『プロレス秘史1972-1999』<小佐野景浩氏インタビュー③>BI砲、俺たちの時代、三銃士&四天王時代について熱血プロレスティーチャーが大いに語る!

『プロレス秘史1972-1999』<小佐野景浩氏インタビュー③>BI砲、俺たちの時代、三銃士&四天王時代について熱血プロレスティーチャーが大いに語る!


週刊ゴング元編集長、現プロレスライター&評論家の小佐野景浩氏が徳間書店より『プロレス秘史1972-1999』を刊行。

空前のプロレスブームと言われる昨今、その原風景として記憶に残るのは、アントニオ猪木率いる「新日本プロレス」とジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」に他ならない。72年に旗揚げされた両団体を中心に、数々の名勝負の裏側と背景を解説。99年1月の馬場の急逝まで、試合ではわからない選手同士の遺恨や両団体の水面下での覇権争いなどについても著者の取材メモをもとにマット界の真実に肉薄した1冊。

『プロレス秘史1972-1999』を通じて改めてプロレスの魅力を熱血プロレスティーチャー小佐野氏に語って頂きました。

<パート③>


◆第3部   天龍・大仁田に続いた三銃士と四天王の躍動


–本当にチョイスが抜群ですよね。そして第三部、天龍、大仁田に続いては三銃士と四天王の躍動という。


小佐野:実は三銃士と四天王がいきなり出てきたんじゃなくて、その前に全日本プロレスを辞め、SWSに行き、新日本プロレスに殴り込んだ天龍源一郎というのと、UWFブームの中で真逆を行った大仁田厚というのはやっぱりすごいその時代大きかったですよ。90年代の頭。


–大仁田さんはアンチテーゼとしてああいうデスマッチを入れたというところがすごかったなと思いました。
 

小佐野:あの人は頭いい。本当に頭いいですよね。あの頃はみんな、例えば新日本はどっちかというとUWF系統に行って、馬場さんは「みんなが格闘技に走るなら
プロレスを独占します」と言ったけれども、はっきり違うものを打ち出したじゃないですか。いや、プロレスはそんなもんじゃないよ。見世物小屋なんだよと、流血もあるし、反則もあるし、不透明だってあるんだよと。その胡散臭いのがプロレスなんだよと。そこはうまいこと打ち出しましたよね。

 
–「私、プロレスを独占させていただきます」というあのキャッチコピーもすごかったですよね。

 
小佐野:それもすごかったですけどね。まああれはターザン山本さんが考えたんでしょうけど。

 
–そういう時代の中で大仁田さんが出てきて、いまだに引退と復帰を繰り返してるから元気ですよね。今度は7度目の復活!
 

小佐野:そうですね。で、結局大仁田厚はFMWを純粋なプロレス団体として実は旗揚げしてないですからね。要は『フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング』。
格闘技も含めたプロレスで。プロレスが格闘技にアプローチするとこういう格闘技戦になりますよっていうのが大仁田厚のやり方だったから。

 
–当時は青柳館長だったりとか、ものすごい闘いをいろんな形でやられてましたもんね。

 
小佐野:メジャーに対してインディーという概念も作ったし、メジャー側が作った言葉じゃないですからね。大仁田厚が作った言葉ですからね。

 
–当時の長州力さんが「藤波、俺はお前の噛ませ犬じゃない」っといったときも上のものに噛みつくみたいなそういったところにファンが大仁田さんのときにもあったのかな?

 
小佐野:俺はメジャーとは違うんだよという逆に線引きをしたんですよね。線引きを大仁田の方からやったんですよね。そこはちょっと、実はあのころ、僕は大仁田のブレーンの一人だったんですよ。で、当時、インディーズのグループがメジャーデビューとかいろいろしてて。プロレス団体でもWWE、NWAという大きな組織と違う団体をインディペンデントって呼んでたので、「大仁田さんFMWはインディペンデントだって言ったらかっこいいですよ」っていう。それをまとめ上げたのはあの人。「それはいいね、じゃあインディーの団体を集めてインディー連合を作っちゃおう」って。あの人は本当に『インディペンデント・ワールド』っていう組織作っちゃいましたもんね。アメリカやメキシコの団体と。で「うちは新日本・全日本とは違いますから。うちはインディーですから。」すごいなって。ちゃんと形にしたんですよ、あの人。

 
–そして新日本プロレスに上がって長州力まで引っ張り出したっていうのがすごいですよね!

 
小佐野:だから最初のスタートの時点でUWFを切ったわけですよね。うちはUWFとは違うよ、そして今度は新日本・全日本とも違うよと。まるっきり違う路線を打ち出して、デスマッチに行く。そして「これがリアリティだよプロレスの。関節技痛いの分からないでしょ、
でも有刺鉄線痛いよ、これがリアリティだよ」ってことなんですよね。

 
–大仁田さんがいて、また一方で天龍さんというとSWS。ある意味、ゴングと週プロの戦いでもあったかなと思いますけど、あのときどうでした?

