7月から各地で高校野球の独自大会が行われ、すでに決勝を迎えたり、終了した都道府県もある。

 長い梅雨が明け、試合も気温も熱を帯びる球場では、例年に比べて限られた視察の機会を逃すまいと、プロ球団のスカウトが目を凝らして選手を見つめる。

 その中に、今季からオリックスのスカウトに就任した乾絵美の姿がある。

 乾は元ソフトボール選手。捕手として2004年アテネ五輪で銅メダル、そして2008年北京五輪で金メダルを獲得した。

 所属チームの日立&ルネサス高崎(現・ビックカメラ高崎)でも、'08、'09年に主将として国内の大会すべてで優勝を果たし、26歳で現役を引退。

「自分の夢であった『オリンピックで金メダル』ということをかなえ、国内の大会でもすべて優勝して、もうこれ以上ない、やりきったなというのがあったので、区切りをつけさせてもらいました」

アカデミーの指導者としてオリックスに。

 引退した'09年の12月に、オリックスとの出会いがあった。オリックスは'10年4月に、小学6年生までの子供を対象としたベースボールアカデミーを創設することを目指していた。野球かソフトボールの経験があって指導ができる人材を探しており、乾にオファーした。

「調理師免許を取って母の実家の民宿を継ごうかな」と思っていたという乾は、そのオファーを受けて'10年1月にオリックスに入社。10年間、子供への指導や普及活動に取り組んできた。

 オリックスは毎年「オリックス・バファローズCUP」という小学生の大会を開催しており、その出場チームの中からメンバーを選抜してオリックスジュニアを結成し、「NPB12球団ジュニアトーナメント」に出場している。

 乾はそのオリックスジュニアで、過去に九鬼隆平(ソフトバンク)、西川愛也(西武)、藤原恭大(ロッテ)など、のちにプロ入りする選手たちを見てきた。今年、ドラフト候補として注目されている明石商高3年の来田涼斗もオリックスジュニア出身で、乾に強い印象を残した選手の1人だ。

乾自身も耳を疑ったスカウト就任。

 オリックスの森川秀樹球団本部長は、スカウトとして乾に白羽の矢を立てた理由をこう語る。

「球団に入ってからずっと子供たちに野球を教える仕事をしてきたので、アマチュアの野球指導者に非常に人脈があります。男性社会ではありますが、ソフトボールで金メダルを獲られている人ですから、野球指導者の方に一目置かれる存在ですし、野球を見る目もあるので、スカウトという仕事をやってみたら、いい成果が出るんじゃないかと期待してのことです」

 昨年末、牧田勝吾編成部副部長からスカウト就任の打診を受けた乾は、耳を疑った。

「オリックスは何を言い出したんだ? 大丈夫?」

 それでも、昨年まで長年スカウトを務めた牧田の言葉に心を動かされた。乾はこう振り返る。

「幸いにもオリンピックで金メダルを獲らせてもらった経験があるので、牧田さんには『世界でいろいろなことを感じた目を生かしてほしい』と。私には野球界の常識みたいなものはわからないんですが、それを知らないからこそ見えるものだったり、他の人とまったく違う視点から、選手を見てもらえたらありがたい、ということを言ってくださったので、やってみたら面白いのかな、というふうに感じましたね」

 2020年1月、日本球界初の女性アマチュアスカウトが誕生した。

球児を見る視線がまったく違う。

 年明けから早速、社会人や大学、高校への挨拶回りが始まった。新型コロナウイルス感染拡大の影響で4月からはスカウト活動がストップしたが、6月から徐々に動き出し、高校の独自大会が行われている現在は、担当する関西2府4県と静岡県の球場に足を運ぶ毎日だ。

 実は昨年の夏も、乾は大阪市舞洲にある大阪シティ信用金庫スタジアムで大阪大会を見守っていた。この球場はオリックスが管理しており、そこで行われる大会への対応も乾の仕事の一環だった。ただ、その時と今では球児を見る視線がまったく違う。

