新型コロナウイルスの流行をうけ夏の甲子園大会が予選も含めて中止になったとき、涙する高校球児の姿がいっせいにニュースで流れ、何らかの救済をという声が強まった。その声に後押しされてか、全国の都道府県で代替大会の開催が次々と決まっていった。仕事や人生がいまひとつうまくいかないと鬱屈する団塊ジュニアやポスト団塊ジュニアを「しくじり世代」と名付けた俳人で著作家の日野百草氏が、今回は、高3でレギュラーをつかんだ高校球児を子に持つ40代の父親が胸のうちに抱える、夏の甲子園大会中止への本音についてレポートする。

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「誰もコロナなんか気にしてない。中止にする必要、あったんですかね」

 千葉県柏市、柏駅のすっかり元通りになった日曜の混雑と嬌声の中、山倉哲さん(40代・仮名)はつぶやいた。改札で待ち合わせてステーションモール5階の喫茶店へ。同じ高校だったというが、私は山倉さんを知らない。学年も違うしマンモス校なので当然だが、どうしても言いたいことがあるとメールをくれた。最近は私のもとに告発や自身の告白などのメールがよく来るようになった。大方は真偽を含め対応の難しいものばかりだが、山倉さんは地元で同じ高校だというので会ってみた。それに柏は大好きだ。

「春どころか夏の高校野球も中止です。はっきり言います。私は父親として納得できません」

 山倉さんは坊主頭で長身、なかなか威圧感がある。建設関係で仕事そのものはコロナの影響をほとんど受けなかったという。むしろ休業中の改装などで忙しかったとか。そんな山倉さんだが、三児のパパでもある。訴えたいことは野球部にいる高校生の長男のことだという。

「息子は一生懸命野球に打ち込んで来ました。もちろんプロになれるとか、そんなレベルでないことは私にもわかってます。でも3年生でようやく掴んだレギュラー、その年に大会がないなんてかわいそうで」

 5月20日、全国高校野球選手権大会を主催する朝日新聞社と日本高校野球連盟は新型コロナウイルスの感染拡大を理由に夏の全国選手権大会と代表49校を決める地方大会すべてを中止した。甲子園の中止は米騒動の時と太平洋戦争の影響による中断以来である。コロナ禍の重大性をまざまざと見せつけられた思いだが、今となっては ―― という人もいるだろう。

「そもそもあの段階で店はどこも開いてたし、人出も戻ってた。判断早すぎたんじゃないですかね、プロ野球と同じように無観客でできなかったんですかね」

 準備や予選を考えると時間的猶予はなかっただろう。甲子園球場はもちろん、各球場をすべてあの段階で使えたかどうかもわからない。コロナ騒動の収束は思ったよりも早かったが、あの時点ではアメリカの状況から第二波も心配されていた。

「そんなことはわかってます。でもね、レギュラーを掴んだ息子の最後の試合が台無しになったんです。バカな親だと他人様は笑うでしょうが、親ってそういうもんですよ」

 一応、代替試合は予定されている。この辺だと千葉県は8月2日、茨城県は7月11日からだ。開会式も閉会式もなく、原則無観客で、茨城県の大会は登録人数制限なしで全員が出場可能だ。

「練習試合とか親善試合となにが違うんですかねそれ。なんでうちの子の代だけそんな変な試合をしなくちゃいけないんですか。ああわかってますよ、絶対叩かれるって、でも当事者やその親からすればたまったもんじゃない」

◆下手くそにこそ、集大成として夏の大会が必要

 確かに、千葉や茨城はましなほうで、栃木県(7月18日から開催予定)などは当初、トーナメント方式ですらない各チーム1試合だけ(一部2試合)の交流試合であったが、23日にはベスト8までのトーナメント方式に変更と迷走した。いずれにせよいかにもな思い出づくりの代替案だが、現状この時点でも流動的、再検討もあり得ると含みをもたせている。歴史的な疫病を前にして仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、選手や父兄といった当事者たちは諦めきれないだろう。

「野球はこれからも続けられるとか言ってる外野もネットとかにいますけど、そんなのは一握りです。プロはもちろん、社会人や大学野球で続けられるのはごくわずかです」

 気持ちはわかる。私と山倉さんの高校も強豪校だった。通学の野球部員もいたが、通えない遠方の子は寮に入り、寝食を共にして甲子園を目指す。

「大半の球児は高校で引退です。草野球とかもしないですっぱり辞める子もいます。私もそうでした。だからこそ3年夏の高校野球って球児にとって重要なんです。青春の集大成なんです。下手くそにこそ、野球人生の集大成として夏の大会が必要なんです」