 
小佐野:僕、全日本プロレス担当だったじゃないですか。で、天龍さんがああいう風に出た。動きとしては全日本担当とSWS担当の両方やりたかったんですよ。だって、その後出てきたのが、三沢であり、小橋であり、川田であり、田上でありといった人達だったじゃないですか。入った頃から知ってる人間がトップを取る、こんなに取材やりやすいことないわけですよ。変な話、呼び捨てで呼んでるような人達がトップなわけだから。だから両方やりたかったけど、あの時のあの両団体の軋轢の中ではそれは出来なかったですね。要は全日本プロレスから煙たがられましたね。だから三沢達とはリング外で付き合ってましたね。
 

–本当にあの時代はギスギスしてたなと。マスコミもファンとして傍目に見てただけですけど、ゴングと週プロもそういう感じがあったんじゃないかなって思いました。

 
小佐野:結構団体が分かれたり、選手が離れたりいろんなことがあると、選手や団体って「どっちの味方?」ってすぐそういう風に人を判断したがるから「どっちの味方でもないですよ!」って。こっちは報道してるんだからねって。そこはなかなか分かってもらえないですよね。でもまあこんだけ年月を経れば、結局は馬場夫妻とも仲良くやって、ずっとなんとなく全日本派と見られ。実は新日本のファンクラブやってたり。
 

–私設ファンクラブ『炎のファイター』やられてたんですもんね(笑)

 
小佐野:そうです。だから本当は新日本なんですよ、もともと(笑)!だから業界に入ったときは新日本の選手の方が知ってたんですから。全日本の選手とはしゃべったことなかったんですから。不思議ですよ。

 
–そのような中で天龍番としていろんな相談とか、苦悩とかも聞いていたわけですか?

 
小佐野:いろいろな話をしましたよね。SWSの頃は辛かったと思いますよね。だって昔サインした色紙が送り返されてきたらしいんですよ、「もういりません」って、それは傷つきますよね。
で、試合しても冷たい空気で。どう見てもあら探ししてるファンが多かったんですよね。

 
–あのときもしかしたら、本当に武藤敬司がSWSに入っていたら違っていたのかもしれないですよね。

 
小佐野:まあ、企業が入ったほうがいいっていうのは今の新日本が証明してますけど、ちょっと時代が早かったのと。メガネスーパーはタニマチ感覚だったってことですよね。ちゃんとビジネスとしてやればまた違ったんでしょうけど、あの儲けいらないからどうのこうのってレスラーに多くのギャラをあげちゃった時点で失敗だったかもしれませんね。

 
–天龍さんの引退のときにでもメガネスーパーさんの協賛だったかが入ってたのはちょっと嬉しかったですね。

 
小佐野:そうですね。あのその当時のメガネスーパーの社員の方が今いらっしゃって偉くなってるのかな?その人がやっぱり本当はSWSに入りたかったらしい(笑)。でもメガネスーパーに入ったから、今ようやく叶ってこういうことができるってことで。

 
–あれでプロレス界ではメガネスーパーが有名になりましたよね。

 
小佐野:だからメガネスーパー的にはよかったらしいですよ。叩かれようが何しようが有名になったっていうのはかなり大きかったみたいです。
 

–個人的にはそのあとの、WARが新日本とやってたときはヒートアップしてめちゃくちゃ面白かったですね。

 
小佐野:あれは、やっぱりファンは天龍を全日本として見てたはずなんですね。ついに全日本のトップと新日本のトップの対決が始まったっていうね。やっぱあの時代の天龍源一郎はすごかったですよね。
 

–すごかったですね。もう天龍さんご自身のコメントで新日本のリングに上がったら、スーパーカーが並んでるようだったとおっしゃってたってありましたもんね。

 
小佐野:ほとんど当たりましたもんね。当たってなかったのは、武藤敬司、グレート・ムタとシングルやってなかったくらいですもんね、あの時代。武藤、ムタとはワンクッション置いてからシングルをやりましたけど。
 

–本当に面白かったです。

 
小佐野:猪木さんもいきましたもんね。
 

–まさか猪木さんからピンフォール勝ちするなんて。もう信じられなかったです、衝撃的でした。

 
小佐野:あれは新日本の選手はどういう思いだったんだろうって思いますよね。

 
–このカードを組んだ長州さんもすごいですが、うけた猪木さんがまたすごい。

 
小佐野:あれも結局SWSを辞めるときにインタビューして「引退試合は長州力とやりたい」と天龍さんが発言したのを記事にして。それを現場監督だった当時の新日本の長州力さんが乗ってきてくれて、ああいう形になって。僕としては本当に嬉しかったですね。

 
–マスコミさんがうまく選手を繋げるというか、誌面を通じてうまくやっていた時期っていうのがあったわけですよね。

 
小佐野:そうですね。当時は我々も見たいものがあるわけじゃないですか。それを実現したら、ファンは絶対乗っかってくるじゃないですか。で、そのほうが絶対に本も売れるじゃないですか、という考え方でしたね。
 

–だから、今よりある意味べったりしていないというか。なんていうんですかね。

 
小佐野:もしかしたらベッタリなのかもしれないけど、ベッタリの仕方がちゃんとお互いのビジネスとしてのベッタリの仕方なんですよね。

 
–その辺が今と少し違うのかなと。

 
小佐野:一緒に作っているということなのかな。どこどこの団体からお金をもらってやっているというわけじゃないから。それはいらないんですよ、実現してくれれば結果的に本が売れて儲かればいいから。個人的なお金はいらないわけですよ、そういう感じですよね。
 

–そういうワクワク感があったんですよね。誌面を通じて、あおっているような。ファン的には心理がとらえられているなというか。

⇒次回に続く


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