名選手にして、名監督。日本プロ野球きっての"アイデアマン"でもあり、多くの著書を著した”作家”とも。多くの人々に親しまれた野村克也氏の逝去の報に、日本が驚きと悲しみに包まれた。

その野村氏が旅立つ直前に上梓した書『リーダーとして覚えておいてほしいこと』では、野村克也氏が捕手についての思いを静かに熱く語っている。本稿では、同書よりその一節を紹介する。

※本稿は野村克也著『リーダーとして覚えておいてほしいこと』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです


30年間のプロ野球生活のなかで、そのスローイングはナンバーワン

私がヤクルト監督に就任した89年秋、ドラフト会議前の片岡宏雄スカウト部長との会話だ。

「いい捕手がいますが、メガネをかけています。視力の面でナイトゲームは不利かもしれません」
「キャッチャーマスクをかぶるときにメガネは邪魔だしな。だが、今はコンタクトレンズも普及した」
「打撃は非力です」
「捕手と遊撃手は守備が一番。打撃は二の次でいいから目をつぶろう」

いざ入団してみると、古田敦也(ヤクルト)は、眼球に凹凸があって、コンタクトレンズ装着は無理だった。

それがどうだ。古田は私のそれまでの30年間のプロ野球生活の中で、捕手としてのスローイングはNo.1だった。

盗塁阻止率4割で強肩と言われる中、古田は106試合出場、盗塁企図55、刺殺29、盗塁阻止率.527。プロ1年目にしてゴールデングラブ賞を獲得したのは捕手で初めての快挙だった。

プロ2年目の91年オールスターゲーム第1戦で1試合3盗塁刺(オリックス・松永浩美=85年盗塁王、日本ハム・白井一幸=89年38盗塁、西武・秋山幸二=90年盗塁王)。

93年は6割を超える驚異的な盗塁阻止率をマーク(93年盗塁企図45、刺殺29、阻止率・644)。「異色の強肩メガネ捕手」と呼ばれた。
古田自身は盗塁阻止のコツをこう話す。

「僕は、遠投100メートル。捕手の平均レベル以下の肩です。でも、捕手の投げる最長距離はダイヤモンドの対角線ですから、捕ってから投げるまでの時間を短くすればいい。強肩でないと走者を刺せないということはありません」

投球を捕球してから送球、二塁手に届くまで約1.8秒。古田は現役18年間で、走者の通算盗塁企図926、阻止率.462。年間平均51度走られて24回刺した計算だ。

(参考/横浜→中日・谷繁元信=現役27年=の通算盗塁企図1634、阻止率.368。年間平均61度走られて22回刺した計算。巨人・阿部慎之助= 現役19年= の通算盗塁企画1000、阻止率.348。年間平均53度走られて18回刺した計算)

2018年の日本シリーズで甲斐拓也(ソフトバンク)は広島の俊足走者を6連続で刺してMVPを獲得した。

しかし、古田はもっと凄かった。課題だと言われた打撃も通算2000安打をマーク。

あのとき「メガネをかけている捕手だからダメだ」という固定観念や先入観で古田をドラフト指名しないで、古田がヤクルト以外の別のチームに入団していたら、日本プロ野球の歴史は間違いなく変わっていた。そんなエピソードである。

固定観念と先入観だけで結論を出し、物事を吟味しないで決めてしまうと、大事なものを失うこともある。まさに固定観念は悪、先入観は罪だ。


野村と森…両名捕手とバッテリーを組み、的確な分析を見せた山内新一

投手が投げなければ試合は始まらないが、その前に捕手がサインを出さなければ投手は投げられない。言わば、捕手は「監督の分身」であり、「試合中の監督」なのである。

セ・リーグで実に8年連続(61〜68年)ベストナイン捕手に選ばれたのが、私より1歳下の森昌彦(巨人=現・祇晶)。

南海と巨人が日本シリーズで対決した年(61年・65年・66年・73年)を除き、パ・リーグ打者の情報を仕入れるため、日本シリーズ前、巨人・川上哲治監督の命令で私のところによく派遣されてきた。

「捕手の評価が低いよな。チームという扇の要の捕手の大切さを、2人で知らしめようや」

それから、ゆっくりとだが、着実に捕手の重要さは認知されていく。

73年、私はプレイング・マネージャー初優勝の美酒に酔った。巨人からトレード移籍の2人・山内新一が0勝からいきなり20勝、松原(福士)明夫(敬章)も0勝から7勝。東映から移籍の江本孟紀が0勝から72年16勝、73年12勝。

山内は、スポーツ記者から質問の嵐、カメラマンからストロボの光を浴びせられる。

「セ・リーグの名捕手・森捕手(巨人)のリードと、野村捕手(南海)のリードの相違点は?」

その前に、まず私に言わせれば、性格が全然違う。家が経済的に恵まれなくて、大学進学を断念したのは共通項だが、私は浪費家、森は節約家になった。だが、リードは違う。「やりくり」リードは私のほう。

図らずも、山内が、私たち2人を比較、なかなか的を射た分析だと思った。

「森さんは一流投手をリードするのが上手い、野村さんは僕らみたいな二流投手をリードするのが上手い」


ときは流れ、名捕手は名監督となり激闘を繰り広げた

森は巨人で藤田元司、堀本律雄、堀内恒夫、高橋一三ら、最多勝タイトル投手とバッテリーを組んだ。

そして現役時代は川上監督の分身として11回(巨人)、コーチ時代は広岡達朗監督の懐刀(ふところがたな)として3回(ヤクルト1、西武2)、監督時代は6回(西武)と、日本シリーズ無敗。

時は流れ92年と93年の日本シリーズ、監督として相まみえたときは感慨深いものがあった。

お互いの愛弟子(ヤクルト・古田敦也、西武・伊東勤)が名捕手になっており、野村と森の「分身対決」「代理戦争」とまで喧伝された頭脳戦の日本シリーズとなった。

92年は3勝4敗で後塵を拝したが、93年4勝3敗で雪辱。野村ヤクルトは、森の日本シリーズ連勝を20回でストップさせた。