フェラーリF40といえば、最高速度200mph(約320km/h)を超えた最初の量産車である。『Octane』本国版の200号を記念して、F40とその先行モデル、スピードアップした後継モデルを集め、走りを競わせてみた。

世界で初めて200mphの壁を破ることのできる量産車としてF40が登場してから32年。それがたいへんな速度であることは今も変わらない。正確にいえば、フェラーリが発表したF40の最高速度は201mphだった。もうひとつ正確にいえば、ギネスブックには載らなかった。
 
その理由は、実際にF40で200mphを超えられたのはイタリアの『Quattroruote』誌だけで、他の数誌が失敗に終わったからではない。記録を塗りかえるモデルがすぐに現れたからだ。911をベースにしたRUFのCTRが211mph(340km/h)、ポルシェ959Sが214mph(343km/h)を叩き出した。とはいえ、いずれも製造数は29台だから、”量産車”というのは少々無理がある。対してF40は1315台が販売された。
 
最高速度は、性能を表す数値の中で最も重要性が低い。にもかかわらず、時代を問わず人を惹きつけてやまないのは、これが実にシンプルな概念だからだろう。エンスージアストなら、自分が初めて100mphを超えた瞬間(英国に住む私の場合は1982年、A45レイトンバイパス、ジャガーXJ12)や、自分が到達した最高速度(200mph、A9アウトバーン、RUFターボR、2003年)を覚えているはずだ。

”最速”の称号それ自体にも魅力がある。イタリアでは1960年代から激しい最高速度競争が巻き起こった。まずイソ・グリフォが登場(物の本には185mph(298km/h)とあったのに、私は161mph(259km/h)止まりでがっかりしたものだ)。次いでランボルギーニとフェラーリがしのぎを削り、20年にわたって交互に記録を更新していく。ミウラP400の171mph(275km/h)、365 GTB/4デイトナの174mph(280km/h)、カウンタックLP400Sの179mph(288km/h)、同LP500Sの182mph(293km/h)、そして288 GTOの188mph(303km/h)によって、再びフェラーリが覇権を握った。
 
このフェラーリスペシャルも288 GTOから始まる。288 GTOなくしてF40はあり得なかったからだ。フェラーリはF40を最後に、”最速の量産車”の称号を賭けた争いから身を引いた。F50の最高速度はわずかに高い202mph(325km/h)で、エンツォは謎めいた”217mph(349km/h)プラス”、約10年後に登場した950bhpのラ フェラーリの最高速度も同じである。だが、それでいいのだろう。”200”の壁を破れば充分なのだから。
 
それでは、200mphをめぐるフェラーリの冒険を、偉大なるスーパーカーに語らせていこう。



3台がテール・トゥ・ノーズで並んだこの写真は、類人猿からホモサピエンスへの進化の過程を表す模式図を思わせる。



両端の2台には見るからに大きな隔たりがある。シャープで地面に貼りついたF40と比べると、曲線的な288 GTOのグランドクリアランスがオフロードカー並みに見える。間に10年はありそうだが、実はたった2年である。この2台をつなぐ進化上のミッシングリンクが、中央の288 GTOエヴォルツィオーネだ。
 
競技上の要請から、如何にして288GTOのような美しい車が生まれたのか、今もって私には理解できない。しかも見た目に違わず走りも素晴らしい。日常使えるロードカーとしての完成度は、競技上のライバルと目されていたポルシェ959に匹敵する。どちらも、モータースポーツを統括するFISA(国際自動車スポーツ連盟)が1982年に導入したグループBのレギュレーションに則って設計された。
 
結局どちらもグループBのボートに乗り遅れたわけだが、それはおそらくフェラーリもポルシェも、居住性やドライバビリティ、製造品質などで妥協したくなかったからだろう。ホモロゲーションの取得には、同一モデルを200台製造して市販する必要があった。素早く対応したのはラリーの常連だ。最初の完全なグループBスペシャルであるミドシップ4WDのプジョー205 T16は、1985年世界ラリー選手権の開幕に間に合った。ところが1年後には、恐ろしい事故が相次いで発生し、グループBは廃止されてしまうのである。
 
フェラーリは1984年の初めにジュネーヴで288GTOを、10月にパリでテスタロッサを発表した。大出力のフェラーリの中でも、これほど異なる2台は思い浮かばない。フラット12のテスタロッサは512BBの進化形だ。一方、288GTOはレース部門で生まれた。ハーヴィー・ポスルスウェイトは308GTBをベースに、V8を90°回転させて2基のターボを搭載。その後方にギアボックスを配置したため、ホイールベースが伸び、トレッドも広がったので、デザインの手直しが必要となった。
 
