香港の民主主義の危機が急速に報じられる昨今。ジャーナリストの福島香織氏は、2019年末の時点で「香港の法治はすでに死んでいる」と断じていた。警察は市民に信用されておらず、警察の暴力は、一般市民や外国人にも無差別に振るわれる、無法状態にあるという。香港は再び法治と自由と民主を取り戻せるのか。

月刊誌『Voice』2019年12月号では福島氏が、当時の現場取材を通して香港の厳しい現実が浮き彫りにされていた。ここではその一節を紹介する。

※本稿は月刊誌『Voice』2019年12月号に掲載された「「大学戦争」の敗北とウイグル化の危機」より一部抜粋したものです。


勇武派デモ隊の変化

まず香港デモの状況について、その推移を整理したい。私はこれまで7月、9月、10月と三度、現場で取材した。そして訪れるたびに、想像を超える状況悪化に心震えたのだった。

もとは逃亡犯引渡し条例の改正による中国への犯罪人引渡しに反対するデモからスタートした。6月9日、100万人の大規模平和デモが整然と要求を掲げて行進していた。

民間人権陣線が呼びかけ人で、この組織は2003年から毎年7月1日に大規模デモを行なってきた経験があった。一方でデモ参加者のなかには、こうした平和的デモでは香港政府は譲歩しない、と主張する人たちもいた。

ある程度の暴力を容認するグループは勇武派と呼ばれ、政府庁舎や立法会(国会に相当)を包囲し圧力をかける行動に出た。香港警察は12日、これに対し警告なしで催涙弾やゴム弾、ビーンバッグ弾を発砲。これが、香港警察と勇武派デモ隊との泥沼のような戦いの始まりだった。

7月1日に勇武派デモ隊が立法会に突入。

この段階で、私は現地取材を始めたのだが、このとき、勇武派の参加者は「僕たちはある程度の破壊活動を行なうけれど、それは権力の象徴だけを対象にしている。立法会の建物は破壊したけれども、図書などの文化財は保護したし、泥棒じゃないから略奪行為をしなかった。独立宣言をしない、テロ活動をしない、市民を傷つけない、の三つの道徳線を守れば、それは暴徒ではなくてデモだと国際社会は支持してくれるだろう」と主張していた。

デモ隊が立法会に突入したときに中にいた立法会議員の鄭松泰(チェン・チュンタイ)氏に直接聞いたところによれば、立法会の中で、突入したものの急に怖くなって泣き出したデモ参加者もいたという。

だが9月中旬に再び香港を訪れたときは、勇武派の雰囲気はかなり変化していた。彼らは手製のプロテクターを身に着け、遺書を書いて"出陣"し、本当に命がけで戦うつもりでデモの最前線にきていた。

政府庁舎に火炎瓶を投げつけ、地下鉄設備を破壊し、親中派の店舗に対して落書きや破壊も行なっていた。警察は容赦なくゴム弾や催涙弾を打ち込み、暴徒鎮圧用の高圧放水車が放つ青いペッパー水を浴びせかけていた。

市民を傷つけない、という道徳線があったはずだが、親中派市民に対しては街中で乱闘、暴行を行なうこともあった。


警察による容赦ない暴力に

このころ平和デモをめざすグループ、勇武派デモを行なうグループのほかに、「願栄光帰香港」という"香港国歌"を広場やショッピングモールでフラッシュモブのように歌う活動が登場した。

この歌は香港のネット掲示板に集う有志たちがつくり、8月末にYouTubeに突然アップされ、瞬く間に広がった。平和デモの許可が香港警察から下りなくなって、違法デモ参加に躊躇する人たちがこうした集会に参加し、毎晩のように各地で"歌う集会"が間欠泉のように出現していた。

多様化していくデモや集会は特定のリーダーが定まっておらず、SNSで漠然と繋がってはいるが、異なるグループ同士は参加者同士で連携もしていない。

異なるやり方について「歌うだけでは効果がない」「暴力デモは世論の支持を得られない」などと影で批判し合うことはあっても、運動の求心力を弱めないために表だってお互いのやり方を非難しないという暗黙の了解があった。

これは、運動のさなかに急進派と穏健派が主導権争いで対立する場面もあった雨傘運動のときと大きく異なる。

こうしたリーダー不在で多様に変化するデモは、ブルース・リーの格言「Be Water」(水になれ)の精神にならうものとして欧米メディアは「水の革命」と呼んだ。香港国歌歌詞のフレーズをとって「時代革命」と呼ぶものもいた。

平和デモと勇武派デモ参加者は圧倒的に10〜20代の若者が多いが、青少年を警察の暴力から守ろうというボランティア「守護孩子」やデモ参加後の青少年を家まで自家用車で送り届けるボランティア「スクールバス」ほか、物資・金銭的支援を含めた後方支援には、中高年や社会的地位の高い人たち、富裕層も多く参加していた。英米のフラッグを振る外資系バンカーマンを中心にした運動もあった。

デモの原動力には貧富の格差や生活苦の不満を投影した部分があるものだが、必ずしもそれだけではない。香港の法治と自由を守ることが香港人の利益である(その手法の有効性については統一見解をもたない)という共通認識のもとに長期化、大規模化する運動であるように感じた。