、自分が納得できる結果をようやく残すことができた。3年目にして間違いではなかったことに気付けました」

 恩師との信頼関係を基盤にしたことで勝負強さを取り戻した石田は、今年1月の全国都道府県駅伝では5区で区間2位ながら、区間記録にあと2秒と迫り15人抜きの活躍。2月の日本選手権クロスカントリーではU20男子8kmで圧勝を収めた。

インターハイ中止をプラスに変える。

 そして、昨年悔しい思いを味わったインターハイでの雪辱を誓って、高校ラストイヤーに臨むはずだった。しかし――。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響により、目標としていた大会の中止が次々と決まった。

「高校記録と同じくらい、インターハイは大きな目標でした。なので、中止が決まって、走る意欲が湧かない日が続いてしまって。先生や家族、いろんな人から励ましの言葉をもらったんですけど、正直、素直に受け入れられない時もありました」

 そんな時に“インターハイがなくなったからこそ、できることがあるんじゃないか”と城戸口と話し合った。そこで高校記録を狙うこと、12月に延期が決まった日本選手権に挑戦することを新たな目標に立てたことで、石田のモチベーションも少しずつ上がっていったという。

パリ五輪の時には大学4年。

 緊急事態宣言下は全体練習が禁じられていたが、石田は帰省せず群馬に残り、個人でトレーニングを積んだ。もともと7月のU20世界選手権出場を目指していたこともあって、城戸口は春先から石田用のハードな練習メニューを立てていた。石田もその練習をこなした。そして、ホクレンでの快挙につなげた。

 本来であれば7月は連戦の最中で、城戸口は「インターハイが中止になったからこその記録」ともいうが、石田の視線はすでに先を見据えている。

「高校記録は、高校に入学した時には夢のような記録でした。その記録を切ることができて、素直にうれしい。同時に、記録だけじゃなくて勝負に強い選手にならないといけないという、目標が見つかりました。高校記録保持者なんですけど、その肩書きを背負うというよりは、いつもチャレンジャーの気持ちでいこうと思っています」

 そう、今年12月の日本選手権には“チャレンジャー”として勝負に挑む。石田にとってそれは、単なるチャレンジ以上に大きな意味合いを持つことになる。

「大学に進学予定ですが、大学4年時にパリ・オリンピックがあるので、そこで日本代表を目指したい。オリンピックの代表になるには日本選手権で勝つことが条件になるので、そのためにも、日本選手権はこういう試合なんだっていうのを今から肌で感じたい。結果はどうあれ、攻めていく姿勢を忘れずに経験を積むことが将来の目標を達成するためのステップになる。今年の日本選手権は、4年後を見据えた上での経験にしたいです」

大迫のトラックでの挫折さえも糧に。

 高校1年時の石田に目標の選手を尋ねたことがあった。何人か名前を挙げてくれたうちの1人に、大迫傑の名前もあった。今、改めて、東京オリンピック男子マラソン日本代表になった大迫の印象を石田に聞いた。

「日本の長距離界を盛り上げている人だと思っています。大迫さんがスピードを求めて海外に出ていって、海外で勝負して、オリンピック代表にもなって、それでもトラック種目では世界で歯が立たなかった。世界ってこんなに壁が厚いんだなって思い知りました。

 それで逆に、こういうことをしないと勝負はできないんだなとも思いました。自分にとっては、世界と戦うための、参考になるステップを重ねてきた方なので、大迫さんの行動はすごいと思うし、模範にしたいです」

 石田が見据える世界はどこまでも広がっている。高校記録樹立も、彼にとってはまだまだ序章に過ぎないのだろう。

文=和田悟志

photograph by Satoshi Wada