なぜ日本人はクリスマスが好きなのか。考えてみれば不思議な事象である。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が紐解く。

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 日本におけるクリスマスの過ごし方は、キリスト教国のそれとは違う。宗教行事の一環でもある欧米のクリスマスでは市民は当たり前のように仕事を休み、飲食店もシャッターを下ろして、家族とともに団らんを満喫する。食卓にはオーブンで焼かれたターキーやローストビーフが登場する。

 一方、日本のクリスマスのスタイルは独特だ。きらめくイルミネーションの下、カップルが愛を誓い合う。飲食店はかきいれ時とばかりにこぞって看板を灯し、パーティ予約もがんがん受けつける。家庭のクリスマスにおいてもターキーのような巨大な丸鳥を焼くことができるオーブンはなく、買ってきた解体済みのローストチキンが食卓に上る。そこには宗教行事としての色がない。国民の多くがゆるやかながら神道か仏教の徒であり、キリスト教徒の数はわずか1%台なのだから、宗教色など盛り込めようはずもないのだ。にも関わらず、日本のクリスマスは年中行事のなかでも指折りの盛り上がりを見せる。

 日本のクリスマスは、どうやってこれほど自由闊達に楽しむスタイルを獲得したのか。

 話は明治時代に遡る。そもそも明治初頭から、横浜や神戸などの外国人居留地では外国人によるクリスマスパーティは毎年行われていた。

〈二十五日は年に一度のクリスマス祭日ゆえ横浜居留地の各商館及び各銀行はいずれも休業して思ひ思ひに祝祭をなし、また二十番グランドホテルに於いて夜会を催す〉(明治21年12月12日付朝日新聞)

 1889(明治22)年に施行された「大日本帝国憲法」で日本国民にも信教の自由が保障された。ただしそれは〈日本臣民は、安寧秩序を妨げず、かつ、臣民としての義務に背かない限りにおいて〉という限定的なもので、そこには当時の政府の複雑な思惑があったと考えられる。

 1899(明治32)年にはキリスト教の教育禁止を盛り込んだ私立学校令案第17条が出され、同年には外国人が経営する学校に対する規制強化が盛り込まれた私立学校令が発令された。明治政府は明らかにキリスト教を警戒していたのだ。ところが同年末、アメリカ公使館の招待を受けて、山県有朋総理大臣ほか日本政府の高官が公使館のクリスマスパーティに出席する。このパーティにはイギリス、ドイツ、ロシア、フランスなどの列強が名を連ねていた。日本のクリスマスの起源に詳しい『クリスマス どうやって日本に定着したか』(クラウス・クラハト/克美・タテノクラハト 角川書店)は当時の日本政府の心情をこう解釈する。

〈日本政府は、宗教としてのキリスト教は容認しがたかったものの、国際化のためには政教分離政策でこれに対処し、クリスマスに関しては西洋のお祭り(パーティ)、単なる社交と解釈したのではないだろうか。この時点で日本におけるキリスト教の地位、もしくはクリスマスの方向が明白にされたといっても過言ではない。本来、キリスト教の祭礼行事であるクリスマスが、これを機に一般の日本人の間にも広まり、耶蘇降誕祭とかけ離れたクリスマスが形成されていくのである〉

 明確に「本音と建前」を使い分け始めたこの頃から、メディアにおける「クリスマス」の文字は激増する。特に1893年に銀座二丁目に進出した明治屋は、以降の積極的な新聞広告への出広が奏功してか、1900(明治33)年以降のクリスマス時期の新聞には、毎年のように「明治屋のクリスマス飾り」や「明治屋のイルミネーション」が歳末の風物詩として取り上げられるようになる。

 その他の企業も目新しい商機に飛びついた。以降の新聞をチェックしていくと1904(明治37)年には東京森永がマシュマロやキャラメルを「歳暮、年始、クリスマスご進物用」として宣伝しているし、1907年には丸善が大大的に「クリスマス」と銘打って「進歩したる家庭に適する文明的贈答品 山の如く新著したり」という広告を出広している。こうして宗教色を切り離されたクリスマスは、大正、昭和という時代を経ながら徐々に庶民へと浸透していった。

 1923(昭和3)年生まれの心理学者、河合隼雄の回想によれば欧米文化がすべて「敵性」とされた第二次大戦中の十代半ばの頃、とある"事件"があったという。クリスマスのことを心配する河合に対して父親が「サンタクロースはもう来ない」と宣言。ところが直後に「日本には大きな袋をかついだ大国主命という神さんがおられる」とぽつり。本来、宗教と切り離されたはずのクリスマスに、まさかの宗教色を上塗りするという大胆なカスタマイズである。結果、河合少年は無事クリスマスプレゼントを獲得。プレゼントの箱には大国主命の絵が描かれていたという。移りゆく世相のなか、親子のコミュニケーションも各家庭で工夫されていたのだ。

 戦争を乗り切った日本のクリスマスは、終戦直後こそ一部で宗教論争に巻き込まれたものの、戦後復興や高度成長期の商業主義と結びつき、さらなる発展を遂げていく。そしてクリスマスは1970年の外食元年以降の外食文化、1980年代バブル当時の若者のデート文化など急速に進んだサブカルチャーの成熟とともに、日本独特の特異な形へと展開していった。

 欧米のクリスマスの過ごし方は、日本における正月と酷似している。仕事を休み、実家や家族で過ごす。暦で考えてもわずか一週間しか間のない時期に、まとまった休みを伴う同じような性格の行事が続くことは経済的にも文化的にも成り立ちにくい。日本のクリスマスは、移り気な日本人の気風に寄り添い、変化することで独特なスタイルを獲得し、生き延びた。そのしたたかさは、もしかすると変化することを忘れつつある現代の日本人自身にもっとも必要な素養かもしれない。