五輪の記憶は、今でも当時の興奮を呼び起こす。同世代と話せば、「金メダルに涙した」「あの速さは異次元だった」と話は尽きない。、女性アスリートの「美しい思い出」も盛り上がる話題だろう。

 みんなが心を奪われた五輪ヒロインの歴史を振り返る。

「ゴールした直後に恋人に駆け寄ってキス……まるで洗練された映画のワンシーンのようだった。華奢で儚げな顔をした美人だったなぁ」

 1964年東京五輪で市川崑監督のもと記録映画の助手を務めた映画監督・山本晋也氏が、今も鮮明に覚えていると語るのは、陸上女子800メートルで金メダルを獲得したイギリスのアン・パッカーだ。

「当時の私は女子スポーツ選手に美的なものを求める感覚がまだなかった。だからこそ彼女の女性的な魅力と美しさは衝撃的だった」(山本氏)

 サッカー日本代表として東京五輪に出場した釜本邦茂氏が振り返る。

「忘れられないのは“体操の名花”と言われたチェコの体操選手ベラ・チャスラフスカです。選手村の食堂で本人を見かけた時は、あまりの美しさにしばらく口をポカンと開けたままだった。僕は20歳、彼女は22歳だったけど、大人びていて色気があって、彼女の周辺だけが光り輝いていた」

 チャスラフスカは跳馬、平均台、個人総合の3種目で金メダルを獲得した。

 1960〜70年代の五輪では、旧ソ連や東欧の体操選手たちがその美貌で脚光を浴びた。

「私はナタリア・クチンスカヤ派」と語るのは、漫画家のやくみつる氏。メキシコ五輪(1968年)の平均台と団体総合で金を獲り“メキシコの花嫁”と呼ばれた旧ソ連の体操選手だ。

「テレビ画面で見て、そのカワイイ顔の虜になり、何十年も経ってから携帯電話が出てきた時には迷うことなくクチンスカヤの画像を待ち受け画面に設定したほどです」

 一方、“白い妖精”と讃えられたのが1976年のモントリオール五輪で段違い平行棒、平均台、個人総合で3個の金メダルを獲得したルーマニアのナディア・コマネチだ。

「彼女はまだ14歳だったけど、不思議な色香がありました。当時は桜田淳子、山口百恵、森昌子が大人気でしたが、五輪の後は『コマネチに乗り換えた』という同級生が続出した」(61歳自営業)

 ロス五輪(1984年)では、競泳女子100メートル・200メートルバタフライとメドレーリレーで3冠に輝き“マダム・バタフライ”と呼ばれたアメリカ代表のメアリー・マーハーがアイドル的な人気に。

「ふっくらした体型とあどけない童顔がたまらなかった」(55歳会社員)

◆付け爪の最速女王

 対照的に次のソウル五輪(1988年)では、筋肉美で2人の美女が注目を集めた。一人は自由形を含む競泳3種目で金メダルを獲ったスレンダー美女のジャネット・エバンス。スポーツジャーナリストの生島淳氏が言う。

「当時珍しかったショートカットで、クリッとした目が印象的。明るくて、笑顔が魅力的だった」

 もう一人は圧倒的な走りで陸上100メートル、200メートル、400メートルリレーの3冠になったアメリカのフローレンス・ジョイナー。付け爪など、ファッションでも注目を浴びた。

「筋肉のついた脚線美だけでなく躍動感のある走りが、彼女の美しさにさらに磨きをかけていた」(政治評論家の小林吉弥氏)

 アトランタ五輪(1996年)の走り高跳び金メダリスト、ブルガリアのステフカ・コスタディノヴァを推す声もある。

「アイドル歌手の荻野目洋子に似ているということで、テレビで『ブルガリアの荻野目ちゃん』と呼ばれていた。コスタディノヴァはもっとクールな感じの美女で、抜群のプロポーションがこの世のものとは思えなかった」(前出・生島氏)

 近年では、モデル系アスリートの活躍も目立つ。

「その“走り”といえば、シドニー五輪(2000年)のイタリア代表バレーボール選手、フランチェスカ・ピッチニーニでしょう。184センチの長身で、イタリアのメンズ雑誌でヌードを披露したことでも話題を呼びました」(映画評論の秋本鉄次氏)

 同じシドニー五輪ではシンクロ女子デュエットで銅メダルを獲得し、圧倒的な美しさから“水の妖精”と呼ばれたフランスのヴィルジニー・デデューが注目を集めた。日本でもアニメ版『釣りバカ日誌』(テレビ朝日系、2002〜2003年放送)に彼女をモデルとした人物が登場するなど人気を博した。

※週刊ポスト2020年2月21日号