10月26日に開催予定のプロ野球ドラフト会議。コロナの影響でセンバツも夏の大会もなかった今年は「甲子園ヒーロー」がいない特別なドラフトになる。そこで、本誌がこれまで掲載した「プロ野球ドラフト会議」に関する記事のなかから人気があったものを特別にWebで公開する。【初出:Sports Graphic Number 963号(2018年10月11日発売)「大谷翔平 旋風の軌跡。『甲子園ヒーローの「決断」』」/肩書などはすべて当時】
 2018年の甲子園を沸かせ、その進路に注目が集まった金足農・吉田輝星。彼の前にも、聖地にヒーローが現れるたび、プロ入りか進学かが話題になってきた。本人の夢、家族の希望、球団の評価、関係者の思惑。彼らがいかに決断したのか、その分岐点を探った。

 進学が既定路線だったものの、甲子園で活躍して注目を集めたために、プロに気持ちが傾く――。

 今年で言えば、夏の甲子園で準優勝した金足農の吉田輝星がそうだった。

 よくある話であると同時に、当然のことでもある。

 甲子園における1試合は半年の練習に匹敵する、と言われることがある。言い過ぎかもしれないが、甲子園で数試合を経験した後の自分は以前とは「別人」と言っていいだろう。大舞台を踏み、そこで勝利を重ねた経験は「青年」を「大人」に変える。

吉田輝星 プロスカウトもこぞって「1位指名」

 吉田はこの夏、3回戦の横浜戦の最終回に当時自己最速タイの150kmをマークし、自分の成長ぶりをこう語った。

「県大会の初戦で(150kmを)出したときは、力を入れて出したんですけど、このときは、疲れた中で、まったく無駄のないフォームで150kmが出た」

 また、秋の国体では、それを上回る152kmをマークし、「腕が振れていた。これは出たなと思った」と振り返った。

 吉田の体の中では、夏前とはまったく違った感覚が生まれているはずだ。プロスカウトもこぞって「1位指名」と評価する。

 成長が著しいときに、背伸びをしてでも少し上のレベルに挑む。すると、さらに眠っていた力が目覚めるときがある。そうした瞬間は競技生活の中で、そう何度も訪れるものでもない。

 プロに行きたがる高校生を大人は「若気の至り」ととらえがちだが、真に才能のある選手は、本能的に自分の「売り時」を知っているものだ。その瞬間を逃したくないというのは、アスリートとして当然の心の動きだろう。

 過去、吉田と同じような境遇に立たされた選手は何人もいる。

斎藤佑樹 「早大に入って六大学野球でプレーする」

 近年で言えば、2006年夏に早実を全国優勝に導いた斎藤佑樹(日本ハム)がそうだった。力で押すパワースタイルの投手が、決勝のときには「120kmのボールで抑えられるんだったら、そっちの方がいいですからね」と、低めを丹念につく老獪なベテラン投手のようになっていた。

 ひと夏でシンデレラボーイとなった斎藤も、プロ入りを表明していたならば、1位指名は確実だった。斎藤も少なからず揺れただろうが、最終的には「早大に入って六大学野球でプレーするために早実を選んだ」という当初の目的を貫いた。

 斎藤の場合は、漠然とプロ野球選手を夢見ていたものの、当時、そこまで具体的にプロ入り後の自分を思い描けていなかった。周囲は盛り上がっていたが、斎藤の心はそれについて行けていないように映った。

 早実の場合は、よっぽどのことがない限り、名門・早大に進める。プロに入って失敗したときのリスクを考えたら、相当な覚悟と自信がなければ、高卒でプロの世界に飛び込むことはできないだろう。

 だが、それを実行した男がいる。

 昨年のドラフト会議で7球団から1位指名を受け、日本ハムに入団した清宮幸太郎である。

清宮幸太郎 「大学に行ったら、野球に割く時間が少なくなる」

 清宮は家族会議の席で、進学した場合のメリットとデメリット、プロへ入った場合のメリットとデメリットを挙げ、それぞれホワイトボードに書き出したという。その上で、「野球のことだけを考えたら、進学するメリットはほとんどなかった」とプロ入りを表明するに至った。 

「大学に行ったら人脈が広がるとか、キャンパスライフが楽しめるとかありますけど、僕はやっぱり野球がしたかったんで。大学に行ったら、野球に割く時間が少なくなる。決め手はそこですかね」

