雷が鳴らない説も…10月はなぜ「神無月」という? 神様は出雲で何をする?

雷が鳴らない説も…10月はなぜ「神無月」という? 神様は出雲で何をする?

 10月は「神無月(かんなづき)」。日本中の神様が出雲大社(島根県出雲市)に集まることから、「神が無い月」と書いて神無月と呼ぶとされますが、実際はどのような由来や背景から、このように呼ばれているのでしょうか。神無月の由来や背景などについて、和文化研究家で日本礼法教授の齊木由香さんに聞きました。

島根県では「神在月」「神有月」

Q.なぜ、10月が「神無月」と呼ばれるようになったのでしょうか。

齊木さん「明治時代の初期に太陽暦(新暦)を採用した日本では、12カ月を『1』月から『12』月の数字で表すようになりました。しかし、それ以前は、季節感が分かるような和風月名で各月を表現しており、その10番目の月を『神無月』としていました。

神無月は『かんなづき』あるいは『かむなづき』『かみなしづき』と読み、その由来は諸説あります。最も有力な説としては、旧暦の10月は全国の神々が出雲大社に集まるので、他の地域に神様がいなくなることから、神無月になったというものです。このため、出雲大社のある島根県では、現在でもこの月を『神在月・神有月(かみありづき)』と呼ぶ風習が残っています。

また、『神無月』の『無』は『ない』ではなく、『の』にあたる連体助詞だとする説もあります。『神の月』で、神を祭る月であることを意味するというものです。ほかに、雷が鳴らない月『雷無月(かみなしづき)』が神無月になったという説や、新米でお酒を醸造する月なので『醸成月(かみなしづき)』で神無月になったという説もあります」

Q.なぜ、日本中の神様が出雲大社に集まるとされているのですか。

齊木さん「出雲大社の御祭神は『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』です。大国主大神は自分の子どもたちを日本各地に置き、各地を守らせ、年に1度、その子どもや日本中の神様が出雲大社に集まって、どのようなご縁を結ばせるか『神議り(かむはかり)』という会議を行うとされます。ここでいう『ご縁』とは恋愛や結婚だけではなく、人と人のご縁、人の生死、寿命、来年の気候、翌年の農作物の収穫まで多岐にわたります」

Q.神様が出雲大社に出かけているとき、神社の留守番をえびす様がするとされています。なぜ、商売繁盛の神様であるえびす様が、留守番なのでしょうか。

齊木さん「えびす様は、釣りざおを片手にタイを抱えている姿からも想像できるように、大漁の神様とされてきました。漁民の豊漁は、すなわち農民の豊作ということで、やがて豊作の神様、そして商売繁盛の神様になりました。つまり、えびす様はこの時期は、農家に豊作をもたらすという大切な役割があるため、出雲大社に行くことができないことから、神無月のお留守番に起用されたといわれています」

Q.神棚のある家庭では、出雲大社に出かける神様を送る儀式、あるいは、出雲大社から帰ってきた神様を迎える儀式をする場合があると聞きます。どのような儀式ですか。

齊木さん「出雲大社へ旅立つ神様を送る行事を『神送り』と呼び、無事にたどり着くようにお弁当として、餅や赤飯を炊いてわら苞(づと)に詰めて神前に供えます。また、出雲大社から帰ってきた神様を迎える行事を『神迎え』と呼び、『さぞ寒かったろう』と手を温めてもらうため、サトイモを蒸して熱いうちに神棚に供えます。地域によっては、餅や農作物を入れたすいとんを供えるなど、温まってもらうための供え物はさまざまです。

つまり、神様が快適に出かけて戻ってこられるようお供えをします」

菅原道真や徳川家康も出雲へ?

Q.「神がいないから」神無月という説を、「そもそも神様などいない」として俗説とする意見もあります。

齊木さん「『神がいる、いない』は個人の思いであり、信じるも信じないも本人の自由です。現代は現実主義的な考えが浸透し、真実以外は排除しようとする傾向にあるように思います。しかし、先人のように、たとえ苦しいときであってもその中に想像力を働かし、神々に思いを託して豊かに過ごす知恵は学ぶところがあると思います。

文化というのは必ずしも、それが真実であることが重要ではないと思います。神頼みも一つの文化として想像力を働かせてみると、思いもよらぬご利益があるのではないでしょうか」

Q.歴史上の人物で菅原道真や徳川家康も「神様」として祭られています。彼らも出雲大社に行くのでしょうか。

齊木さん「日本中の神様が一堂に会する会議ですので、神様として祭られている菅原道真や徳川家康も出雲大社に行くとされています。菅原道真は903年の死後、都で疫病が流行し、貴族の死や落雷が相次いたことから、人々が『これは道真のたたりではないか』と思うようになり、947年、北野の地に神殿を建て、神様である天満天神として祭りました。北野天満宮(京都市上京区)の始まりです。

徳川家康は『遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌(いはい)は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請(かんじょう)せよ』と細かな遺言を残しました。日光(栃木県日光市)が江戸から見てほぼ真北の方向であることから、『北極星を背に江戸(東京)や関東、日本全土を守る』という趣旨です。

菅原道真や徳川家康のような歴史上の人物も、神様として日本や人々の『ご縁』を考えてくれていると思うと、神としてあがめる古来日本の精神や、八百万(やおよろず)の神々の存在を身近に感じられるのではないでょうか」


関連記事

オトナンサーの他の記事もみる

あわせて読む

主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

生活術 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

生活術 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る 動画一覧を見る

記事検索

トップへ戻る