サー・ジャック・ブラバムは、モーターレーシングの歴史上、最も完成したドライバー、そしてチームオーナー、コンストラクターの一人であり、モータースポーツに貢献した人物として、1985年にレーシングドライバーとして初めてナイトの爵位を受けた。
 
ブラバムのF1キャリアは1955年イギリスGPでのクーパーに始まり、1970年シーズン限りで終止符を打つまで123戦に出走し、その間に優勝14勝を上げ、1959年と1960年の2年連続と1966年にワールドチャンピオンのタイトルを獲得した。
 
ブラバムがモータースポーツに足を踏み入れたのは1948年、故郷オーストラリアのパラマッタ・スピードウェイで開催されたミジェットカー・レースだった。クーパーのシャシーにブリストルのエンジンを搭載したミジェットカーで成功を収めたブラバムは、ヨーロッパへと渡り、さらなる成長を見せた。
 
これがジョン・クーパーの目に留まり、クーパーチームのワークスドライバーに採用された。1955年の第6戦イギリスGPにスポット参戦することでF1に駒を進め、クーパー・クライマックスで1959年と1960年のワールドチャンピオンに輝いた。
 
1961年には同郷出身の設計者であるロン・トーラナックとともにコンストラクターのMRD(モーターレーシング・ディベロップメント) を設立し、F1にはMRD製マシンを用いてブラバム・チームから自らもドライバーとして参戦。1964年にはダン・ガーニーがブラバム・チームとしての初勝利を果たした。
 
MRDはアマチュア向けの各種マシンを製造し、その信頼性の高さから好評を博していた。自らもF2レースにワークスチームとして出場、1966年には本田技研工業が製作したF2エンジンを搭載するブラバム・ホンダによって14戦中11勝という圧倒的な強さを示し、チームメイトのデニス・ハルムがチャンピオンに、ブラバム自身も2位となった。
 
F1では、1966年にブラバム・レプコによってドライバーズチャンピオンを獲得して、歴史上で唯一自分自身の名を冠したマシンでチャンピオンとなった。翌1967年にはチャンピオンをブラバム・チームのハルムが、ブラバム・チームがコンストラクターズチャンピオンシップを獲得した。
 
1970年シーズン限りで引退したジャックは、バーニー・エクレストンにMRDを売却し故郷のオーストラリアに戻った。引退後はもうひとつの関心事であった飛行機レースに没頭し、1981年と1983年に2度、世界タイトルを獲得している。