大皿に盛った料理を食べる際、日本では「取り箸」を使って自分の分を取り分けるのが一般的ですが、中国では、自分の箸で直接取る「じか箸」で食べることが当たり前です。しかし、じか箸では、食事相手の唾液と料理を通して接触することで新型コロナウイルスの感染拡大につながる可能性もあり、中国国内では現在、取り箸で料理を取り分けるよう呼び掛けられていて、食文化が大きく変わる可能性があります。

 なぜ、中国では料理をじか箸で食べるのでしょうか。ノンフィクション作家で中国社会情勢専門家の青樹明子さんに聞きました。

取り箸で食べるのは“水くさい”

Q.中国では、大皿に盛られた料理を食べる際、じか箸で食べることが当たり前です。なぜ、取り箸を使わずにじか箸で食べるのでしょうか。

青樹さん「じか箸で食事をすることで、相手との親近感が深まると考えられているからです。中国の食事形態といえば、丸いテーブルを大勢で囲み、大皿に盛られた料理をみんなで取り分け、大声でにぎやかに話しながら食べるのが基本です。一緒に食事をすることは、料理を味わうと同時に、コミュニケーションを深める意味もあるのです。

日本にも『同じ釜の飯を食べる』ということわざがありますが、同じ料理を食べることが、相手との距離をなくして親近感を深める意味があります。中国人はそのような大事な場で、取り箸を使うなどということは想定もしなかったはずです。取り箸を使って食べるのは“水くさい”、つまり、相手と距離があることを示すことになりかねず、ともに食事をするという大義まで失われてしまいます。じか箸は長年続く中国の習慣です」

Q.いつから、じか箸で食べる様式になったのでしょうか。

青樹さん「じか箸の歴史は、中国の大皿料理の歴史と重なります。現在のような大皿に盛られた料理を、丸いテーブルを囲んで大勢で食べるという形式は、中国の歴代王朝の一つである宋の時代からといわれています。日本の平安時代中期くらいです。それ以前は中国でも日本と同じく、食事が個別にお膳などに用意され、じか箸をする必要のない様式でした。個別に食事を分ける様式は、狩りなどで得た獲物を争いにならないよう平等に分けていた時代の名残なのでしょう。

しかし、宋の時代になると商業が発達し、商人が酒場(酒楼)などで食事をしながら商談を行うことが増え、大皿に盛られた食事をみんなで、じか箸で取りながら、商談をまとめていく風習が広がりました。それが、中国の各家庭にも浸透して現在に至っています」

Q.中国では、一緒に食事をしている人の取り皿に、じか箸で料理を取り分けることもよくあると聞きます。こうした行為は、どのような意味があるのでしょうか。

青樹さん「中国人と一緒に食事をするとき、メイン料理を食事相手のお皿に、じか箸でよそってあげる光景をよく見ます。中国人にとって一緒に食事をすることは、『私たちは親しい間柄ですよ』『私たちは仲間ですよ』という証明ですが、自分の箸で料理を取り分けてあげることにより、さらに相手との距離を縮められるとされています。考えてみれば、『唾液の共有』ともいえるわけで、中国人はこれを無意識のうちに親愛の情として行っているのです」

Q.中国人と食事をするとき、じか箸で食べ物を分けてもらうことを断れないのでしょうか。

青樹さん「相手との関係を深めたいのならば、断るのは難しいですね。とても失礼な行為だと思われるのに加え、『あなたたちとの食事は衛生的ではないです。嫌です』と主張していると受け取られかねません。親しい間柄で食事をするとき、わざわざ取り箸を使って料理を取り分けてあげたとしたら、中国人は『親愛の情が全くない』と思われても仕方がない、それが中国人の食事や箸に対する正直な気持ちです」

Q.重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染が拡大した後、「取り箸を使おう」という機運が中国国内で高まったと聞いています。なぜ、普及しなかったのでしょうか。

青樹さん「確かにSARSの感染拡大が起きた後、中国国内で取り箸を使うことが推奨されました。中級以上のレストランでは、各自の席に取り箸と自分が食べるための箸の2種類の箸が置かれ、じか箸をしなくても済む工夫が行われました。しかし、2種類の箸を使い分けることは難しく、すぐに取り箸用の箸で食べたり、自分が食べるための箸を取り箸にしたりするようになって、混乱してしまうのです。取り箸に慣れているはずの私でも、途中で訳が分からなくなってしまいました。

大皿に取り箸や取りスプーンを添えることもSARSの後には頻繁に行われ、直後はみんな守っていましたが、庶民のレストランではすぐに廃れてしまいました。『喉元過ぎれば熱さを忘れる』と同じで、感染が収まると忘れてしまったのです。じか箸は長年続く歴史ある習慣なので、元に戻るのは簡単です」

Q.新型コロナウイルス感染症の感染拡大を予防するため、「取り箸を使おうキャンペーン」が中国政府主導で行われています。今までの習慣を大きく変えることを、中国人はどのように思っているのでしょうか。

青樹さん「頭の中では『じか箸は変えた方がよい』と思っていても、いざ現実に変えることは難しく、葛藤を抱えているようです。中国で行われたある調査では、取り箸を使うことへの支持率は100%で、取り箸を採用すべきだと全員が回答したのに対し、現実に取り箸を使っているかを聞くと、使用率はごくわずかという結果でした。

頭で分かっていても、長く続く習慣であり、簡単には変えられないのでしょう。中国人にとって、取り箸を使うというのは究極の他人行儀なので、できれば使いたくないという心理があり、普及するには時間がかかると思います。新型コロナの直後は、取り箸を使う人も多いでしょうが、SARSと同じく、しばらくたてば、忘れ去られてしまうのではと思います」

Q.では、新型コロナ後も中国のじか箸の習慣は続きそうということでしょうか。

青樹さん「今の中国の若者には、取り箸を使う習慣は浸透するかもしれません。子どもの頃から、ケンタッキーやマクドナルドなどファストフードになじみがあり、大勢で食べるよりも、一人一人が自分の分だけ箸やスプーンを使って食べることに慣れているからです。年齢の高い層とは異なり、若者は柔軟に変わっていく可能性があります。

また、中国料理を西洋式に食べようということが、中国国内で提唱されています。つまり、大皿ではなく、個別にお皿に盛って提供し、食べるという方法です。この方法では相手との一体感がなくなり、もてなしの気持ちも損なわれてしまいますが、衛生的ではあると捉えられてます。

新型コロナ以降、健康を取るか、プライバシーを取るかというのは、全世界の人々に突き付けられている命題ですが中国人の場合、これに『民族の伝統』を取るかが加わっています。中国人も岐路に立っているように思います」