女子プロ界きっての名伯楽、スターダム ロッシー小川社長に現在・過去・未来についてロングインタビュー①

女子プロ界きっての名伯楽、スターダム ロッシー小川社長に現在・過去・未来についてロングインタビュー①

女子プロレス界で多くのトップ選手を輩出するスターダム。

業界歴41年の女子プロ界きっての名伯楽、ロッシー小川社長に現在・過去・未来についてロングインタビュー!

団体の長としてまた経営者としての考え方、そして人気絶頂当時のクラッシュ時代、スター育成などプロレスTODAY山口総監督が質問形式で対談。

【女子プロレスとの関わり】

山口総監督:ロッシーさん今日は経営者目線でのインタビューとなりますのでヨロシクお願いします!まずは女子プロレス界との関わりは相当長いかと思いますが、現在の業界歴は何年ですか?

ロッシー小川社長:41年ですね。

山口:相当長い業界歴ですね。

ロッシー:たぶんプロレス業界で、続けてこの年数をやってるのは和田(京平)さんのその次くらいじゃないですか。

山口:これだけ長く関わってきた理由は何かありますか?

ロッシー:理由はまあこの仕事にこだわってきたというか、この仕事しかできないと自分に言い聞かせてきたんで(笑)

山口:根底には好きだというところが一番大きいんじゃないですか?

ロッシー:もともとプロレスが好きで始めたんですけど、でも好きだけじゃ出来ないんですよね。最初からこういう立場になるとは思っていなかったですけど、勇んでここの世界に入って、鼻を折られたというか(笑)。でもそういうことの積み重ねだったと思うんですよね。

山口:プロレスが好きになった入口はどこからだったんですか?

ロッシー:日本プロレスです。昭和42年5月くらいですね。

山口:よく細かい年月まで覚えてますね。ちなみに誰が一番好きだったんですか?

ロッシー:それはもう、ジャイアント馬場さんですね。当時、日本人はもうジャイアント馬場、アントニオ猪木しか目立つ選手がいなかったんですよ。

山口:BI砲ですね。ジャイアント馬場さんのどこが好きだったんですか?

ロッシー:いやもう、大きくて強いところですね。子供の頃だったんで単純に(笑)

山口:そこから女子プロレスとのきっかけはどんな感じだったんですか?

ロッシー:プロレス少年時代に最初はテレビだけ観ていたんですけど、プロレスの専門誌があることを偶然本屋で知ったんですよね。それから毎月隅から隅まで専門誌を読み漁るというね。

山口:かなりのプロレス少年だったんですね。

ロッシー:そうそう、そこで海外とかの情報や知識とかもそこで得て。そうこうしているうちに、女子プロレスがあるっていうのも知ったんですよね。でもプロレスが全部好きだったんで、女子プロレスも観戦しようと思って。初めて観戦したのは、TVで。TV東京の前進の東京12チャンネルで日本女子プロレスという、小畑千代とか、ゴールデンタイムにTVでやっていたんですよね。その頃から毎週テレビで観ていました。

山口:カバーする範囲がかなり広いですね。

ロッシー:当時プロレスっていっても日本プロレスか、国際プロレスか、女子プロレスしかなかったんで。

山口:女子まで情報を網羅しようとすると結構大変じゃないですか?

ロッシー:情報がないんですよ、女子はもともと。昔ゴングかなにかで白黒で毎月必ず1ページ。それしか情報がなかったんですよね。たぶん新聞とか買っていればあったんでしょうが、当時小学生だから新聞とかスポーツ新聞とか買わないですよね。

山口:その中から情報を仕入れて、女子プロレスに興味を持っていかれたんですね。

ロッシー:そうですね、初めて観に行ったのは昭和48年の5月に全日本女子プロレスが千葉公園体育館、当時は千葉県体育館だったんですけれど、そこに来るというので行ったんですよ。でも行ったら違う体育館だったんですよね、自分が思っていた場所じゃなかったんです。2つくらい似たような体育館があったので間違ってしまって、行ったんだけど観れなかったという。そのときは中学生だったので、そこからまた別の場所に行くということが出来なかったんですよね。
それで女子プロレス観たいなという気持ちがさらに高まって。今度「11PM」という番組で全女の中継を始めたんですよ、3ヶ月に1回くらい。

山口:あの「11PM」がですか?大橋巨泉さんとかの。

ロッシー:そうなんですよ、それでまた興味を持って。昭和46、7年くらい、僕が中学3年くらいから後楽園ホールにもプロレスを観に通うようになったんですよ。

山口:そんな頃から行ってたんですか!

ロッシー:実家が千葉だったんですけどね。そしたら昭和49年の3月に後楽園ホールで全女があるっていうのを知って行ったんですよね。マッハ文朱がまだチャンピオンになる前で。

山口:生で観た感想はどうでした?

