10月30日にセ・リーグ連覇を果たした読売ジャイアンツ。選手、指導陣ともに噛み合った戦いぶりが印象的だった。その象徴的なシーンや指導法を扱ったコラムを再配信する。(初公開:2020年10月9日)

「いつか原辰徳監督の甥ではなく、菅野智之の伯父が原辰徳監督だと言われる投手になりたい」

 1年間の浪人生活を経て、晴れてドラフト1巡目指名で巨人入団が決まった直後に、菅野智之投手が語っていた“目標”である。

 アマチュア球界の巨星・原貢の孫にして、現役時代は巨人の4番を張り、現巨人監督でもある原辰徳の甥っ子。菅野が小さい頃から常に背負ってきた原家の呪縛。

息子・辰徳を指導する原貢監督 1975年撮影(C)KYODO

「そりゃあ家族が集まれば私と辰徳は野球の話ですよ。それで朝起きれば、それランニングだ、暇があれば腹筋をしろと。それが終わったら、食事の前に宿題だと。そういう感じになる」

 こう語っていたのは幼かった菅野を投手の道へと導いた貢さんだった。

「オマエさんは投げることしかできないよ」

「トモは子供の頃はバッティングが好きで内野ばかりやっていた。でも、ひょろひょろっと身長ばかりが伸びて、膝がエックス脚だったんです。内股というのは、力がきちっと入ればいいんだけど、その力が入りにくい。しかもあの子は膝の関節と股関節が固かったから、内野手には向かなかったんです」

 ただ、その一方で目をつけていたのが手首の柔らかさと指の長さだった。

 そこで貢さんはことあるごとに菅野にこう話したという。

「いつも“オマエさんは(本格的に野球をやるなら)投げることしかできないよ。一生懸命ピッチャーの練習をしなさい”と言って、投手に専念させたんですよ」

 そうして相模原市の新町中学校に入学した菅野は、その日に頭を坊主にして本格的に投手として野球に取り組む決意をした。

菅野の投手としての最大の魅力であり、欠点とは?

 貢さんもまた東海大系列校野球部総監督として、菅野が歩んできた東海大相模高校、東海大学というアマチュア時代の全てを見てきたのである。

 そんな貢さんが菅野の投手としての最大の魅力であり、欠点であると指摘したのが「責任感の強さ」だった。

「あの子は『いくか?』と聞かれれば、絶対に『行きます!』と答える子なんです。自分が投げているときはとにかく完投したい。リリーフの負担を軽くしたい。それがトモの性格の強さなんだ」

 貢さんの分析だ。

「ただアマチュアならいいですけど、プロの世界は違う。プロの世界はシーズンを通してどれだけチームに貢献できるか。それが優勝するためには重要なんです。そのことを肝に銘じて、引くところでは引けるようになれれば、あいつは本当にプロの投手になる」

東京ドームでの観戦から5日後に……

 貢さんがこんな話をしていたのは2014年の4月29日のことだった。東京での菅野の先発試合はほとんど観戦し、この日も東京ドームのヤクルト戦に菅野が先発するため駆けつけ、“愛弟子”の成長を楽しみにしていた。

 しかしそれからわずか5日後の5月4日、貢さんは心筋梗塞と大動脈乖離で倒れ、20日余の闘病の末に帰らぬ人となったのである。

 あれから6年が経った2020年10月6日の東京ドーム。

 この日のDeNA戦に先発した菅野は、7回120球を投げて4安打3失点でマウンドをセットアッパーの中川皓太投手に譲った。最後を守護神、ルビー・デラロサ投手が締めてチームは6対4で勝利。

 菅野は自身が開幕投手から続けてきた連勝をプロ野球記録の13へと伸ばし、平成生まれとしては初の通算100勝をベンチから見届けたのである。

決して絶対的なピッチングが続いているわけではない

「先人たちが築き上げてきた記録は、なかなか抜けないものだと思っていた。それを更新できて嬉しいですし、まだまだ伸ばしていきたい」

 ヒーローインタビューでこう語った菅野だが、決して道のりは平坦ではなかった。

「改めて野球というのは助け合いのスポーツなんだと実感しています」

 勝ち続けているが決して“快投乱麻”、絶対的なピッチングが続いているわけではない。

 記録達成のこの日の試合も序盤から抜け球が多く、持ち前の制球力で苦しむ内容だった。

 3回には先頭の大和に四球を与えて、送りバントに安打の一、三塁から犠飛で1失点。さらに4回には1死から佐野恵太外野手に二塁打を浴びた直後に5番のホセ・ロペス内野手に左翼スタンドに運ばれた。

 いずれも真っ直ぐが少し高めに浮いた失投をとらえられたものだった。

打線を信じ、自分の後を引き継ぐリリーフ陣を信頼して

 6月26日の神宮球場でのヤクルト戦は6回途中で5失点して、事実上のKO降板と言ってもいい内容だったが、味方打線の大量援護で負け投手を免れてもいる。

 一方、9月1日の東京ドームのDeNA戦では1点リードの8回まで4安打10奪三振で1失点という好投をしながら、2死から連続四球を出してバトンタッチした中川が同点打を打たれて白星が消えたこともあった。

「(連勝記録は)自分だけはどうにもならない。正直、自分がいいピッチングをしても勝てない時もありますし、こうやって3点、点の取られ方もフォアボールから失点したりで良くない。そういう時に(打線に)助けてもらっているというのもある」

 それでも打線を信じ、自分の後を引き継ぐリリーフ陣を信頼して、引くところは引いてゲームを作り上げていく。

 そういうピッチングをできるようになった結果が、この連勝記録に繋がったのだろう。

原監督「トモは僕の現役時代をもうとっくに乗り越えた」

「いいピッチャーとは人それぞれあると思いますし、それぞれに美学もあると思いますが、ただ1つだけ言えることは、(原)監督もよく言いますけど、いいボールを投げる寸評会じゃないということ。どんなにいいボールを投げても、打たれたら元も子もない。野球ってそういう競技だと思います」

 プロ野球でこれだけ実績を積み重ねてきても、今季は新たな境地を求めて新フォームに挑戦した。完璧を求め、更なる高みを目指す気持ちに変わりはない。

「プロに入る前は160kmを投げたいと思っていましたし、それはアマチュアだから目指すべきところであってもいいと思う。ただ、プロに入って野球によってお金をもらうということは自分自身だけの自己満足じゃどうにもならないと思います。夢を追うにも限界がある。そういうことに気づいたのは結構早かったかもしれない。割と早い段階でそっちのマインドにシフトしたと思います」

 ただ、1度マウンドに上がれば、チームの勝利を至上命令に、自分を捨ててただ勝つことだけを目的に投げる――そういう野球を求められるのもまた、原家の呪縛なのである。

 その呪縛を乗り越えて作り上げた記録に意味があった。

「トモはね、投手として、プレーヤーとしては僕の現役時代をもうとっくに乗り越えた選手になっていますよ」

 原監督がこう語っていたのは2年連続最多勝と沢村賞に輝いた2018年のことだった。

 菅野智之はもう何者でもない。

 菅野智之となったのである。

文=鷲田康

photograph by KYODO