フェラーリ創業者の名前を冠したエンツォは、シューマッハー時代のF1のテクノロジーを特別な顧客に販売するという試みであった。
 
先進的な複合素材を使用し、ダッシュボードやステアリングホイールに至るまでカーボンファイバー製で、最先端のセミオートマチック6段ギアボックスと大きなパドルシフトを採用。アクティブエアロダイナミクスで発生するトータルダウンフォースは、200㎞/hで343㎏、300㎞/hで774㎏、それ以上の速度ではドラッグを減らすため584㎏に下がり、最高速度は350㎞/hを実現すると謳われていた。
 
エンツォが走ればどこでも人の目を奪い、驚かせることは容易だ。ボディのシルエットが気に入らないという人も少なくはなかったが、その存在感に匹敵できるマシンは、まず存在しなかった。エンジンはいかにもV12らしいサウンドを奏でるし、650bhpは当時ほとんどのライバルを凌いだ。それを小さな径のカーボン製ブレーキがものの見事に止めた。
 
だが、左ハンドルでもあり、イギリスの普通の幹線道路を走るには車幅が広過ぎる。対向車線にトラックが見えてくると、私はいつも路肩が心配になった。それに"視界" と呼べるものは肩越しにも助手席側にも一切ない。そのため時にぶざまな事態に陥る。道路の合流地点では、一旦停車し、シートベルトを外して車外に出るとルーフ越しに後方を確認し、すぐさま飛び乗って誰も来ないうちに急いで発進するのだ。これは本当のことである。
 
だが、ドライブするだけという意味において、運転は実に楽なものであった。もっともそのパフォーマンスを思い切り堪能したいとなれば、相当のスペースが必要になるのだ。英国の人気テレビ番組『トップギア』ではエンツォがトップにランキングされていたが、最近、実際にあの番組が使うテストコースを運転してみて、その理由がよく分かった。比較的長いストレートがあり、それをつなぐ非常にタイトなコーナーは路面に引いたラインで示されているだけ。ストレートはパワー勝負、残りはブレーキで決まる。ラインを外しても何の問題もない。


 
ニック・メイソン(ピンクフロイドのドラマーでスポーツカー/レーシングカーのエンスージアスト)が所有するエンツォを、アングルシー・サーキット(訳註:Anglesey Circuit :イギリス・ウェールズ北部)で走らせたことがある。ほぼ毎回、コーナー入り口でブレーキがロックして、コーナーの奥深くまで入り過ぎてしまった。加速しようとしてもトラクションコントロールが介入して思うように前に進まない。マシンをまっすぐにしない限り、ダッシュボード上のオレンジの点滅が止まらないのだ。これを回避しようとすべての補助装置をオフにしてみたところ、今度はリアタイヤが簡単にホイールスピンを起こして、テールがあらぬ方向へと滑り出し"ワルツ" を踊り出してしまう。
 
エンツォの評価は難しかった。どんなにがんばってみても単純にグリップが足りないように思えるのだ。そのため、ノーズをコーナーに向けることも、必要なトラクションをかけて加速を続けながら滑らかにコーナーを脱出することもできない。
 
コーナーでは入り口でアンダーステアに悩まされ、その後は長いあいだ電子制御に待たされてズルズルと横滑りをはじめる。接地感で唯一満足できたのは、アングルシー・サーキットのコース中で最速の"スクールコーナー"だ。おそらくそこでは774㎏のダウンフォースが効いていたのだろう。


 
エンツォは、紛れもなくエキサイティングで素晴らしいマシンだったのだが、残念ながら今では当たり前になった装備が、当時はまだ完全に開発されてはいなかったため古くささは否めない。たとえばシフトフィールでは"レース" モードでは特にラフであり、現代のDSGトランスミッションに比べるとはるかに反応が遅い。また、リバースギアを使うのは必要最低限にするようオーナーからは注意されていた。すべてのエンツォが同じかは不明だが、バックはクラッチに負担を掛け、その調整には1万ポンドもかかるというのだ。
 
エンツォが抱える根本的な問題は、相当の速度を出さなければ空力性能が役に立たないことであった。エアロダイナミクスこそがエンツォのパフォーマンスを支える不可欠の要素であったのだが、100mph(160㎞/h)以上で侵入できるコーナーなど、イギリスのサーキットにそれほど多くはない。そこで必要なのはメカニカルなグリップなのだ。もしスリックタイヤがあれば大部分は解決したことだろう。だが当時、公道で使えるタイヤにそこまでのグリップは期待できなかった。最近のハイパフォーマンスタイヤは当時のスリックよりもはるかに優秀だが、ただし、トレッドが温まらなければグリップを得られないことと、それほど長持ちしないことは覚悟しておかなければならない。
 
エンツォを購入した幸福な350人は明らかにこうしたことを気にしなかったのだろう。なにしろ、詳細なレポートはおろか、写真すら出回る前に完売していたのだから。だがテクノロジーは間違いなく進歩している。エンツォの魅力をあらためて知ることで、次の"究極のフェラーリ" のデビューを楽しみにすることができる。