PRESIDENT Online 掲載

新型コロナウイルスの感染拡大で、生活が大きく変わった。この状況にどう向き合えばいいのか。IMD北東アジア代表の高津尚志氏は「たとえば『前を向いていこう』という言葉は、悲しみを乗り越えるプロセスを阻むことがある。悲しみを無視してはいけない」という――。

■二つの「悲しみを伴う喪失」

今回の変化は、すくなくとも大きな二つの意味で、私たちのほとんどにとって、「悲しみを伴う喪失」を生み出している。

第一に、「これまでの日常」の喪失だ。

在宅勤務の奨励、学校の閉鎖などにより、生活のルーティンが大きく変わってしまった人が多いだろう。通勤・通学する、人に会いに行く、運動する、どこかに出かける、同僚や友人と食事に出かける、といった、「普通の」行動が難しくなった。

職場や学校などで同僚や仲間と交流する、雑談する、触れ合う、そこに誰かがいてくれるという安心感の中で長い時間を過ごす。それも難しくなった。

また、お店を営む人や宿泊業・飲食業に携わっている人は、「お客さんが来てくれる」「目の前ににぎわいがある」という状態の喪失に苦しんでいる。

世界でロックダウンが広がっている。外出者は罰金の対象になるなど、国によってはほとんど犯罪者扱いである。「仕方がない」措置ではあるが、「自由に外を歩く」「会いたい人と会う」「言いたいことを言う」という日常の喪失、それがもたらすストレス、孤立や孤独へのケアは、「非常時である」という名目でほとんどされていないように思う。そして、その喪失感は、社会に存在するより劇的な喪失の前に相対化され、行き場を失っているように思う。

第二に、「楽しみにしていたこと」の喪失だ。

イベントが中止、延期や縮小を余儀なくされている。ビジネスや社会課題に関するイベントも、音楽や演劇などの娯楽のイベントも。参加者や観客として楽しみにしていた人の喪失感はもちろんのこと、主催者や登壇者、演者として準備してきた人、さまざまな形で運営に携わってきた人にとっての喪失感も大きいはずだ。

たとえば3月11日にセンバツ高校野球が史上初の中止を決めた際、ある監督は選手達に「仕方がない、前を向いていこう」と声をかけ、それに対し球児が泣きじゃくる姿がテレビに映った。

3月24日には、東京五輪も延期となった。今夏の開催に向けて鍛錬を重ねてきたアスリートをはじめ、その実現に取り組んできた多くの人々、さまざまな準備や期待、投資をしてきた人々の喪失感と、新たな日程での開催に向けた準備の負担は、計りしれない。「仕方がない」「前を向いていこう」という社会的規範、ことの重大性や緊急性の中で、彼らの喪失感は表現されることなく心の中にしまい込まれるかも知れない。