出場4回目で大会前はノーマークだった創価大。最終的には駒大の逆転を許したが、4区の5.6km過ぎには1位に立って驚きの往路優勝を果たすと、復路も10区21km手前まではトップをひた走っての総合2位。向かい風が吹く悪条件下で有力校のミスが続出する中、爽やかな走りを見せてくれた。

 9区で2位駒大との差を3分19秒まで開き、「あわや総合優勝」という夢を大きくする走りをした石津佳晃(4年)はこう言って笑った。

石津佳晃 (C)Nanae Suzuki

「しばらくしてから箱根の映像をテレビで見たけど、『駒大の選手と1万mのベストが1分も違うから大丈夫か』というようなコメントをされていたので面白かったですね。さすがにベストが29分30秒台では、区間賞はイメージ的に考えられないと思います。でも去年はコロナ禍で試合数が少なかったから、それが意外にいいフェイントになったというか……。競技生活最後の年だから28分台はしっかり狙っていたのに思うようにはいかなかったけど、逆にそれが箱根ではプラスに働いたところもあるのでオッケーです。みんなを油断させられたし……」

公認記録は29分台でも石津が快走を見せたのは

 石津の1万mの公認記録は10月4日に出した29分34秒46だったが、その後の実業団チームでのタイムトライアルでは28分39秒で走っていた。その自信を胸に走った9区で意識したのは、11位でタスキを受けた前回は10位の中央学大と7秒差で走り出しながらも、弱気になって逆に55秒差まで開けられた悔しさを晴らすことだった。その時の中央学大の有馬圭哉は1時間8分56秒の区間2位。その記録を上回るのを目標に定め、そのためには最初から突っ込んでいかなければいけないと決意していただけ。トップを走るプレッシャーを感じることもなく、自分の走りに集中できたのだ。

「嶋津が4区でトップに立つのは予想していたが…」

 そんな公認記録の数字に惑わされない自信を持って走ったのは、3区区間3位の葛西潤(2年)も同じだった。前回は6区区間16位と苦しい走りだった葛西は、1万mのベストは1年の時の29分32秒68。だが石津と同じタイムトライアルで28分39秒で走っていた。タスキを受けたのは2位で、2秒後ろから走り出した東海大の石原翔太郎(1年)にはすぐに追いつかれたが、3km過ぎでペースが速すぎると見て少し下げた。さらに5kmからは後半勝負と気持ちを切り替えて自分のリズムの走りに徹した。1区の福田悠一(4年)は「嶋津(雄大/3年)が4区でトップに立つのは予想していたが、個人的にはそのお膳立てをした葛西が往路のMVPだと思う」と評価する。

葛西潤

 榎木和貴監督の構想では、他校も強い選手をそろえてくる3区と4区では、4〜5位を確保すればいいと考えていた。それが出来れば「区間賞争いの走りはできる」と自信を持っていた5区の三上雄太(3年)で、往路3位以内のゴールは可能だと。だが葛西が東海大に34秒差を付けられるだけの2位を堅持してつないだことで、4区の嶋津は「前が見えたので気持ちが上がり、思い切り追いかけた」という走りを見せ、往路優勝を確実にしたのだ。

総合3位以内「それはちょっと厳しいだろう」

 榎木監督は「葛西は私の指示ではなく、自分で考えて臨機応変に対応したのはさすがだなと思います。うちのチームは自分で考えて走る選手が多いが、9区までの選手たちは普段の練習からそういう意識を備えられていたので、レースでも各自のここまでの経験を踏まえた状況判断がしっかりできていたかなと思います」と話す。その裏付けになっていたのは、選手たちそれぞれが秘かに持っていた自信だ。

榎木監督 (C)Nanae Suzuki

 新チーム発足時に榎木監督が打ち出した、総合3位以内という目標。石津は「最初は誰も口にしなかったけど、『それはちょっと厳しいだろう』という雰囲気はありました」と話す。

 だが10月の多摩川五大学対抗競技会やトラックゲームズ in TOKOROZAWAでは他大学の名前に気後れして結果を出せなかったことで、チーム内に「もう一度頑張らなければ」という雰囲気も生まれた。そこからは記録会やタイムトライアルで自己新が続出するようになり、11月1日のハーフマラソンのトライアルでは10名以上が1時間3分台を出して手応えを感じ始めた。