ピニンファリーナは1977年のコンセプトカー、ミレキオディで、308の空力の改良点をいくつか提案していた。”ミレキオディ”は”千の釘”を意味し、オーバーフェンダーなどの付加物を固定するため多数のリベットが使われたことを指す。その一部は控えめな形で308QVに採用されたが、288GTOでは、シャベル状のフロントスポイラーから蹴り上げられたテール、ふっくらとしたフェンダーまで、全面的に取り入れられた。
 
ターボチャージャーを担当したチーフエンジニアのニコラ・マテラッツィは、当時フェラーリのサプライヤーだったKKK製ではなく、日本のIHI製ターボの採用を訴え、IHI製ユニットのほうがエンジンにマッチすることを実証してみせた。フラットプレーン・クランクのV8エンジンはボア径をわずかに縮小し、排気量を2927ccから2855ccにダウン。こうすることで、FISAが規定するターボ車の等価係数1.4をかけて、ちょうど4000ccに収まるようにした。厳密には2.9リッター の8気筒だから”298GTO”と呼ぶべきだが、やはり”288”の響きには敵わない。



長い間、288GTOは私の夢の車だった。ポスターを飾り、宝くじが当たったら買いたいと夢見ていた。今では相当の高額当選でなければ買えないが、初めてドライブした15年前には、まだ私の家より安かった。長年の空想を裏切られはしまいかと私はびくびくしていたけれど、心配は無用だった。あらゆる期待を上回って余りあるほどだったのだ。
 
だから再びステアリングを握る機会を得られてとても嬉しいのだが、先に欠点を片付けておきたい。着座位置が少し高いのだ。これは残念。だが、あとは…。
 
1980年代中頃、世界はまだロープロファイルタイヤとそれを生かすのに必要な硬めのサスペンションに支配されていなかった。したがってGTOも制御の効いたしなやかな乗り心地で、ロールさせながらコーナーに飛び込める。しかし、車の挙動を感じ取らせてくれる真の功労者は、ノンアシストのステアリングだ。フロントが太い225/55 ZR16のタイヤでも、極めて扱いやすく、正確なコントロールができ、感触をたっぷり伝えてくるステアリングがパワーアシストなしで可能であることを、GTOは証明している。また、バンプもくぼみも軽々と受け流すので、パフォーマンスをより長くたっぷりと解き放つことができる。


 
このエンジンからマテラッツィが引き出したエヴォルツィオーネの出力を考えると、GTOの394bhpはおとなしい数字に見える。しかし、感覚的には違う。3000rpmに近づくと、迫り来る嵐のような音がし始める。送り込まれる空気の量が増えるにつれて、その音がエンジンの低い唸りに加わるのだ。そしてターボが作動した途端、GTOはわずかにスクワットして飛び出し、ブーストの波に乗って7000rpmまで駆け上がる。乾いた温かなアスファルトがリアタイヤを受け止めてくれるので、パワーを惜しみなく利用でき、私は病みつきになった。
 
初めて288GTOをドライブしたときは、エンツォも一緒だった。ウェールズにある速度の出るバンピーな道だったので、アンダーボディを路面でこすってしまうエンツォは置き去りにされ、私の中でGTOのヒーローの地位は不動のものとなった。これほど優れた車が、単にエヴォルツィオーネのホモロゲーション取得のために造られたとは信じられない。それが次に試す車である。


 
グループBの廃止が決まると、エヴォルツィオーネの開発も中止された。その時点で存在したのは3台。うち2台は完全な新車で、1台はGTOからのコンバートだった。のちにフェラーリとつながりの深いミケロットが、特別な顧客のためにさらに3台を製造した。私が試乗するのは、その1台目である。
 
信じられないことに、フェラーリはGTOでラリーに打って出る計画だった。マテラッツィは、3800rpmで最大トルクを発生する出力550bhpのエンジンをラリー用に、ピーキーな650bhpバージョンをレース用に開発していた。グループBの4000ccクラスの最低重量は1100kgだったが、フェラーリには多くのバラストを戦略的に載せる余裕があった。エヴォルツィオーネの乾燥重量はわずか960kgだったのだ。複合素材の使用で元々軽量な標準のGTOから、200kgもの減量に成功したのである。
 
減量の一部は目に見える。フロントウィンドウを除いて窓はすべてプラスチックで、穴も開いている。感触でも分かる。ドアを開けると、自分の力に対してあまりにも軽いので、不器用な超人ハルクになった気分だ。カーボンコンポジット製のボディワークはすべて薄くなり、リアのクラムシェルは熱を逃がすエアベントで埋まり、他のパネルにも空気を取り込むエアスクープやNACAダクトが設けられている。横に並ぶF40と見比べて、ベントやダクトがすべてまったく同じ位置にあることに気づき、はっとした。リアスポイラーの高さや、シャベルのようにわずかに突き出したフロントもそっくりだ。エヴォルツィオーネが、元になった288 GTOよりF40に近いのは間違いない。
 


