「自身の芝居が救われた」限界だった浅野忠信を救った大監督の一言とは?

「自身の芝居が救われた」限界だった浅野忠信を救った大監督の一言とは?

いま一番聞きたいあの人の言葉を、心の奥底から引き出す。聞かれる側と、聞く側“インタビュアー”の手に汗握る真剣勝負を完全収録したインタビュー番組『ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜』(BS朝日)。

©BS朝日

8月6日(日)に放送される同番組では、異色の映像作家であるヤン・ヨンヒが、実力派俳優・浅野忠信の「映画への思い」と「芝居論」に迫る。

 

◆デビュー作は「金八先生」

アメリカ人の祖父を持つ浅野。幼少期は金髪だったため、本人にそのつもりはなくても何かと目立ち、からかわれていたという。束縛されない自由な生き方を愛していた母には、「本当に好きなことをやりなさい」と育てられたそうだ。

そんな浅野の俳優デビューは1988年。芸能の仕事をしていた父がキッカケで『3年B組金八先生』のオーディションを受け、見事合格した。浅野にとって金八先生の現場は、学校のようで楽しくて仕方がなかったと話す。

その後、映画『バタアシ金魚』で映画デビューを果たし、20代には数々のミニシアター系映画で難役を演じてきた。

そんな浅野には、芝居をするうえで心がけていたことがある。それは、芝居をしていていないように芝居をする、「自然な演技」。こう思ったのには、あるオーディションでの出来事が影響していた。その出来事とは?

 

◆窮地を救ってくれたのは…山田洋次監督

順風満帆に役者人生を歩んできた浅野だが、30歳の手前で大きな壁に当たり、自身の芝居に限界を感じたという。そんな浅野を救ったのが、山田洋次監督だった。

2008年公開の映画『母べえ』では、監督の演出から多くを学んだ。役に入り込み、浅野の台詞が聞き取りづらかったとき、「もう一回」という録音部に対し「心のマイクで撮るんだ」と怒ったという。そのとき浅野は、「自身の芝居が救われたと感じた」と明かす。

そして2011年には、映画『マイティー・ソー』で本格的にハリウッドデビューを果たす。“英語の壁”に悪戦苦闘しながらも、日本映画と海外映画の製作スタッフの情熱の差を感じていたという。その違いとは? そして、祖父の故郷・アメリカでデビューしたことへの思いとは?

8月26日公開の映画『幼な子われらに生まれ』では、バツイチで子連れの女性と再婚した父親役に挑戦している。良き父親を装いながらも、妻の連れ子とうまく接することができず、父親としての役割を担えない不器用な大人を演じた。

公開直前の心境と意気込み、そして、日本映画の未来についても語る。さらに、映画作りを志す若者たちへの熱いメッセージも。

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