 じつは山倉さんもその高校球児の一人だった。しかし強豪校の部員のほとんどは補欠、公式戦に出ることなく3年間を終える。3年間スタンドの応援だけで終える。3年間やり遂げれば幸せなほうで、途中で野球部を辞めて一般生徒になる子もいた。その中にはグレたあげくに中退する者もいた。学年は特進含め成績でクラス分けがされる。スポーツクラスでもない、特進でもない下位クラスの元野球部員、居づらくなるのも理解できる。

「強豪校ってのは残酷です。レギュラーの争奪戦どころか最初から決まってるんです。スカウトで来た連中です。でも納得はしましたよ、スカウト組はセミプロ級でしたからね。ありゃ敵いません。プロ行って成功したのもいるし、プロでなくとも名門大学で神宮の聖地を踏んだのもいます。羨ましいですが実力の世界です。外野がとやかく言うことじゃないです」

 私立が営利目的なのは当然だし、昭和から平成にかけて、こんな野球学校はたくさんあって、日本中から球児をかき集めていた。山倉さんもそんな野球エリートたちを目の当たりにし、野球そのものに挫折した口だ。

「10代でいきなりそういう経験とか挫折って残酷ですけど、今はよかったと思ってます。自分を成長させてくれました。でもそれだって大人になったから思えるんですよ」

 人間は、それぞれの与えられた能力と事情で生きるしかない生き物だ。でも悲観することはない。相対的でない絶対的な幸福を是とするなら、家庭を持って親子二人三脚の山倉さんもまた結果的には成功者。野球は駄目だったかもしれないが平凡で幸せな人生を歩んでいる。いまではそれすら人によっては途方も無い夢、家庭すら持てない団塊ジュニアは五万と居る。そもそも野球で食っていくなんて成功者はごく僅かで死屍累々、私たちの社会そのものとそう違わないだろう。大なり小なり、社会とは優生学と近代統計学の父であるフランシス・ゴルトン言うところの、綺麗事ではないダーウィニズムで成り立っている。そこから脱却するには絶対的な幸福に目覚めるしかない。

「甲子園どころかレギュラーにもなれなかった私が果たせなかった思いを息子に、というのももちろんありますけど、そんなのは私だって割り切れてるつもりです。過度に期待はかけてません、さっきも言った通り息子の技量はプロがどうこうではありませんから。ただ、いままでやってきてこれは無念だろうなと。親としてはそう思うんです。なんだか言いたいこと言おうとしたら愚痴になってきそうです。すいません」

 それはわかった。ところで当の息子さんはどう思っているのか。

「もちろん割り切れてはいないようです。中止が決まった時にはみんなで泣いたそうですし、家で元気もありませんでした」

 夏の大会の中止で強豪校の子たちが泣いている映像が映し出されたことは記憶に新しい。地元の子はもちろん、野球留学の子だって親元から離れてがんばってきたのだ。かわいそうなのはその通りだ。

「でも仲間がいるのが幸いですね。みんなで前向きに練習は続けています。強くはないけど、いい高校に入ったなと思いますよ」

◆代わりの試合で納得しているわけじゃない

 山倉さんの息子さんの高校は全国区の強豪校ではない。セミプロがしのぎを削る甲子園常連校ではない分、本来の教育としての役割が生きているのだろう。私はどちらもあっていいと思っている。プロを目指すなら前者のような厳しさは当然だ。後者も人間的な成長という点では本来の部活のあり方だ。もっとも、今回のコロナが高校野球の行き過ぎた商業化に一石を投じるかもしれないが――。

「そういう意見、ちょっと嫌ですね。なんなんですかね。そりゃ外野はいくらでも言えますよ。3年間の思い出は消えないとか、経験は次に生きるとか。でもそいつらだって自分のことでそんな納得できますかね、コロナだから中止、コロナだから取りやめ、自分のことだったら、納得はできないでしょうよ」