両サイドが高い小ぶりのシートに身を押し込んでシートベルトを締めると、F40との共通点がさらに見えてきた。ダッシュボードはフェルトで覆われ、フットウェルへと続くカーボンのボックスセクションも同じ位置にある。目の前の不揃いな計器類は、重要な回転数、ブースト、油圧を示し、速度計は単独でダッシュボードの下にぶら下がるように付いている。興奮と共に不安が頭をもたげる。ターボによって最大650bhpものパワーを発揮する1000kgに満たないフェラーリなのである。

”ぐにゃり”とつぶれる黒のスタートボタンを押した瞬間、後方から襲いかかったノイズにも気圧された。打音と轟きと金属音の混ざり合った大音響がむき出しのコクピットを満たす。しかし、これはまだ序の口だった。走り出すと、ストレートカットのギアがたてる凄まじい高音が体を貫く。まるで人体の軟組織を液化する冷戦時代の実験兵器か何かのようだ。
 
残念ながら、走行は撮影した私有地内の狭い道に限られたため、エヴォルツィオーネを完全に解き放つチャンスはなかった。それでも、実力の片鱗を垣間見る瞬間はあった。回転の上昇と共にブーストが高まり、吸気音がただならぬレベルに達すると、爆発的に湧き出したトルクによって、蒸気カタパルトで射出されたかのように突進するのだ。オーバーランで過剰なブーストがシューシューと吐き出されるのには、思わずニヤけてしまった。
 
優れたレーシングドライバーのトニー・ドロンは、数年前にこのエヴォルツィオーネをドライブし、途轍もないパフォーマンスをすべて生かし切るのが難しいと述べている。「突然パワーが噴出するので、ドライバーはEvoと本気で向き合うことを求められる。強く踏み込むタイミングが一瞬でも早ければ、地獄のような状況に陥りかねない…」
 
エヴォルツィオーネではポテンシャルをフルに感じ取ることはできなかったが、私はあとで似たような挑戦をすることとなった。



今やアイコンとなったF40だが、信じられないことに、発表された1987年当時は単なる便乗モデルと捉える批評家が多かった。その頃の投資ブームや、15万ポンドのポルシェ959への高い需要を見て、それにあやかったというのだ。フェラーリはこうした見方に対して、F40は純粋にパフォーマンスだけを求める顧客に応えて造られたのだと反論した。当時の広報担当者は、「将来をにらんだ実験でも、ポルシェが959を造ったからでもない。いずれにしてもこうなっていた」と述べている。
 
最後の主張は本当だろう。開発は既にかなりの部分が終わっていたからだ。エヴォルツィオーネを通して、ツインターボV8からさらにパワーを引き出す術や、必要な冷却を得る方法、空力面について、フェラーリのエンジニアはすっかり割り出していた。だからこそ、たった13カ月で市場に投入できたのである。
 
要するに、288GTOをスパルタンにして、さらにホットにしたのがF40だった。鋼管フレームのシャシーにケブラーとカーボンの複合素材を接合している点も共通する。その頃マクラーレンF1を構想していたゴードン・マレーが、F40はシャシーが旧式だとけなしたことは有名だ。また、非常に高価だったのも確かで、イギリスでは19万3000ポンドと、288GTOの倍以上だった。だが、それを上回る魅力がF40にはあった。


 
デザインを担当したレオナルド・フィオラヴァンティには、難しい課題がいくつも与えられた。そのひとつは、ダクトやベントの位置がすべて指定されていたことだ。それでもフィオラヴァンティは、低いノーズから背の高いリアウィングに至るまで、衝撃的で刺激的な形にまとめ上げた。もうひとつが数字だ。最高出力は478bhpでポルシェ959よりわずかに高い。最高速度も201mphで、やはりわずかに上回り、そして例の”初めて200mphを超えた量産車”だった。
 
F40には何度乗っても特別感がある。サイドの高い真っ赤なファブリックのシートに(できるだけ)優雅に腰を落とす。288 GTOより低い位置に座る分、ステアリングが斜め上方に離れて、カートに近づいた印象だ。キャビンはむき出しでレーシングカーさながら。ドアは中空で開閉用の紐を備え、ペダルには軽量穴が開いている。カーボン/ケブラー製のフットウェルは、継ぎ目に緑色の浴室用シーリング材をたっぷり付けて接合したように見える。
 
ところが、走りの印象は想像するほど硬くもなければ、ピーキーでも気難しくもない。スキンヘッドの男と知り合ってみたら、意外にも礼儀正しかったといった感じだ。ようやくF40のステアリングを握ったのに、それほどワイルドでなくて落胆したと話す同僚もいる。とはいえ、クラッシュしたF40の数や、肝を冷やしてすぐ手放すオーナーの数を考えれば、やはり必要なだけの”恐ろしさ”は備えているのだろう。
 
