かつてビートルズを日本語で歌うアーティストたちがいた。大真面目に日本語詞で歌うグループから、独自の解釈をした訳詞と歌い方をした歌手、トリビュートをしながらも遊び心を失わないで取り組んだアーティストまで、さまざまである。

 だが、現在はビートルズの楽曲に日本語詞をつけて歌うことは困難になっている。というのも、ビートルズ・サイドによる楽曲の管理強化が年々厳しくなっているからだ。作家の村上春樹が「イエスタデイ」の関西弁訳を取り入れた短編を発表したが、「クレーム」がつき、大幅な削除を強いられた件は記憶に新しいところだ。

 日本語版ビートルズを手掛けたアーティストのうち、横綱級なのが松岡計井子だと思う。70年代から渋谷の小劇場「ジァン・ジァン」で、ビートルズの曲に独自の日本語詞をつけて歌ってきた。独特の訳詞とドスの効いた(?)歌声が印象的だ。アルバムも4枚発表し、同劇場が閉館する2000年まで、ほぼ毎月、ビートルズやジョン・レノンの作品をレパートリーにしてコンサートを開き、多くのファンを魅了してきた。

 どんな日本語詞だったのだろうか。例えば「抱きしめたい」の場合、「オー・プリーズ/とても今隠しきれない/その手は太陽と同じだろう/手と手を触れてみたい/生きるために」。あるいは「ガール」は、「苦しみはいつでもやってくる/別れたそのあとに/女はいつでも涙見せ/別れを待たせるの/アー・ガール」といった具合にユニークだ。

 89年にCD『松岡計井子ビートルズをうたう』がリリースされたが、現在は廃盤で入手困難。ただ、オンラインの配信でアルバム18曲ごと、あるいは曲単位で購入できる。

 そして大関級なのが、直訳ロックで有名な「王様」のアルバム『カブトムシ外伝』だろう。ビートルズのオリジナル楽曲の日本語訳ということになると権利問題が生じる可能性があると「脅されて」、ビートルズ初期のカバー曲を取り上げて直訳した。12曲収録のCDは「ツイスト・アンド・シャウト」のカバーで始まる。日本語タイトルも「ひねってワオ!」。

 タイトルだけ見ていっても面白い。「プリーズ・ミスター・ポストマン」が「お願い郵便屋さん」、「ミスター・ムーンライト」が「月光おじさん」、「ロング・トール・サリー」が「長身サリー」、「ボーイズ」が「男子」、「マネー」が「ゼニ―」といった具合だ。歌詞は思わず笑い転げてしまうほどにユニークな直訳ぶりだ。

 変わり種ということでいえば、民謡歌手の金沢明子の「イエロー・サブマリン音頭」は外せまい。大瀧詠一がプロデュースを務め、66年のビートルズのこのヒット曲を遊び心たっぷりに音頭にしてしまったのだ。こぶしが効いた金沢明子の歌いぶりが印象的で、企画者の川原伸司は、ポール・マッカートニーの日本公演を見に行ったときに、開演前に流されていたDJミックスで「イエロー・サブマリン音頭」が流れて、思わず「やった!」となったという。ポールもどこかで聞いたのだろうか、気に入ったに違いない。

 ビートルズの日本語版ということで、元祖といえば「東京ビートルズ」だろう。

 1964年2月、ビートルズが米国上陸を果たし、熱狂的なブームになったことが日本にも伝わり、何と翌月に東京ビートルズが結成されたのだ。ロカビリー時代に小坂一也や平尾昌晃といった和製プレスリーを輩出した日本は、当然のように東京ビートルズも輩出したのだ、とCD『meet the 東京ビートルズ』のライナーノーツは説明した。

 東京ビートルズは「抱きしめたい」と「プリーズ・プリーズ・ミー」、そして「キャント・バイ・ミー・ラブ」と「ツイスト・アンド・シャウト」の2枚のシングルをリリース。日本語訳は漣(さざなみ)健児が手掛けた。この4曲は94年発売の前述のCDに収められた。

 漣は、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」を日本語に置き換えて、ザ・カーナビーツに提供したことがあるが、歌詞の中の「デズモンド」を「太郎」、「モリ―」を「花子」として、ビートルズ・ファンの一部からひんしゅくを買ったというエピソードを持っている。

 このほか、id.guatarroのブログ「森の掟」によると、上々颱風の「Let it be」、小山ルミの「カム・トゥゲザー」( ’73年に全曲ビートルズの日本語カバーアルバム『ビートルズを歌う』をリリース)、細野晴臣と忌野清志郎と坂本冬美のユニット「HIS」による「アンド・アイ・ラヴ・ハー」、ガロの「ビコーズ」、NHK「みんなのうた」で使われた田中星児の「オブラディ・オブラダ」、近藤真彦の「抱きしめたい」といったものもある。

 「王様」がビートルズの楽曲の日本語版を制作しようとしたときに直面したように、ビートルズ・サイドによって楽曲の権利が厳しく管理され、それが強化されていることから、かつてのような日本語ビートルズの歌というのは実現困難になっている。

 歌だけではなく小説の世界でもそうだ。村上春樹は『文藝春秋』2014年1月号で短編小説「イエスタデイ」を発表した。風呂に入ってビートルズの代表曲のひとつ「イエスタデイ」に関西弁の訳をつけて歌う男が登場する。「昨日は/あしたのおとといで/おとといのあしたや」というようなユーモラスな関西弁が発表時には話題になった。

 しかし、この短編が収録された単行本が出ると、オリジナルでは19行あった関西弁の歌詞がわずか3行にまで削減されてしまっていた。村上は「歌詞の改作について著作権代理人から“示唆的要望”を受けたためだ」と単行本のまえがきで説明していた。 (=敬称略)

(文・桑原亘之介)