欲しいのは、金メダルだけじゃない――日本人陸上選手として初めてパラリンピックのメダルを獲得した“レジェンド”山本篤は、少し前からそう考えるようになったという。走り幅跳び(大腿切断クラス)で銀メダルに輝いた北京、注目を集めながらメダルなしに終わったロンドン、走り幅跳びと4×100mリレーで2つのメダルを獲得したリオ、さらに2018年にはスノーボード競技で冬季パラリンピックも経験した。東京2020パラリンピックでもメダルが本命視される“義足のアスリート”が大舞台での挑戦を通して発信したいこととは――。

金メダルと同じくらい大切な「目標」

2019年11月にアラブ首長国連邦で行われた「ドバイ2019世界パラ陸上競技選手権大会」の男子走り幅跳び(T63)で3位に入り、夏季4度目となるパラリンピック日本代表に内定した。過去にパラリンピックで金メダルを獲得したことはまだない。東京で目指すは表彰台の最も高い位置なのだろう。

山本篤(以下、山本) 走り幅跳びが行われる8月29日に最高のパフォーマンスをすること。それが東京パラリンピックの目標です。もちろん勝ちたい気持ちはあるし、目標にしている7mや自己ベストを跳んで金メダルを獲れたら最高にうれしい。でも最近は『金メダルが目標』とは口にしませんね。自分が最高のパフォーマンスをして大きなインパクトを残す。それが一番大切だと思うようになったからです。


地元の大声援の中で自己最高のパフォーマンスで記録更新を狙う(写真はリオ2016パラリンピック)©Getty Images Sport

山本は17歳のとき、事故で左足の大腿部を切断。高校卒業後、初めて競技用義足を目にして「かっこいい!」と感じたことが競技をスタートさせるきっかけになった。その頃、シドニーパラリンピックがあり、日本は初めて義足の陸上選手を派遣した。だが、まだ情報は少なく、義肢装具士の専門学校に通っていた山本は運よく板バネ義足で走る機会を得ただけだった。

山本 今は僕たちの頃とは違って情報がたくさんあり、世の中の人たちの考え方が変わったと思うんです。当時は義足を隠す人が多かったけれど、最近では自分のSNSでリハビリの様子をどんどん発信する人もいるほど。そうやって受傷から日常生活に戻るところまでのアプローチや人々の見方は大きく変わった。今度は、そこからもう一歩踏み込み、義足の人のスポーツをする選択肢がもっと当たり前に知られていくといいと思います。まだまだ僕たちのような一部の層だけしか情報を探すことができないのが現状だけれど、東京パラリンピックの開催はそれが大きく変わるタイミングだと思う。メディアは長時間テレビで大会を放送するだろうし、義足のアスリートが人目に留まる機会が圧倒的に増える。多くの人たちに僕のパフォーマンスを見てもらいたいですね。

義足の子どもたちをもっと元気に

東京開催には大きな期待を寄せているものの、その先への危機感も抱いている。現在、日本では義足でスポーツを始めたいと思ったら、スポーツセンターや義肢装具士が主宰するランニングクラブに足を運ぶくらいしか手段がないからだ。

山本 パラリンピックを見てくれてやりたいと思ってくれた人がいるときに、その人たちを受け入れる環境があるかどうかがすごく大事ですよね。民間で頑張っている人はいるものの、残念ながら環境整備はまだ不十分です。とくに子どもたちを取り巻く環境を大きく変えるなら今しかない。もう残る時間は少ないのですが、この機会に東京パラリンピック後に残るレガシーをつくらなくてはいけないと思います。

パラリンピアンとして義足で走る数多くのクリニックの講師を務め、走ることで笑顔になる子どもたちの姿を見てきた。さらに2018年に第一子が誕生し、子どもたちの環境整備に寄与したい思いは強くなるばかりだという。

山本 パラリンピックは一過性で終わってしまうけど、制度はずっと残るものです。だからこの機会に自治体を巻き込み、義足の子どもたちも他のみんなと同じように体育で走ることができるように制度化してもらいたいですね。小・中学生に対する取り組みが、これからもずっと続くのはすごく意味のあること。用具というと費用面が壁になりそうですが、高価なカーボンを使用したとしても成型方法を工夫すれば安い競技用義足ができる可能性もあると聞きます。モノを用意することで子どもたちが全力で体を動かせるようになるのなら用意すべきだし、そこは変えていきたいですね。
どこか自治体が日本初のシステムとして教育課程に競技用義足を導入してくれたら、それが日本各地に波及するかもしれないと期待しています。僕も故郷の静岡県掛川市に働きかけていますが、対象となる児童や生徒がどれだけいるかどうか調査するところから始めてもらいました。実現すれば、僕たちがレクチャーしに行くことになると思うので、中途障がいなどでふさぎ込んでいる子どもたちに、楽しそうに生活している選手の姿も見てもらえたらと思います。

一方、パラアスリートの競技性の高さは世間に広く知られるようになり、山本が競技を始めた2001年当時と比べてスポーツ選手としてリスペクトされるようになった。9年に渡ってパラ選手では異色の実業団選手だった山本は2017年からプロになり、スポンサーからの提供資金や出身県からの支援で競技を続行している。

山本 パラアスリートを見る目は確実に変わってきたと感じます。選手名をスラスラ言える一般の方はまだ少ないかもしれませんが、『パラリンピックの義足の選手はスゴい記録を出す』と認知されている。オリンピック選手を超えるほどの大ジャンプをする片下腿義足のマルクス・レーム(ドイツ)やロンドン大会のオリンピックとパラリンピック両方に出場した両足義足のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)の影響が大きいと思います。義足選手にとってオリンピックに出場したり、健常者の記録を超えるというのは大きな意味を持つことだし、何より義足で速く走ったり、跳んだりすることができることを多くの子どもたちに知ってもらえるのは大きい。義足のイメージがポジティブになりますから。

ロンドンで感じた“心のバリアフリー”と東京らしさ

さらにいえば東京開催を目前に控え「パラリンピック」という言葉を知らない人はもはやほぼいない。史上最高といわれるロンドンパラリンピックで“心のバリアフリー”の素晴らしさを感じたという山本は今、日本のバリアフリーをどう感じているのか。

山本 2013年に東京パラリンピック開催が決まってから、“心のバリアフリー”という面では日本は案外変わっていないと感じますね。障がい者に対する理解は出てきたと思いますけど。でも、こればかりは国民性だから仕方ないと思います。
合宿や試合で毎年4〜5ヵ国を訪ねますが、ハーフパンツ姿で義足をむき出しにしているので、よく電車の席を譲ってもらえますし、同行している妻がベビーカーを押していると「何か手伝う?」と声をかけられます。パラリンピックの開催都市ロンドンでも年配の女性が重そうな荷物をもっていたら若者がためらわずに手伝うというような光景を目にします。リオの人たちもすごくフランクでしたが、日本人がオープンな国民性の国の人たちを無理に真似なくてもいいと思うんです。
一方で、建物のバリアフリーは日本が一番進んでいる。アプリでエレベーターやエスカレーターの位置もわかったり、車いすの人が競技場に向かうときにまでどのルートで行けば進みやすいか知れたりする。むしろそこを極めていったらいいんじゃないかと感じますね。

東京パラリンピックが終わったら、パラリンピックで活躍したアスリートとしてマラソンの大会に出場して完走したいそうだ。子どもたちが元気に走る姿を見るために。山本篤の挑戦はまだまだ続く。

text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda