クイズダービー 正解率低かった篠沢教授が人気者になったワケ

クイズダービー 正解率低かった篠沢教授が人気者になったワケ

 いまやテレビのレギュラー番組が視聴率40%を記録するなどということはほとんどなくなったが、1970〜1980年代には、そんなお化け番組がいくつもあった。そのうちのひとつ、5人の解答者に、出場者が持ち点を賭けるという競馬スタイルの『クイズダービー』(1976〜1992年、TBS系)は、開始当初こそ視聴率は低迷したが、1年後には視聴率30%を超え、最高視聴率40.8%を記録する人気番組となった。プロデューサーを務めた副島恒次氏がこう語る。

「開始直後は複雑なルールの説明に時間がかかり、視聴者がついてこれないばかりか、司会の大橋巨泉さんが最も得意とするアドリブトークが発揮できずに苦戦しました」

 解答者を6人から5人に、出場者を4組から3組にするなど改良に改良を重ねたのが結果につながった。成功の秘訣を「出演者やスタッフみんながあたかも神輿を担ぐようにしていたから」と副島氏は分析している。

「番組スタートに際し、広告代理店や作家陣、巨泉さんも含め、数十人で毎週、ああでもない、こうでもないと番組をともに作り上げていきました」(副島氏)

 さらに、スポンサーも積極的に番組作りに携わった。同番組はロート製薬の一社提供。一般的にスポンサーは出資だけの存在だが、ロート製薬の広告部長をはじめ、担当者が大阪から駆けつけ、セットの配置から問題の内容まで、細かな部分まで意見を述べたという。

「彼らは『私たちも番組スタッフの一員なんです』と言っていました(笑い)」(副島氏)

◆間違いに個性を見出したのがヒットの要因

 バラエティ豊かな解答者を揃えたことも魅力のひとつ。正解率7割を誇ったが、本番が終わると胃が痛くなっていた漫画家・はらたいらや、「間違いも上品でいいじゃないか」と、とぼけた表情でユニークな解答を披露する学習院大学教授の篠沢秀夫、カンのよさと知的なかわいさを持つ竹下景子は当時の政治家が「理想の花嫁」と語るほど人気となり、長年レギュラーを務める番組の顔になっていった。

 それまでにない面白い問題制作を心がけていたが、ヒットの要因は別にあると副島氏は言う。

「番組を始めて分かったことは、正解には個性がなく、間違った時にその人の個性が出るということ。正解率のあまりよくない篠沢教授の人気が高かったのもそのためです。クイズそのものより、巨泉さんが解答者と楽しそうにしていたトークが、お茶の間に広く受け入れられた要因だったと思っています」(副島氏)

●取材・文/戸田梨恵、小野雅彦

※週刊ポスト2019年8月16・23日号


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