作家・岸田奈美さんが大学受験を目指したとき、母親は大動脈解離の大手術と後遺症で入院中、高齢の祖母、ダウン症の弟、父親は中学生のときに逝去という、満身創痍のチームでした。

でも、なんとしてでも、車いすユーザーとなった母親が「生きていてよかった」と思える社会にするために、岸田さんは関西学院大学の福祉とビジネスを学べる「社会起業学科」合格を目指します。

どうやって勉強すれば、E判定がくつがえるか? ある整骨院の「よい大人ではない」先生との出会いが岸田さんの受験を大きく動かしていきます。

※本稿は、岸田奈美著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)から一部抜粋・編集したものです。


見つけた夢、しかし合格判定は「E」

生まれてこの方、トラブルばかりに見舞われる。

しかし立ち行かなくなったとき、どこからともなく助けてくれる人が現れるという豪運っぷりだけは、大手をふって自慢させてほしい。

高校生のとき、わたしを助けてくれた先生の話をしよう。17歳のわたしは、はちゃめちゃに焦っていた。

家には病気の後遺症で歩けなくなって、苦しみながら入退院をくり返し、リハビリに打ち込む母がいた。「死にたい」と打ち明ける母に、わたしは「もう少しだけ時間をちょうだい。大丈夫だから」と口からでまかせをいって、食い止めた。策なんてなかった。

しかし、勝てば官軍。あとから大丈夫にすればいいのだ。わたしはありとあらゆる手段を求めて奔走し、たどりついた高校の進路相談室で、とあるパンフレットを手にしていた。兵庫県にある関西学院大学の入学案内だ。表紙にはこう書かれている。

「日本初! 福祉とビジネスを同時に学べる、社会起業学科を新設」

「渡りに船」とはこのことだ。わたしの父は経営者だった。脳裏に、『進め!電波少年』のごとく、ボフンッと父と母の顔が浮かぶ。

この大学に行けば、父が得意だったビジネスの力と、母を助ける福祉の力を、同時に得られるかもしれない。最強の二刀流じゃん。宮本武蔵じゃん。

「ここだ。ここに進学するしかない!」

そういってわたしが鼻息を荒くしたのは、高校2年生の秋が終わるころだった。すぐさまノコノコと街へくり出し、模試なるものを受けにいった。届いた結果に、思わず目をおおいたくなった。でかでかと印字された合格判定は「E」。

WやZに比べたらまだ前の方のアルファベットでよかったなとのんきに思ったのだが、Eは一番下のランクだった。合格確率は5%以下。一説によるとアイスのガリガリ君がもう1本当たる確率と同じである。

数え切れないほどのガリガリ君を食べてきたが、当たったことなど一度もない。ガリガリ君を当てにいくノリで、入試を受けにいかなければならない自分に、愕然とした。

E判定の項目には、ご丁寧に「志望校の変更を」と書かれていた。ぐうう。

ガリガリ君はあきらめて、ヤッターメンにすべきか。あれなら何回か当たったことがあるぞ。

でも、どうにもあきらめきれなかった。

ならば道はひとつしかない。学力を伸ばすだけだ。しかし道がわかったところで、進めるかどうかは別問題なのだ。わたしはそもそも高校の授業についていけてなかった。


よい大人ではなかった、よい先生

高校1年生のとき母が倒れてから、わたしは病院へお見舞いに通いつめていた。自宅から2時間くらいかかる場所にあったので、行き帰りだけで泥のように疲れてしまい、気がつけば授業で寝落ちしていた。

するとあっという間に授業がチンプンカンプンとなり、英語の授業などは特に、机に大好きなバンプ・オブ・チキンの歌詞を書く時間と化した。午前二時フミキリに望遠鏡を担いでいってる場合ではない。

塾に通うという選択肢もなかった。そんなお金、とてもじゃないがうちにはない。岸田家を構成するのは入院中の母、高齢の祖母、ダウン症の弟、そしてわたし。みんな必死に1日を生き延びる、満身創痍のチームだった。

「世界でいちばん簡単な参考書」と帯に書かれた参考書を手にとってみたものの、なにひとつわからなかった。もはや生まれてくる世界すら間違ってしまったのかと不安になる。

そんな折、さらなる「渡りに船」の情報を入手した。どれくらいの船かというと、プール・カジノ付きの20階建て豪華客船レベルだった。「渡りに豪華客船」といっても過言ではない。

近所にある整骨院の院長先生が、なんとその昔、大手の塾で英語を教えていたらしい。どんな経歴なんだ。しかしそんなことを気にしている場合ではなかった。

整骨院に飛び込んで、先生に事情を話した。すると先生は快諾してくれた。

ちょうど母が退院したタイミングだったので、3人でご飯でも食べながら戦略を練ろうということになり、我々は居酒屋に集合した。

模試の結果を見ながら話すかと思いきや、先生はいきなり1枚のプリントをわたしに手渡した。

「ほな、その線が引いてるところを和訳してみ」

プリントには、こんな英文が書かれていた。

This tree bears two good fruits, so I want pick that.
(この木はふたつの実をつけるから、わたしはそれを摘みたい)

ここからわたしが読みとれたのは、bear がクマということ、fruits がフルーツということ、picksがなんか引っかけるとかそういう意味っぽい気がしたことだけだった。

「この木に、わたしは2匹の……クマを……つり下げたい……?」

猟奇的すぎるわたしの発想に、先生はギャハハハと大笑いしはじめた。なんというかどう見ても、酔っぱらいにからかわれていた。大丈夫なのか。

「bearには実をつけるって意味があるんや」
「そんなの聞いたことないですよ」
「うん。受験で使うような有名な単語ではないからな」

そんなのわからなくて当たり前じゃないか。わたしはポカンとした。

「前後の文がちゃんと読めとったら、この単語の意味がわからんくても、なんとなく予想できるねん。ってことは、君は全然英語が読めてへんってことやな」

ガッハッハ、とまた笑いながら先生はビールをおかわりした。めちゃくちゃ不穏なすべり出しだけど、本当に大丈夫なのか。助けを求めるつもりで母を見ると、母はニコニコしながら七輪でスルメを焼いていた。どんな心境なんだ。

しかし、わたしにはもう後がない。先生についていくしかなかった。