1万m上位10名の平均記録が13番目でも自信を持てた

 その手応えが確信めいたものに変わったのは、12月に静岡県島田市で行った最終合宿でだった。全員が練習を順調にこなし、15kmの単独走トライアルでも8人ほどの選手が、昨年の箱根駅伝1区で区間賞を獲得した当時の日本人エース・米満怜(現コニカミノルタ)のタイムを上回ったからだ。

 この合宿には、榎木監督がハーフマラソンのトライアルをあえて気温20度ほどの悪条件で行って数字以上の手応えを持たせたのと同じように、風の強い島田で合宿をすることでタフな精神力を育成する意図もあった。

「合宿の内容も前の年は30kmの予定を25kmに落としたりしていたが、今回は予定通りに30kmを行えた。しかもすごく風の強い河川敷でやったので、選手たちもどんなに向かい風が来ても、これを経験しておけば大丈夫だと思ってくれたみたいで。そのあとの15kmだったし、タフな練習の中の単独走で米満の記録を上回ったというのが一番、選手たちには自信になったと思う」

 と榎木監督はいう。1万mの公認記録ではエントリー上位10名の平均が13番目という状況でも、その数字に現れない自信も持てるようになり、選手たち全員がそれまで半信半疑だった“総合3位”を「これならいけるかもしれない」と信じられるようになったのだ。

「自分たちは上がっても、他の大学も絶対に上がっている」

 とはいえ、前回優勝の青学大や2位の東海大に加え、全日本優勝の駒大や3位の明大などがいる中での3位以内が厳しいのは変わらない。福田は「去年よりハイペースの展開になると思っていたし、自分たちの記録は上がっていても他の大学も絶対に上がっている。それを考えたら5位になれたらいいかな、というくらいの感覚はありました」と話す。

 それが周囲の見るところだろうし、選手たちの心の中にもあった正直な思いだっただろう。だがそうだったからこそ、創価大の選手たちは変に力むこともなく、自分の力を思い切り出し切ろうという気持ちで臨めた。

 榎木監督が強い順に並べたという往路は、全員が区間上位で走ってくれると信頼し、11月中旬には心の中で決めていたままの区間配置だった。1万m28分19秒26を持つ1区の福田は「状態が良ければ区間賞もワンチャンスあったかもしれない」と言うが、1週間前に足の状態が少し悪くなった時点で先頭と20秒差の5位以内と目標を定めた。そしてレースでは本人が一番危惧していた苦手な下りでスパートをかけられる展開になったが、3位集団で粘りの走りを見せて先頭に15秒差の3位でつないだ。そして2区のフィリップ・ムルワ(2年)は東京国際大2年のイェゴン・ヴィンセントを待ち、彼のペースに合わせて一緒に行く冷静な走りをして終盤は伸びなかったものの区間6位の走りで2位まで上げた。

フィリップ・ムルワ

すべて完璧だった榎木監督の唯一の計算外

 他校の選手とも対等に戦えるこのふたりが期待通りに流れを作ったことで、それ以降の選手たちは自分の力を信じ切って走れるようになった。復路も往路の5人と同じ練習が出来ていた7区の原富慶季(4年)と9区の石津は、榎木監督が「区間上位で走れる」と自信を持って配置した選手で、区間2位と1位。また6区と8区、10区は区間10位くらいを想定したが、6区の濱野将基(2年)は予定より1分以上速い58分49秒で区間7位、8区の永井大育(3年)も50秒ほどいいタイムで区間8位とノビノビと走った。

「すべて完璧に行っても3位争いだと思っていた中で、我々は本当に100パーセントの力を出し切っただけ。逆に他の大学が普段なら区間5位以内では走っているのに、10位以下というようなミスをしたので……」

 こう話す榎木監督にとって唯一計算外だったのは、先頭で独走したことだった。10区は競り合いになると考え、一緒に走る相手に合わせるのが上手い小野寺勇樹(3年)を起用した。だが小野寺は初出場と総合優勝の期待という重圧の中での苦手な単独走となった。その誤算が駒大の大逆転を許す結果につながったのだ。

 昨年のような絶好の気象条件なら、シューズの影響もあって今回もさらなるハイペースの展開になり、結果は全く変わっていただろう。だが久しぶりの悪条件は、箱根駅伝の微妙な展開の妙や面白さを存分に見せる大会となった。その象徴が、ダークホース・創価大の2位という結果だった。

小野寺勇樹

文=折山淑美

photograph by Yuki Suenaga