レノファ山口のMF佐藤健太郎が、間もなく節目の瞬間を迎える。第10節終了時点でJ2リーグは通算306試合、J1リーグは92試合に出場。J1・J2通算400試合出場まで、あと2試合となった。

 名張西高(三重)、順天堂大を経て2007年にモンテディオ山形に加入。35歳、14年目を迎えたプロキャリアを振り返ると、毎シーズン、コンスタントに試合出場を重ねていることが目を引く。

 山形での2年目以降、'12年に移籍したジェフユナイテッド千葉、'16年にプレーした京都サンガF.C.で、コンスタントに年間リーグ戦30〜40試合に出場。'17年から在籍する山口で負傷離脱したシーズンもあったが、プロ1年目を除けば常に20試合以上に出場している。

 J1・J2通算の得点はわずかに3で、'12年以降は無得点。目に見える結果はなくとも、優れた危機察知能力を生かしたボール奪取と、利き足の左足から繰り出す的確な配球が持ち味のボランチとして、歴代の指揮官の信頼を勝ち取ってきた。

財前宣之、宮沢克行との出会い。

「縁があって、いろいろなクラブでプレーさせてもらい、いろいろな人に影響を受けてきました」

 そう語るプロキャリアの原点は、山形での出会いにあるという。

 '07年、佐藤が加入した山形に30歳のMFがいた。財前宣之と宮沢克行。チームの主軸だった2人から学んだのは、ピッチ上のプレーだけではない。

「どんなときも一喜一憂せず、試合に向けて淡々と準備する姿を見て、かっこいいと思いました。それから、自分もそうなりたいと思って心掛けています」

「1、2年目で出会う先輩は大事」

 2人とも声で引っ張るのではなく、背中で見せるタイプ。それでも「ピッチに入ったときの集中力や、それ以外の準備などを見て、すごいと思った」と振り返る。「プロ1、2年目にどういう先輩を見て、どうなりたいと思うかは、すごく大事だと思う」と考える佐藤にとって、幸運な出会いだった。

 30歳は、ベテランと呼ぶには少し早かったかもしれないが、多くの経験を重ねてきた2人の話も、佐藤にとって貴重なものとなっている。

「ザイさん(財前)からは、何度もヒザの大ケガをして、どうやって自分をコントロールしてピッチに戻ってきたのか、という話を聞きました。宮沢さんは浦和レッズ時代、メンバー外で試合に絡めず、河川敷で2〜3人で練習したことがあるそうです。状況が良ければ、誰でも良いプレーができますが、そうではないときに、どう行動してきたか。そこでやめたら終わってしまうけど、経験を生かしている。そういう話が、すごく勉強になりました」

行く先々で学んだベテランの姿勢。

 山形を離れてからも、ベテランの背中を追い続けてきた。

「千葉では山口智さん、『隊長』坂本將貴さん。京都には、いまでも現役の山瀬功治さん(現・愛媛FC)がいて、山口にもツボさん(坪井慶介)がいました。長くプレーしている選手には、それだけの理由がある。近くで見て、肌で感じてきました」

 今季は開幕から控え、交代出場、先発、ベンチ外と、試合ごとに自身の状況が変化しているが、黙々と準備を続けている。財前と宮沢から最初に影響を受け、ベテランの姿から学んできた、一喜一憂しない取り組みだ。

「シーズンを通して、できるだけ良い状態を維持しようとするとき、浮き沈みがあると、しんどいんですよ。体ではなく、メンタルがもたない。チームや自分の状況は、シーズンが進む中で絶対に変わります。セルフマネジメントの1つですね」

J2最年少得点の河野に「すごい」。

 8月14日で36歳になる。チーム最年長、在籍4年目の最古参で、背中を追い続けたベテランと同年代になった。それでも参考にしているのは、自分の指針となった先輩たちの姿だという。

「相談はできないので、想像しています。『こういうとき、あの先輩なら、どうするかな』とか『どんな振る舞いをするのかな』と。参考になる方が、たくさんいましたからね」

 かつての自分のような立場の後輩とは、一選手として、同じ立ち位置であることを意識している。高いレベルでコンディションを整え、ポジション争いに臨む。7月29日のJ2第8節、V・ファーレン長崎戦では2種登録のMF河野孝汰が、16歳11カ月17日でJ2史上最年少得点を決めた(8月1日にプロ契約)。「自分があの年齢のときに何をしていたかを考えたら、堂々としていて、すごいですよ」と語る一方、「活躍は刺激になりますけど、負けたくないですね。自分も活躍したい」とライバル心を燃やす。

「チームメイトに認められないと」

 出場機会を得るためには、監督に信頼されなければならない。「目指すスタイルを理解しないと、自分をそこに落とし込むことができません。まずチームありきで、自分を微妙に変化させてきた」が、「監督の方だけを向いてはいない」とも言う。これまでの経験から「チームメイトに認められないと、絶対に良いプレーはできない」と確信しているからだ。

 山口の霜田正浩監督は「監督になって3年目ですが、そのときより成長している選手の一人。30歳を過ぎても成長できることを証明してくれている」と称賛。肉体的な衰えは認めつつ、「スキルの高さや判断力はチームで一番だと思っています。彼が入ることでボールが落ち着いて、ビルドアップが安定する。まだまだ頑張ってほしい」と期待を寄せる。

どこまでできるか、どう変化するか。

 ベテランから学び、一喜一憂せず、淡々と取り組み続けて、まもなく400試合。キャリア終盤の目標を、どう定めているのだろうか。

「とにかく、行けるところまで行きたいです。若いときは、J1や日本代表といった高みを目指していました。もちろん、いまもJ1はチームと個人の目標ですが、それだけでなく、サッカーの奥深さと、そこに向かう上での人としての奥深さの探求を目指しています。どこまでできるのか、その中で自分がどう変化するのか。そう考えているとモチベーションは尽きないし、どこまででも行けそうな気がするんです」

 そのためにやることは、これまでと同じ。

「新型コロナウイルスの影響で、気分良く活動できるところが少ない世の中にあって、好きなサッカーができているのは幸せなことです。試合に出る・出ないや、チームの勝敗にかかわらず、やるべきことをやっていきたい。こいつを応援して間違いなかった、という取り組みを、今後も続けていきます」

文=石倉利英

photograph by RENOFA YAMAGUCHI FC