 清宮の説明は明快だった。

 往々にして高校生は少しでも早くプロに行きたがり、周囲の大人は時期尚早と進学を勧めがちだ。進学した方が人間の幅が広がるといった助言をする大人もいるが、それはどこかに「野球で失敗したときのために……」という保険的な意味合いが込められている。

 だが、清宮は言ってみれば、野球の神様から選ばれた男である。その彼に、保険など無意味である。

「売り時」を逸し、後悔する選手もいる。

池邉啓二 「キャンパスでランチを食べるとか……」

 ’00年夏に智弁和歌山の主砲として全国制覇に貢献した池邉啓二だ。池邉は高校卒業後、慶応大、新日石ENEOS(現JX-ENEOS)でプレーを続け、2014年を最後に引退した。

 高校時代、池邉はプロ志望を表明すれば指名が確実視されていたが(当時はプロ志望届提出は義務付けられていなかった)、進学の道を選ぶ。当時の心境をこう語る。

「どうしても大学に行きたかったんですよね。高校時代があまりにも厳し過ぎたので、遊びたいというのもあった。キャンパスでランチを食べるとか、大学への憧れもあって。実際、一般学生との交流もほとんどなくて、思い描いていたほどのものではなかったんですけど……」

 池邉は慶大で伸び悩んだ。

「天狗になっていたんでしょうね。大学は本当に練習が短いんですよ。こんなんでいいの? って。最初の方、ちょっと結果が出たもんだから、やんなくて結果が出るならいいか、と。人間って楽な方、楽な方にいっちゃうもんじゃないですか」

 池邉の話を聞いていて思うのは、やはり力があるのなら、少しでも早くレベルの高い環境に身を置いた方がいいということだ。今の自分よりもレベルの低い環境に入ってしまうと、そのレベルに引っ張られてしまうということもある。それも実力のうちと言ってしまえばそれまでだが、水が合う合わないもあるし、やはり環境は大事だ。

 大学時代、池邉が何度となく口にしていたのは「高校のときにプロに行っていたら……」という後悔だった。

 結局、池邉は慶大で高校時代のようなインパクトを残すことができず、大学4年時にプロ志望届を出したものの指名する球団は現れなかった。

 行けるときに行きたい――。スカウトから注目されている高校生がよく吐くセリフである。それに対し、多くの大人はこう言って諫める。大学に行ってからでも遅くない、大学でつぶれるようならそこまでの選手だ、と。

 だが、こうしたやりとりは、かみ合っているようで、どこかかみ合っていない。

 高校生は失敗してもいいからプロ野球選手になりたいと言っているのに対し、大人は失敗したときに後悔するからもっと慎重になりなさいと諭している。

日大三カルテット 「現役を続けているのは“1人だけ”」

 そんな真っすぐ過ぎる高校生の気持ちを汲んで、プロ入りの夢を積極的にかなえてやろうとした指導者もいる。日大三の小倉全由(まさよし)だ。2001年夏に全国制覇したときには、内田和也(ヤクルト4巡目)、千葉英貴(横浜6巡目)、都築克幸(中日7巡目)、近藤一樹(近鉄7巡目、現ヤクルト)と4人もの選手をプロへ送り出した。

「俺も小さい頃はプロ野球選手になりたかったもん。できればその夢をかなえてやりたいじゃないですか」

 特に都築は、すでに日大への進学が決まっていたものの、本人の希望をかなえてやりたいと小倉は日大サイドに頭を下げた。にもかかわらず、日大に突っぱねられたため、最後はケンカ別れになった。小倉は「なんで子どもの夢をわかってやらねえんだ!」とカンカンになり、その後、しばらく日大へは選手を送らなかった。

 ただ、その4人のメンバーの中で、今も現役なのは近藤1人だけで、他の選手は早々に解雇された。プロの世界のあまりの厳しさにショックを受けた小倉は一転、以降は、あまりプロ入りを勧めなくなった。

 2011年に優勝したときも何人ものプロ注目選手を擁していたが、全員が進学した。その中には、高校時代ならプロに行けただろう選手もいるし、進学したことで評価が上がり4年後、逆にドラフト指名を受けた選手もいる。

 プロ入りさせてやるのも親心ならば、それを思いとどまらせるのも親心。どちらが正しく、どちらが間違っているという種類のものでもない。

 ただ、自分で決断すれば、どんな結果になろうとも納得できるのではないか。

 プロ入りして芽が出なかった選手に話を聞くと、だいたい同じような話をする。小さい頃から夢見ていたプロ野球選手になれて幸せだった、と。

 強がりかもしれないが、そう言えればまた新しいスタートを切れる。

文=中村計

photograph by KYODO