自分と戦い続ける50代、三浦知良と田原俊彦の挑戦

自分と戦い続ける50代、三浦知良と田原俊彦の挑戦

 1月11日、J2横浜FCが三浦知良との契約更新を発表した。1992年のアジアカップで日本を初優勝に導いてMVPに輝くなど日本代表として91試合55得点を記録。日本サッカー界を牽引してきたフォワードも、2月26日に52歳を迎える。外国のメディアも取り上げるほど稀有な50代の現役サッカー選手は、1980年のデビューから現在も歌って踊り続ける57歳の田原俊彦を慕ってやまない。その理由とは──。

 著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)で、田原俊彦と三浦知良の友情についても詳細に綴っている岡野誠氏が2人の関係を読み解く。

 * * *
 田原俊彦と三浦知良の出会いは1988年に遡る。静岡市民文化会館での田原のコンサートに、カズが訪れた時から始まった。

 当時、27歳の田原は主演ドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ系)で野村宏伸との絶妙な掛け合いを見せ、高視聴率を獲得。主題歌『抱きしめてTONIGHT』も、人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で年間1位に輝くほどの大ヒット曲となる。ブラジルでプロ3年目を迎えたカズはキンゼ・デ・ジャウーに所属し、3月にプロ初ゴールを挙げた21歳の若手だった。

 以来、カズはセリエAのジェノアに移籍した1994年を除いて毎年、田原のステージに訪れている。舞台に上がって田原の持ち歌を一緒に歌うことも珍しくない。時間を取れない時でも、田原のライブやイベント前にほんの数分だけでも顔を出している。

 なぜ、2人は30年以上も親交を深めているのか。ともに、無謀と思われる挑戦からスタートし、偏見を覆して栄華を極めた時期もあれば、奈落の底に突き落とされたような時代もあった。田原俊彦と三浦知良にしか共有できない境遇があるからではないか。

 田原俊彦は高校1年生だった1976年、ジャニーズ事務所への入所を直談判しにいく。ジャニー喜多川氏から認められると、毎週末に地元の山梨から東京へレッスンに通い、ダンスの技術を身に付けた。「男が踊るなんて……」という偏見が蔓延っていた時代の話である。

 下積みの成果は1980年に『哀愁でいと』でデビューするとすぐに現れ、『ザ・ベストテン』では番組最多の247回ランクイン。1980年代後半にはドラマ『教師びんびん物語』シリーズと主題歌『抱きしめてTONIGHT』『ごめんよ涙』が大ヒットした。1970年代後半に低迷していたジャニーズ事務所の再生は、田原の活躍なしでは語れない。

 三浦知良は高校1年生の1982年に静岡学園を中退し、単身でブラジルに渡る。周囲は成功できるはずないと嘲笑していたが、1986年にサントスFCとプロ契約。その後、コリチーバなど数チームを渡り歩き、ブラジルで実績を残したカズはW杯に出場するという目標を叶えるため、1990年に帰国。

 Jリーグ開幕の1993年にはヴェルディ川崎を優勝に導き、MVPに輝いた。1996年には得点王を獲得。チームでも日本代表でも、カズにボールを回せば何とかしてくれるという期待感に満ち溢れていた。カズなくして、日本サッカー界の発展はなかった。

 だが、永遠に続く栄光などない。田原俊彦は1990年代に入ると、主演ドラマのヒットに恵まれなくなる。1994年にはジャニーズ事務所を独立。売上10万枚以上のシングルは1992年の『雨が叫んでる』以来、生まれていない。

 三浦知良は1993年にW杯アジア最終予選のイラク戦でロスタイムに追い付かれて本大会出場を逃す『ドーハの悲劇』を味わい、1997年には最終予選を勝ち抜くも翌年のフランスW杯ではメンバー漏れ。夢のW杯出場を果たせていない。

