在任8年間、すべてAクラス入りし、リーグ優勝4回。数字だけでいえば、中日の落合博満監督は「平成の名監督」だ。にもかかわらず、リーグ優勝した2011年のシーズン途中に、同年オフでの退任が発表された。

「的確なベンチの采配があり、失策が少なくて、送りバントや盗塁の成功率が群を抜いていた。堅実な守備と足を絡めた機動力野球で白星を重ねていました」(中日担当記者)

 にもかかわらず“解任”された最大の理由は観客動員数だとされている。就任1年目の2004年は優勝したのに年間動員数233万人と前年から減少。最終年には214万人まで減らした。中日が強くても、ファンはナゴヤドームに足を運ばなかったのだ。

 落合監督のもとで5年間打撃コーチを務めた宇野勝氏が振り返る。

「落合監督は“強くなるとファンがついてくる”と話していたが、優勝争いをしてもスタンドは空席が目立つ。不思議でしたね。監督の考えは間違ってはいなかったんでしょうが、強いていえばマスコミ対応が原因かもしれない」

 就任以来、落合監督は担当記者にほとんどコメントを出さなかった。情報漏洩を防ぐためだったが、親会社の中日スポーツが先発投手予想を外すという“失態”が続いた。

「投手が中心のディフェンス重視の野球でした。選手は勝つために練習し、チーム野球に徹した。ファンから見れば手堅い野球で、派手さがなかったのは事実です」(宇野氏)

 2007年の日本シリーズ第5戦、勝てば日本一の場面で山井大介が8回まで完全試合を続けていたが、落合監督は9回のマウンドにストッパーの岩瀬仁紀を送り出した。

「前年に山本昌を温情で続投させて日本一を逃した反省だった。チームは日本一を達成したが、中日ファンからは非情采配への批判も多かった」(前出・担当記者)

 ファンに反発されてもオレ流を貫いた落合監督。宇野氏は「強ければファンはついてくる。ただ、プロなので言葉は悪いが、マスコミを利用してチームの宣伝もしないといけなかった」と締めくくった。

※週刊ポスト2020年4月3日号