甲子園は巨大なファンと、同じく巨大なアンチを抱える一大ジャンルだ。
そして2020年は、春夏の甲子園中止をきっかけに「甲子園とは何なのか」という問いが再燃した年でもあった。
デビュー作『ひゃくはち』で高校野球の裏表を描ききった早見和真さんと、
松井秀喜の5敬遠や金足農業など多くの高校野球取材を重ねてきた中村計さん。
ともに高校時代に野球部に所属した経験を持つ2人の対話は、スリリングなものだった。

――高校野球の世界を描いた『ひゃくはち』は第1作とは思えないほど完成度が高いですよね。桐蔭学園高校で野球をやっていたくらいですから、高校野球には相当、思い入れが強いと思うのですが、しっかり距離が保たれているし、構成も練られている。

早見「これまで全部で13作、小説を書いているんですけど、唯一、『ひゃくはち』は客観的に書けてないんです。なので、あれだけは今も読み返せません」

――そうでしょうか。ミステリー小説風でもあり、じつにうまいなと思いましたが。

早見「どうして大事なデビュー作の題材に高校野球を選んだかというと、すごく個人的な話なのですが、たぶん高校野球を恨んでいたからです。あれを書かずには先へ進めなかった。高校を卒業してから、高校野球も、プロ野球もずっと観ていなかったんです。野球をやっていた気配も消していたくらいでした」

――恨んでいるというのは?

早見「何も得られなかった、という感覚だったんですかね。結局、野球は自分を幸せにはしてくれなかったと。まぁ、逆恨みではあるんですけど」

――野球選手としては、小さい頃から地域では有名だったんですよね。

早見「嘘か本当かわからないですが、小学校6年のときにプロのスカウトが観に来た、みたいな噂がありました。小学生のときは甲子園にいる自分が想像できたし、自分への期待がいちばん高かった。

 付属の桐蔭学園中学には、半推薦のような形で入れてもらいました。当時、桐蔭学園高校は黄金期で、高1に副島孔太さん(元ヤクルト)がいて、高2に高木大成さん(元西武)がいました。もちろん先輩たちの技術は際だっていましたけど、自分も高校生になればあれくらいになれるのだろうと。

 でも、中学2年に上がったとき、高校に高橋由伸さん(元巨人)が入学してきたんです。由伸さんのバッティングを見たときはショックでしたね。何年やっても絶対にこんな風にはなれないと一瞬で悟らされましたから。振り返れば僕の野球人生はあそこで完全に終わっていました。野球に関して言えばあとは余生みたいなもので」

――高校入学後、2年春、3年春と、チームは選抜大会に出場していますが、ベンチ入りはできなかったんですよね。

早見「中学に入ったぐらいから自分が伸びていない感じがありましたし、高校に入ってからは完全にチームの賑やかし役でした。バカやって監督の歓心を買うことでしかベンチ入りする道が見出せなくて。

 でも、結局は報われませんでしたね。ある時、記者がやってきて、監督に『ムードメーカーは誰ですか?』みたいな質問をしたことがあったんですが、まったく的外れな名前が出てきたんです。ああ、何も見てくれていないんだなと思っちゃって」

野球推薦を断れたことが人生を決めた。

――『ひゃくはち』では甲子園のベンチ入りメンバー発表の瞬間が描かれていますが、あそこも名シーンのうちの1つです。これは経験した者でないと書けないと思いました。

早見「今でもメンバー発表で背番号をもらえる夢を見るんです。『15番、早見!』って言われて、心の底から喜んでいる。で、目が覚めてがっかりする。43歳にもなってるのに。そこまでのものって僕の人生の中では甲子園だけです」

――2年春、3年春と、スタンドで応援していたわけですね。

早見「3年春は甲子園練習のときにグラウンドに立っています。整列したとき、どうしてかわからないんですが猛烈に欲情しました(笑)。初めてですよ、異性以外のものにあんな感じで興奮したのは。

 ピッチャーの練習用打者として、打席にも立ちました。監督に僕をベンチ入りさせなかったことを後悔させたくて、ばかばか打ってました(笑)。

 ただ、練習だけでも、球場に飲まれる感覚がありましたね。アリ地獄の底というか、お椀の底の中心にいるような感覚で。フェンスがすごく遠くて、ここでホームランを打つやつって本当にすごいな、って素直に思えました

――大学時代は、もう野球をやらなかったんですよね。

早見「高校のとき、補欠ながら野球推薦の話もあったんですが断りました。あのとき断れたことが、今の自分の人生を決定づけたと思っています。

 同学年で大学を一般受験したのは自分も含めて数人しかいませんでした。他のチームメイトが、あいつら何考えてんだという目で見ていたのを覚えています。でも、野球はもう何も自分にもたらしてはくれないだろうとわかっていたので」

――國學院大学に入学して、そのときから雑誌等に寄稿をするようになったんですよね。

早見「大学は7年間いて、最終的に中退しているんですけど、延べにしたら3年くらい海外に行ってると思います。いわゆるバックパッカーです。

 とにかく野球から遠く離れた生活をしたくて。それで『AERA』に世界遺産の記事などを書かせてもらっていました。でも、フリーライターで食っていけるとは思わなかったので、就職活動をして、朝日新聞から内定をもらいました。ただ、卒業単位を取り切れず、内定の話もなかったことになってしまって。

 そこから自暴自棄になって、大学も行けなくなってしまい、2カ月半くらい、引きこもっていました。そうしたら、ある日、よく飲みに連れて行ってくれていた編集者から電話があって。新宿三丁目で飲んでいて、初めて高校時代の話を他の人にしたんです。そうしたら、高校野球の小説を書いてごらんよ、と」

原稿用紙1300枚分の不満、恨み、憧れ。

――すぐに書いてみようと思ったわけですか。

早見「人生のラストチャンスだと思いました」

――すんなり書き進められるものですか。

早見「不思議なんですけど、あのときほど自信をみなぎらせて書いたことはなかったですね。だから今、恥ずかしくて読めないのかもしれません」

――どれぐらいの時間をかけて書き上げたのですか。

早見「すごくかかりました。ほぼ、その原稿しか書いていないのに2年半くらい。最終的に原稿用紙480枚くらいで世に出たのですが、初稿は1300枚ほどありました。高校野球に対する不満、恨み、憧れを全部、吐き出したので。初稿を書き終えてから削るのにさらに2年くらいかかってるんじゃないかな」

――自分でそれだけ削るとは……。想像を絶する作業ですね。

早見「でも、あの作業が小説家としての足腰を鍛えてくれたような気はしています」

文=中村計

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