PRESIDENT Online 掲載

学生時代はタニタ以外で働くことを目指し、紆余曲折を経て経営コンサルタントとして思いをかなえた谷田千里社長。異色の経歴はタニタに転じてから経営にどう役立ったのか、そして受け継いだ「谷田家のDNA」とは──。社長就任から現在に至るまでの歩みを聞く。(第2回/全2回)

■就任して初めてわかった社長の重圧

——谷田社長はタニタアメリカに約5年駐在したのち、取締役を経て2008年に現職に就任されました。この時の経緯をお聞かせください。

【谷田】アメリカで猛烈に働いていたある日、父から「本社の取締役に」という話がありました。私には遠いアメリカの地より日本の経営に関わることには無理があり、断りましたが、辞令ですから受けるしかありません。受けたからにはきちんとやらなければと思い、それから1年間アメリカと日本を往復しながら仕事をしていました。

そのような1年が終わるかと思った頃、突然社長の父から「来年から社長をやるように」と言われたのです。いきなりの就任要請に驚きました。私は次男で他にもきょうだいがいるので、「社長レース」をしたうえで後継者を決めるのかなと、単純に思っていたからです。

日本で取締役として会社の状況を知るうち、このままではタニタは危ないかもしれないと思い始めていました。主力だった体組成計は売り場を同業他社に奪われつつあり、新たにヒットを見込める商品も開発されていない。こうした危機的状況は、海外にいたからこそ見えたのかもしれません。自分が思い切った改革をして、再びタニタを成長軌道に乗せるしかない──。そんな思いと、4年ぶりに会った父になんとなく老いを感じたことが背中を押しました。

——それまでずっと、先代の姿を見てこられたかと思いますが、ご自身が経営者になって初めて気づいたことはありましたか?

【谷田】経営者の責任というものはある程度わかっているつもりだったのですが、実際にその立場になった瞬間、それまで経験したことのない重圧を感じました。祖父や父はこんな重圧の下で仕事をしていたのかと。入社以降、自分としては責任を持ってさまざまな決断を下していたつもりだったのですが、それは父の庇護下にあったからできていたのだと痛感しました。

経営者になると、どんな決断も最終責任は自分が負わなければなりません。迷ったり悩んだりする度合いも、社員だった頃とは大きく違います。そんな時には決断のよりどころが必要ですが、幸い私には父という先輩経営者がいました。今も、迷ったときや悩んだときは、父から言われたことをよりどころにしています。