11月23日、今年の沢村栄治賞の受賞者が発表され、中日・大野雄大投手(32)に贈られた。中日の投手が受賞するのは、川上憲伸の2004年以来、16年ぶりという快挙。7つある選考基準うち、両リーグトップの10完投、防御率1.82、勝率.647と両リーグで唯一3項目をクリアする文句なしの受賞となった。

 そんな大野選手は以前に「本当に怖い打者」についてこんな証言を残している。今回は特別にその記事を公開する。
<初出:Number912号(2016年10月6日発売) 『ライバル投手が語る “本当に怖い”スラッガー(大野雄大編)』/肩書きなどは当時のままです>

 真っ向勝負のつもりはなかった。7月27日、ナゴヤドームでのDeNA戦、8回2死走者なし。中日のエース大野は相手の4番筒香を打席に迎えていた。0−1とビハインドだったが、追加点を与えなければ、逆転の可能性は十分にある。四球で歩かせてもいい場面だった。

「一発だけはいけない場面で、それはわかっていました。チームとして、そういう打ち合わせもしていたので」

 前年の筒香との対戦成績は15打数10安打。“ヘビとカエル”の関係だった。試合前のチームミーティングでも筒香との勝負は極力避けるという確認をしていた。

 だが、その初球、外角を狙ったストレートが内角高めに抜けると、筒香がこれを豪快に空振りした。この瞬間、大野の中である感情が芽生えた。

「ボール気味の球をものすごい空振りしたんです。あれで、俺の真っ直ぐはこういう打者から空振りを取れるんだ、力で抑えたい、と思ってしまった。たかがワンストライクなんですけど、(対抗心に)火がついてしまったんですよ」

「あの打席のピッチングは自己満足でしかないです」

 大野が上がるマウンドは常に勝利を期待される。ただ、筒香の1つの空振りが投手の本能を刺激した。エースは背負っている使命を忘れ、個人の勝負に没頭した。

 3球目、決めにいったスライダーが高めに浮いた。白球はあっという間に右翼スタンドに吸い込まれていた。絶対に打たれてはいけない一発を浴び、チームはそのまま敗れた。

「低めを突いて内野ゴロを打たせるか、それに手を出さなければ、最悪、歩かせてもいいと思っていました。ただ、あの空振りで……。あの打席のピッチングは自己満足でしかないです。監督やコーチ、チームメートにも随分と言われました」

 チーム方針を見失ったエースに、ベンチの冷たい視線が突き刺さった。

エースの立場を忘れて戦いたくなる“凄さ”

 それから約1カ月後、大野は、再びナゴヤドームで筒香を打席に迎えた。そして、この時、エースは自分を捨てた。

「投手としては情けないですけど、追い込んでからクイックで投げたんです。三振を取ったんですが、筒香も『なんや、あのピッチング』と思っていたはずです。不満そうな顔をしていました。テレビで見ている他球団の選手にも『なんや、大野さん、クイックで投げてる』と思われたかもしれない。でも、そうするしかなかった。自分を曲げても、勝たないといけなかったんで」

 走者がいないにもかかわらず、打者のタイミングを外すためにクイックモーションで投げる。これは選手間で“男を下げる”行為と見なされる。エースと4番の対決では特にそうだ。横綱同士の取り組みで立ち会いに変化することと似ているかもしれない。ただ、大野はそれも覚悟の上で“変化”した。屈辱を胸にしまいながら、エースの使命を果たした。

「彼の凄いところは内角を打てること。ああいう打者は内側を意識させないと、外のボールをホームランにされてしまうので、どこかで必ず1球は内に投げるんですが、それを打たれてしまう。ヤマを張っていたのなら納得できるんですが、僕には反応で打っているように見えるんです。正直、どこに投げても打たれるような気がしていました」

 何度も痛い目にあった。それなのに、エースの立場を忘れてまで勝負したくなる。

「ああいう打者をねじ伏せられるようにならないとダメだと思います。まだまだ、エースには、なれそうもないですね……」

 エースと呼ばれる投手の向上心をさらにかき立て、「真のエース」へと引き上げる。筒香の凄さは、そんなところにもあるようだ。

文=鈴木忠平

photograph by Kiichi Matsumoto