ロッシー:女子プロレスの方が技をたくさんやったんですよ。だいたいフィニッシュホールドって1回しかやらないじゃないですか、女子は2回やったんですよ。あ、これは面白いなと。

山口:一撃必殺の男子の試合とは違った面白さですね。

ロッシー:2回見られるというね(笑)。写真も撮っていたんで、2回撮れるから撮り逃しがないですよね。

山口:写真も結構はまってたんですか?

ロッシー:写真が好きではなくて、プロレスが好きだったんですよね。リングサイドで勝手に撮ってましたね、でも当時は誰も撮ってる人がいなくて。

山口:そうなんですね。でも当時、男子中学生とか高校生って女子プロレスの観戦にいました?

ロッシー:いないですね、おじさんばかり。

山口:やっぱりそうですよね。

ロッシー:いないですよ、全然。逆に男子の日本プロレスとかは少年しかいなかったですね、今と違って。

山口:ではその時代から女子プロレスに熱中したということですか?

ロッシー:プロレス全部が好きだったので、女子プロレスもその一部ですね。他の団体も行きましたし。

山口:分け隔てなくいろんなプロレスを観られてたんですね、視野が広い。

ロッシー:とにかく今みたいに多団体時代じゃないから、観るものが限られてるから女子も観ないとというね(笑)

山口:マニアとしては(笑)?では、女子プロレスを観る側から運営する側になったきっかけというのはなんだったんですか?

ロッシー:きっかけは昭和50年くらいかな。よく後楽園ホールで近県の会場によく行ってたんですよ、カメラをぶらさげて。そうこうしているうちに全女の松永会長、当時は社長だったけど、知り合いになったんですよね。そういう人ってファンでもあまりいないから。よく話をしてくれて、顔パスで会場に入ってたんですよね。あるとき全女の事務所に写真を持っていったら、パンフレットに使ってくださったんですよ。

山口:では写真の腕も相当のものですね。

ロッシー:腕はそんな大したことないんですけど、まず撮ってるという人がいなかったんですよね。ビューティー・ペアの人気が出るその前後からずっと行っていて、そのときにある出版者から女子プロレスの増刊号を出したいので、カメラマンとして協力をしてほしいと依頼があって、また撮影とか行ったんですよね。そのときは出来なかったんですけど、その後も会場によく通っていたら、松永会長から声をかけていただいて、うちカメラマンが空いているのでやってくれないかと。
そして大阪と和歌山の連戦があるので来てくれないかと。いきなりそんなこと言われても行ったこともないし、どう行ったらいいかも分からなかったんですよ。新幹線も飛行機も乗ったことなかったので。

山口:(笑)

ロッシー:で、飛行機で行けばいいのかなと思って、羽田からスカイメイトってあったじゃないですか。それに乗って関空からどこ行ったんだっけな。あ、そこから和歌山に入ったんですよ。そして泊まるところはどうしようかなと思ったんですよね。そしたらダフ屋がいたんですよ、全女専属のダフ屋が。その人に会長が面倒みてやってくれと、泊まるところの世話してやれと言ってくれて。で、ダフ屋の後をついて泊まる所を世話してもらって、次の日は大阪府立の体育館行ったんです。

山口:ダフ屋に世話をしてもらうって凄いですね。

ロッシー:それで写真撮っては、当時のポジフィルムを持って事務所に行ってお金、おこずかいをもらうような感じでした。当時の金額で5万円や10万円もらったりして、まあバイトですよね。会場行きながら。で、そのときに当時俺より1年先輩の人がビューティー・ペアのマネージャーみたいなことやってたんですよ、芸能担当で。年が近かったから面倒見てくれていて、その先輩がそんなにプロレス好きなら事務所入ればいいじゃんって。当時専門学校2年生で卒業が近かったんですけど、あぁそういう選択肢もあるのかと。全然考えてなかったんですよね、卒業してからどうしようかと。ただプロレスの世界に行くしかないかなとは思っていたんですけど、方法が分からなかった。本当は高校時代は、プロレス専門誌の海外特派員になりたかったんですよ。

山口:海外への憧れが強かったんですか?

ロッシー:ゴングが毎月ミル・マスカラスの海外の写真を載せるので自分も撮りたいなと。でもそこから一転して全女に入る事になって。うちの事務所試験がないんだって言われて。要するに縁故しか採用してなかったんですよ。だって、今みたいにオープンじゃないから本当に身内だけでやってたんですよ。
なのでその先輩が毎日会社に来いって言うんですよ、もう用がなくても。だから千葉から毎日目黒の事務所まで通ったんですよね。昭和53年1月に。事務所入って空いている席に勝手に座って、何か仕事ないですか?みたいな。営業がチケットの裏番の仕事とかを回してくれるんですよ。そういう風にすると、みんな珍しがってくれて。夜になると松永会長とか、そのときに営業部長とかがみんな飲みに行くので後をついて行くんですよね。毎日キャバレー行くんですよ、キャバクラじゃなくて。ステージがあって、そこにほぼ毎日。

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