「去年は、『暑い中、高校生よー頑張ってるわー』って、近所のおばちゃんみたいな感覚で見ていましたから」と笑う。

“高校生たちの本気”で戻った感覚。

 今はスカウトとして、プロで活躍できる選手かどうかを見極めなければならない。

 当初は、「引退して10年経つので、現役の頃に自分が持っていた、キャッチャーとして人を見たり感じる力というか、考える脳が、果たして機能するのか。感覚が戻るんだろうか」という不安があった。

 だが、独自大会で選手たちの真剣勝負を見つめるうちに、徐々に感覚が戻ってきていると言う。

「練習試合とはまた違った、それぞれが強い思いを持って臨んでいる高校生たちの本気の試合を見せてもらうことで、『あ、こういうところを見てたな』とか、『そういえば自分はこんなことしてたな』と気付くところがありますね」

やりづらさはないが、難しさはある。

 NPBの球団スカウトは、ほとんどが元プロ選手の男社会。だが、乾はやりづらさを感じることはないと言う。

「基本的に、元プロ野球選手でスカウトをされる方々というのは、すごく優しい方が多いのかなという印象です。私が、『これってどういうことなんですかね?』と聞くと、皆さん本当に親切に教えてくださいます。『大変やと思うけど頑張ってなー』とか、『球団は違うけど、応援してるから』と言ってくださったり、こそっと『こういうとこ見といたらいいよ』と教えてくださったり。周りの方に恵まれて、本当にありがたいなと思っています」

 乾自身の明るく親しみやすい性格も、敷居を取り払うのに一役買っていそうだ。

 一方で、難しさを感じるのは、スカウトが選手と直接コミュニケーションを取れない点だ。

「人間性というか性格を、その選手としゃべらずに見抜くのは大変ですね。直接話すことができれば、受け答えの中で『こういう子かな』という判断はできると思うんですが。技術は、見ていればある程度、いいものを持っているなとわかるんですけど、内面的な本質を見極めるのはすごく難しいなと感じています。

 技術がいいからプロには入れたけど、でも人としてどうなの? という選手では、伸びるものも伸びない。プロになったからには、やっぱりファンから応援される選手になってもらいたいし、チームメイトから慕われる、人間性も素晴らしい選手にきてほしいなと思うので、そういうところもしっかり見極める力や目を、自分の中に築いていけたらなと思っています」

乾が見る“立ち姿”とは?

 直接、接することができない中で、乾が選手を見る時に注目しているのは“立ち姿”だ。

「私の勝手な感覚なんですけど、胸を張って、常に顔を上げて周りを見ることができている選手というのが、一番最初に目に留まりますね」

 現役時代は上野由岐子とバッテリーを組み、五輪金メダルという偉業を達成した選手たちを見てきた乾にとって、何かを成し遂げる選手の大前提は、気持ちの強さや泥臭さだと話す。

「絶対こうなってやるんだとか、絶対にこの大会に優勝するんだとか、そういう気持ちが前面に出る選手。今の時代に、気持ちが強いとか、負けん気が強いという言葉は古いのかもしれませんが、そういう泥臭さやある意味、昭和の選手というか、そういう部分を持っている子は強いのかなと感じます。なんとなく周りに合わせとけばいいとか、変に目立たないほうがいいのかな、というような選手が多いと感じるので」

「自分の強みをアピールできる選手」

 加えて、乾が望むのは個性だ。

「自分はこれが得意なんだという部分を、強烈にアピールできること。トータルバランスの取れた選手より、極端に言えば、『オレ守備はめちゃくちゃ下手くそですけど、スイングだけは誰にも負けません』というぐらいに、『オレはここで勝負する』という長所を思い切って表現できる選手のほうが、プロでは通用するのかなと感じるんです。

 実際自分が日本代表にいた時は、めちゃくちゃ強烈な個性の集まりでした。自分の長所をわかっている強い個が集まった集団だったかなと思う。自分の強みを知っていて、それをアピールできる選手が強いというのはすごく感じます」

 勝利を引き寄せられる個性を探し、見極める毎日。金メダリストの目にかなった原石が、いずれオリックスを引っ張る存在に成長することを期待したい。

文=米虫紀子

photograph by Noriko Yonemushi