◆彼らの現役生活をいつまで見られるかは誰にもわからない

 共通点は、過去の出来事だけではない。50代になった今、2人は未知の領域に挑み続けている同士でもあるのだ。

 昨年のカズは天皇杯2試合でスタメン起用されたものの、リーグ戦42試合で先発出場なし。途中出場も9試合に終わった。それも1分が3試合で、10分以上は3試合に留まった。

 年明けには42歳の楢崎正剛、40歳の中澤佑二、39歳の小笠原満男といった日本代表を支えた選手が引退を発表。出場機会の減っている50歳を過ぎたカズに対する風当たりがやや強くなりつつある。

 だが、周囲の声がどう変化しようと、カズはいつも懸命にサッカーを続けてきた。

〈僕は、15歳の時から切れずに練習を続け、ここまで休まず来たんです。継続してきたから、いまがある。それに尽きるんじゃないですか。50歳はその継続の結果にすぎないし、いまはまだ、この先へと続く通過点だと思っています〉(『Number』2017年3月16日号)

 いつ先発のチャンスが巡ってくるかわからない。それでも、あると信じて日々の練習に取り組む。酸いも甘いも知るカズの姿勢がチームに与える影響は計り知れないはずだ。

 50代で現役を続けるカズにとって、ステージで2時間歌って踊り続けている6歳年上の田原俊彦の存在は大きいのではないか。

 田原は、ライブでスポーツ選手と同じように動き回っている。古い話で恐縮だが、それを証明するデータがある。

 1984年3月22日の『ザ・ベストテン』では、『チャールストンにはまだ早い』で6位にランクイン。歌唱時、田原がどのくらい動いているかを数字で示すため、番組は機械を装着させた。

 すると、歌い終わった時のカロリー消費量は69.6、脈拍数は181に。立ち会いの医学工学博士が「100メートルを走りながら歌ってる感じです」と説明した。番組前に測定した田原の通常時の脈拍は75、1分間の階段登り降りで140、1分間のなわとびで145だった。いかに歌って踊ることが過酷かわかるだろう。

 現在も、田原は2時間歌って踊るライブを続けている。還暦近い年齢を考えれば、踊りを簡略化してもファンは文句をいわないだろう。しかし、田原は出来る限り、当時と同じ振付で魅せている。

 ジャンルこそ違えど、50代になっても自分との戦いを辞めないからこそ、カズは今も田原俊彦を慕っているのではないか。

 昨年、カズの出場機会が少なかったように、田原も新曲を地上波テレビで披露する機会は訪れなかった。以前、田原はインタビューで自身の芸能界でのポジションについて聞かれた時に現状を冷静に分析し、こう答えている。

〈「ぶんぶん素振りをしているのが俺」。ピンチヒッターとして、声が掛かったらいつでもスタンバイOKでステージに立てるように準備しているからだという〉(山梨日日新聞、2013年7月9日)

 過去の栄光にふんぞり返らず、現状を嘆くこともせず、ただ前を向いて努力を続ける。もし地上波で歌って踊る機会があれば、いつでも世間を驚かせてやるという心意気を持ちながら、備えている。

 ゼロから努力で掴んだ栄光だからこそ、田原はヒット曲を、カズはゴールを目指して今日も己の技を追求している。

 2人の姿を見るたび、私は思い出す言葉がある。1989年、ドラマ『教師びんびん物語II』の6話『みんな寂しいんだ』で異母兄弟の兄にいじめられる生徒の坂根慶祐に、田原演じる徳川龍之介先生が諭した台詞である。

〈人生は闘いだ。自分の生きていく場所を用意して貰えないことだってある。そしたら自分で、その場所を作らなければいけない。誰かがちゃんと見ている。必ず正しい判断を下してくれる。黙ってちゃダメだ。自分の場所を主張しなさい。ここは僕の場所だと言いなさい。正々堂々と自分の場所はここだと、ハッキリ主張しなさい〉

 田原俊彦も三浦知良も“自分の場所”を主張するために日々、鍛錬している。50代である彼らの現役生活を、いつまで見られるかは誰にもわからない。今年もトシがステージで、カズがピッチで躍動する姿を目に焼き付けたい。


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