スターターボタンは、芝刈り機の燃料ラインの空気抜きポンプに似ている。ボタンを押すと、フラットプレーンV8が待ちきれないというようにバッバッバッと忙しく動き出した。重いスロットルペダルを少し踏んでみると、サウンドがふくらみ、鋭さが増す。ずっしりとしたペダルの重みがフィールと心地よくマッチしている。ノンアシストのステアリングやブレーキ、ギアシフトも、同じように重く、感触が豊かだ。
 
冷えた状態では2速はないと考えたほうがいい。2速が使えるようになる頃には、エンジンもほぼ準備が整っている。安全な場所を見つけてペダルを床まで踏み込んでみよう。F40は期待を裏切らない。288 GTOより獰猛で大音響で爆発的だ。踏み続けるには勇気を振り絞る必要がある。サスペンションも硬めだから(ガチガチというほどではないが)、特にバンプがあるとやっかいだ。その上リアタイヤが滑ったら…。


 
とはいえ、私はF40のドライバビリティにいつも感嘆させられる。車重1100kgで、出力470bhpに上るターボV8、そのうえトラクションコントロールがないのだ。たしかに徐々に慣れていき、ブーストが効くタイミングやその強烈さをつかむ必要はある。だが、カウンターステアに自信があり、リアタイヤがトルクの急増に堪えきれなくなる瞬間を感じ取れれば、乗りこなして大きな満足感を味わえる。テストドライバーのダリオ・ベヌッツィとそのチームは素晴らしい仕事をした。事態がエスカレートして制御不能に陥らないよう、限界に至ったらスローダウンするようにしたのだ。
 
まずコーナーを選ぶ。一定の開度で踏み続け、ブーストが利き始めるのを待つ。徐々に切り足していき、リアが流れたらカウンターで抑える。恐怖心さえ抑え込めれば、少し先でブーストが弱まって、常識が通用する世界に戻る。後ろには2本のブラックマークが残っているだろう。通気孔の開いたリアウィンドウからは見えないけれど。
 
F40には皮肉な運命が待っていた。意図したことではなかったが、やがてフルに生かされた。288 GTOは競技のために設計されながらレースに出ることはなかったが、純粋なロードカーとして設計されたF40は、まもなく世界中のスターティンググリッドに付くこととなるのだ。最初、ファクトリーは抗議したが、フランスのフェラーリ代理店社長ダニエル・マランと、エヴォルツィオーネのポテンシャルをフルに活用したかったエンジニアのマテラッツィの圧力に折れた。これを受けて、ファクトリー御用達スペシャリストのミケロットが造り上げたのが、当初F40 LMと呼ばれたモデルだ。LMでは意味が限定的だと考えたファクトリーは、その後コンペティツィオーネに名称を改めた。 

F40 LMには様々なアップグレードが詰め込まれた。その一部が軽量なボディワークと、パンチの効いた700bhp超のエンジン(予選では900bhpに上がったという)である。この大花火を打ち上げる前に、まずはF40 GTでウォームアップをしよう。



まぶしい白の合金ホイールと点在するデカール。F40 GTは、標準のF40よりはるかに”真剣”な車に見える。しかし実質はグループNのレーシングカーなので、モディファイは控えめで、いわば”スキンヘッドにタトゥー”が加わった程度だ。試乗したF40 GTは、エンツォの友人だったピエール・ポポフの手で1992年からイタリアGT選手権に3シーズン参戦し、94年に2勝を挙げた。

その後は公道用にコンバートされたが、2013年にオリジナルのレース仕様にレストアされ、再びレース用エグゾーストとブレンボのレース用ブレーキ、オリジナルのマグネシウム合金ホイールを装着した。もちろんカラーリングも再現してある。
 
引き続き公道で使用することになっていたため、サスペンションブッシュはロードカー仕様のままだ。その走りは見事のひと言で、標準のF40より素晴らしい。3シーズンにわって競争力を維持した開発の結果なのかもしれない。ブレーキペダルとスロットルペダルが近く、ヒール・アンド・トウがしやすい。ギアシフトも抵抗がなく、これと比べれば一部のF40のシフトは重労働だ。
 
Momo製のステアリングが大きめでスエード巻きなのは、梃子の原理でスリックタイヤを操りやすくするためだろうか。おかげでステアリングが軽めで、車が従順に感じられる。加えて、ブーストの利き方がなだらかだ。後ろに911やXJ220を従えて、グリップの限界でパラボリカを立ち上がるときなどに、おおいに役立つだろう。実に甘美なF40だ。これまでにドライブしたF40の中でベストといってもいい。


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