 確かに、みな自分ごとでないことにはひどく道徳的だった。私はオーディションでやっと掴んだ舞台が中止になった駆け出しの女優を知っている。決まっていた転職先がパーになった後輩もいる。世間も同情してはくれないし、結果的に国もたいしたことはしてくれなかった。すべて国民を助けられるわけがないだろうと為政者きどりで吠え散らかすネット民もいたが、当事者からすれば納得できないだろう。それでいてネット民も自分ごとには泣き言をつぶやいていたりするのだから人とは勝手な生き物だ。そんな「納得できない」名無しの人々が溢れた果てにSNSは暴走した。それはいつも不機嫌で嘲りと攻撃ばかりの修羅であった。リアルで暴れない代わりに、匿名で弱い者を生贄にした。これも記憶に新しい。

「高校野球は3年間だけ、それは二度と経験できないんです。これはやった者にしかわかりません。高校で終えた者にしかわかりません。息子はそれすらないんです」

 普通のお父さんである山倉さん、言っていることが走りぎみなのは仕方がないだろう。当事者、ましてや親とはそういうものだし、こんなに息子を思ってくれているお父さんを持つ息子さんが羨ましい。

「すいません、なんだか代わりに試合やるからいいだろで、みんな納得してるみたいな風潮だったから言いたかったんです」

 山倉さんはそう言って長身を何度も折り曲げる。言葉は強いが腰の低い人だ。

「親ばかの愚痴ですいませんでした」

 いやいや、これはこれで問題提起にはなっているし意味がある。甲子園中止の問題は我々日本人に問われる黄金律の問題でもある。夏の高校野球は山倉さんには悪いが高野連もこの対応で精一杯だろう。しかしこれで終わるだろうか、以前として感染者、とくに東京の感染者は連日絶えることがない。第2波を危惧する。その結果、例えば「箱根駅伝」はどうなるのだろうか。

「ああ、私の知り合いの息子さんがこの近くの大学で駅伝やってるけど、彼も不安みたいです。そりゃそうですよね、あの大学なんて駅伝しか取り柄がないわけで」

 千葉にある某大学のことだろう。私も地元なのでOBは知っている。野球同様、こうして少子化を乗り切るために駅伝で名を売るマイナー私大もある。それはそれで私学は営利目的、選手も早稲田のような名門に行くよりはチャンスがある。偏差値だけではない価値観だ。しかしそれも大会そのものが無くなってしまっては元も子もない。実際、全日本大学駅伝は各地の予選が中止された。関東学連は昨年12月までの記録を予選の代わりにするという。箱根が予選会すら開けないことになったら大変なこととなる。ましてや本選が中止になったら――。

「息子の話ばかりしてしまいましたが、そうなったらその子たちもかわいそうです。本人たちにしてみたら絶望しかありません」

 一生懸命部活に取り組んで、挫折したからこその山倉さんの言葉は重い。

「息子は将来、高校野球に携わりたいと言っています。自分が選手としてはもう満足に出来ないことはわかってるんでしょうね。学校の先生とかですかね。監督でなくても、顧問とかいろいろあると言ってます」

 頼もしい息子さんだ。掴み取ったレギュラーで最後の3年生なのに中止、落ち込むのは当然だろうが、頭の切り替え、将来に対する考え方はお父さんより冷静なのかもしれない。幸い学校の先生は少子化と枠の拡大でなりやすくなった。大学に進学して、教員免許を取って、高校野球の指導者なんて最高だ。このコロナの経験も、それこそ気休めではなく活かすことができるだろう。なんだ、全然心配ないじゃないか。子どもの未来なんて、青春の一時でどうなるものじゃない。高校生ともなればそれくらいには強くてしたたかだ。

 最後は息子さんの自慢に終始したが、お父さんも私にぶつけて少しはすっきりしたのだろう。このコロナ禍、人生が変わってしまった人、人生の計算が狂った人も大勢いるだろう。それどころか命を奪われた人々もいるわけで、確かに「高校野球ごときで」と思う人もいるのもわかる。自身の失業や身内の不幸に比べれば、というのももっともな話だ。それでも人間はそれぞれがそれぞれの事情で生きている。その価値の大小は他人が決められるものでもないだろう。しかしそこにとどまってもいられない。

 人間は前にしか進めない動物であり、時間もまた前にしか進まない。その普遍の真理に隷属する私たちだからこそ、それぞれの事情を乗り越えるための人間力が、私たちの「コロナ後」の生き方に問われている。

●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。常総学院高等学校卒業。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。近刊『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。