古来、天皇や王の役割は疫病を鎮める祈祷にあった。ところが現代中国の「王」は疫病を鎮めるどころか、世界中にウイルスを拡散させてしまった。地球に宿痾をもたらす「病」を中国評論の石平氏、縄文文化に通じた関裕二氏が解明する。

本稿は月刊誌『Voice』2020年7月号、関裕二氏、石平氏の「縄文文明vs.中国文明」より一部抜粋・編集したものです。


「木が最高の宝」という認識

【石】関先生の『縄文文明と中国文明』(PHP新書)をたいへん興味深く読みました。縄文時代について驚くのは、1万数千年ものあいだ、縄文人のあいだで大規模な戦乱がなかったこと。発掘された遺骨を調べても、戦闘による外傷の痕が見られない、という。

なおかつ縄文人は交易や食糧備蓄など、高度な生活を営んでいました。世界史で見てもたいへん珍しい例だと思います。なぜ、このような暮らしが可能だったのでしょう。

【関】まず交易について、縄文人は当時すでに中国大陸や朝鮮半島へ渡っていました。縄文期の日本は湿地帯が多く陸路には不向きで、河川の移動を含めた「海の民」の活躍がなければ内外の流通が成立しなかった。

彼らは独自の情報ネットワークをもっており、たとえば朝鮮半島で金属をつくっているとか、中国大陸で戦乱が起きている、木を伐採しているとか、多くの情報を日本列島へ持ち帰っていました。

日本神話の神スサノヲは、鉄を求めて日本海を行き来した倭人だったといわれます。『日本書紀』神代第八段一書第五に、スサノヲの以下の言葉があります。「韓郷の島(朝鮮半島)には金銀(鉄や金属)がある。もし私の治める国に浮宝がなければよくない」。

ここでいう「浮宝」とはスギやヒノキ、クスすなわち樹木です。スサノヲはじつは熊野に樹木を植えており、縄文人の末裔といってよいでしょう。日本では、神話の時代から「木が最高の宝」という認識が受け継がれていることになります。

【石】縄文人は森や自然を大事にし、急速な開発をしなかった。他国の情報や文物を取捨選択し、新たな生活様式をゆっくりと取り入れたのでしょう。中国から稲作が伝来した際も、急激に国内を農業化するのではなく、狩猟・採集文化と並存するかたちで文明を保つことができた。

【関】縄文人が平和を志向するのは、狩猟民族の特性です。彼らは、生きるのに必要な分しか狩りをしなかった。宮沢賢治(岩手県出身)の『銀河鉄道の夜』に出てくる「鳥捕り」いわく、「からだに恰度合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな」。

【石】中国の場合は、そうはいきません。4つ足のものなら机と椅子以外、何でも食べ尽くしてしまう(笑)。

戦乱の末に権力を手にした中国の王朝が真っ先に行なうのは、自然の破壊です。森を潰して耕地をつくり、木を燃やして起こした炎で青銅器や鼎を鋳造しました。なおかつ、それらは実用品ではありません。王が自らの政治権力を誇示するための道具で、無用の長物にすぎなかった。

拙著『石平の裏読み三国志』(PHP研究所)で三国時代について記したように、中国史はつねに「乱世」と「治世」の交替です。なおかつ治世の時代も平穏無事ではなく、苛烈な権力闘争と粛清が繰り広げられる。


日本文明は「女性的」

【関】中国のもう一つの特徴は、天帝信仰です。北極星の一点を中心に、周囲を星々がめぐるように見えることから、北極星を「天」と呼んで一人の皇帝(天皇大帝)に絶対権力を移譲、集中させた。一神教的発想の典型です。

【石】日本には元来、皇帝のような絶対権力者がいなかった。小部族が集まった上に大和朝廷を戴くような緩やかな統治形態で、天皇についても同様のことがいえます。

【関】たしかに日本史上、天皇の命令は絶対でした。ただしその命令は、じつは天皇本人の意志ではない。

【石】どういうことでしょうか。

【関】天皇の命は、神からの託宣のかたちを取ります。天皇(王)と皇后(正妃)の下に男子と女子が生まれ、男子が即位すると女子は巫女として神託を受け、神命を天皇に伝える。

ところが神託の本当の出どころは母(前皇后)の実家で、要は外戚の地位を獲得した豪族が実権を握っているのです。完全な母系社会による支配。

【石】いまの私の境遇と同じですね(笑)。女房とその実家のご両親に支配権を掌握された操り人形。

【関】中国の家制度についてはどうですか。

【石】中国の場合、とくに漢民族は完全な父系社会です。それも一種の「拡大された父系社会」であって、たとえば石一族の例でいえば、1世帯や2世帯ではなく、数百世帯の「石」家が同じ地域に固まって住んでおり、一つの宗族を構成しています。

宗族の族長には必ず男子が立ち、父系の権威・象徴として一族を管理する。先祖を祀る祀堂に女性は簡単に入れず、女性はいわば宗族の付属品、子孫を繁栄させるための道具でしかない。男子の妻は外の一族から嫁いでくるので、宗族内での女性の立場がありません。

だから、縄文文明から発した日本文明が「女性的文明」であるとすれば、中国文明はまさに「男性的文明」。皇帝独裁の発想もそこから生まれるのです。