プロ野球で投手として通算224勝、監督としてもソフトバンクを3度のリーグ優勝と5度の⽇本⼀に導いた工藤公康(61歳)。二男三女の父であるが、「父親として褒められたものではなかった」と語る。その理由とは。NumberWebインタビューで明かした「結婚と子育て論」。【全2回の2回目】

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 仕事か、家庭か――。考え方は人それぞれだが、時代の流れとともに後者へその比重が移り変わっているのは確かだ。しかし、二男三女の父である工藤公康氏が現役だった頃には「イクメン」などという言葉がまだ世の中に存在しなかった。

「それでも私が“彼”のような言葉を自然に発せられる人間だったならば、もっと変わっていただろうなと思います」

ダルビッシュの発言に衝撃

 昨年、日本中が熱狂したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場したダルビッシュ有の発言を耳にした工藤は、かつての我が身を思って後悔と反省の念が波のように押し寄せてきたのだという。

 ダルビッシュはオフ期間を一緒に過ごす「家族のことが頭にあった」という理由からWBCへの出場を悩んでいたと大会前の合宿中の会見で告白した。加えて「独身の頃は野球選手であることを一番に考えていたが、結婚して、一番の役割は夫であること。二番目に父親であることがきて、そのあとが野球選手です」とも話していた。

「私がプロに入った頃は、野球選手になったら『親の死に目には会えないと思え』と言われていました。今はそんな時代じゃない。昔のそのような考えは間違っていたと思います。良い変化をしたというのではなく、今が普通になったんです。しかし、当時はそれが当たり前だと考えていました」

「負けた試合日」の家族風景

 日常生活も然りだった。遠征やキャンプなどで家を不在にすることが多かったうえに、たまに家にいても子どもたちとはすれ違う生活。ナイターが終わって帰宅するのはもちろん深夜になった。

「私の場合はそれだけでなく、筑波大学の先生のもとでトレーニングをしていたので(西武本拠地の)所沢で試合が終わった後に車で茨城まで行って、朝帰ってきて昼間に寝て球場に行くみたいな生活をするときもありましたから」

 当時、工藤家の子どもたちの中には、とある“掟”があったという。

 工藤が打たれて負けた試合。そんな日の方が工藤家の雰囲気は明るかった。夜遅い帰宅でも起きていて、玄関が開くと「パパ、おかえり」と元気に出迎えた。兄妹それぞれで、工藤と一緒にテレビを見たり、風呂に入ったりと子どもたちで役割分担をして、嫌な気持ちを次の試合に持っていかないように、 “一緒に戦っていた”のだ。

「あぁ、慰めてくれてるんだ」

 工藤も子どもたちの気持ちを汲み取ってはいた。それでもやはり、現役当時は野球優先の考えがどうしても頭から離れなかった。

「子どもたちを可愛いと思うのは当然だし、気遣ってくれていることも心のどこかでは分かっていました。でも、不思議なもので野球のことで頭がいっぱいになると、人間って他のことは考えられなくなる。結果的に家族のことに気持ちが向かないから『あぁ起きてたのか』くらいの反応になってしまう。父親として褒められたものではなかった。ダルビッシュ投手のように、私は言えなかった。妻に申し訳なく思います」

「もっと子どもとの時間を大切にしていれば…」

 妻・雅子さんは、以前こんなことを話していた。

「私はたぶん主人に対して世の中の誰よりも辛口です。でも、夫は野球に対しては誰よりも謙虚。それははっきり言えます。でも、息子や娘たちは幼かった頃、『面倒臭いお父さん』と思っていたんじゃないですか。本当にすべてお父さんが優先で。たまに家族みんなで食卓を囲むことがあってもお父さんだけ特別なお魚とか、違うメニューが並ぶのが普通でしたし。子どもたちが大きくなった今でもそんな話になりますよ。だけど、どれだけ命をかけて野球をしていたのかも知ってますから。お父さんのことは尊敬していました」

 対して、工藤の弁。

「私はとにかく、家族を守るんだ。家族を支えていくんだ。そういった強い思いで野球に打ち込んできました。でも集中しすぎて、結果的に家族に気持ちを向けることや“言葉”が疎かになってしまった。今思い返せば、もっと別の方法や関わり方、伝え方があったのかもしれませんね。子どもたちは知らず知らずのうちに成長し、いつの間にか全員成人になっていました。人生は一瞬、一度きり。もっとあの時間を大切にしていれば……。そういった後悔や反省だらけです」

長男は俳優、長女はゴルファー…全員成人

 現在、工藤はプロ野球解説の仕事をはじめ、講演活動や全国各地での野球教室を⾏いながら、筑波⼤学⼤学院博⼠課程でスポーツ医学博士取得に向け研究や検診活動にも取り組むなど、多忙な日々を送っている。

 それでも、かつてとは違う。ソフトバンクの監督を退任して以降、それまで経験できなかった家族との時間も過ごしている。

 俳優で長男の阿須加や長女でプロゴルファーの遥加ら5人の子どもたちは全員成人し、それぞれの道に進んでいる。

 阿須加は俳優業と並行して農業にも本格的に取り組んでおり、工藤も山梨県内の農園で一緒に畑仕事に精を出す姿がたびたびメディアで紹介されている。

「もともと俳優になることを妻は反対していました。ただ、私が『男は自分でこうだと思った時が一番チャンスで大切なんだ』という話をしたんです。妻には叱られましたが(笑)」

 工藤は、子どもたちには自分の選んだ好きなことをさせたいとずっと考えていた。

 だから、長女の遥加がゴルフの道に進む時も反対しなかった。スポーツで飯を食うこと、それをやり続けることの大変さは、誰よりも知っている。

「本人がやりたいと思うんだったら、もうそれが優先ですよ。やるもやめるも、本人が決めること。私たち親がとやかく口を出して決めさせるというのはよくない」

「一方的な押しつけはうまくいかない」

 ソフトバンクの監督を退任した翌年の2022年にはコーチ登録をして、親子でありながら指導者と選手という立場になったこともある。現在は工藤が多忙なこともあり、遥加がアドバイスを仰ぐ形に変化をしているが、工藤自身も「監督という仕事を経験したことで接し方はずいぶん変わった」と振り返る。

「前は『こうしないからダメなんだ』と言ったり、『ああしろ』『こうしろ』ばかりでした。でも、子育てと同じで自分の一方的な押しつけでは上手くいかないんです。相手の考えや思いを聞き出すのが大切。だから今は、来てほしいと言われたときに予定を調整して、行くようにしています。移動するときの車内でも彼女が話をする。それを聞きながら、私が返すという感じ。ただ、話の内容自体は重要じゃないときもある。一緒にいるというのがいい時間だったり、彼女自身にとっても大事な時間になったりするんです。

 一人のアスリートに対して、同じアスリートという立場で接するのであれば、予選を通っても、『それで満足しないで上を目指さなきゃ』みたいなことを言いますが、父としては、今はただ一緒にいて、ご飯を食べて『じゃあ明日頼むね』とだけ言われて、『はーい、おやすみ』で十分なんです。その部分の葛藤は大きくて、失敗したり、悩んでばかりですけどね」

 遥加から声がかかれば、工藤はスケジュールの合間を縫って日本各地へ飛んでいく。火曜日の練習ラウンドのたった1日のために今年も宮崎まで駆けつけたことがあった。

 長男長女以外の3人ともしばしば会っている。末っ子の二男は留学経験があるため、最近でも米国へ行く用事があった際には同行してもらった。

「昔とは距離感も変わりました。まあ、私の方から縮めていますよ。向こうからは縮めてくれないから(笑)」

「いつか孫とキャッチボールできたら」

 ところでその二男は学生時代には野球部に所属していたが、今までほとんど野球の手ほどきなどはしなかったという。父親は息子とキャッチボールをするのが夢などと言われるし野球人ならばなおさらではないかと想像するのだが、工藤にはその願望が特になかった。長男の阿須加とも、彼がテニス少年で野球経験がなかったのもあるが、高校生の頃にたった一度やったきりだ。

「でも、いつか孫ができたら。孫となら喜んでキャッチボールとかしちゃうんだろうな。そんな日が来るのを願ってます」

 今の工藤には、それがささやかな夢である。

文=田尻耕太郎

photograph by Yuki Suenaga