張さんは神戸大学人文学研究科の博士課程に籍を置いていた。専攻は日本古典文学で、中国の大学で日本語や日本文化を教える教師になることが夢だった。しかし修学期間を延長したので、学費減免の措置を受けられなくなった。博士号を取得するには博士論文を完成し、審査に通らねばならない。かなり困難な作業で、在学期間を延長する例は珍しくない。この点で張さんを批判するわけにはいかないだろう。

張さんは学費と生活費を得るために、デパートの化粧品売り場で通訳などを担当するアルバイトを始めた。しかし1月末から、来店する中国人観光客は激減した。訪れる中国人も日本在住者ばかりで、通訳の必要はなくなった。仕事もないのに給料をもらうことに罪悪感があった。アルバイトの契約は1カ月ごとの更新だった。同じ派遣会社から別の会社に派遣されている人で、契約が更新されなかったといううわさも聞いた。張さんによると、すでに貯金は10万円を切っており、今後を考えると不安でたまらなかったという。

そこで同じ山東省出身で、日本で会社を経営している人に、正社員として採用してもらえるかどうか尋ねた。答えはOKだった。博士論文は完成の一歩手前だったが、張さんは学業を続けていくことが難しくなる。しかし張さんは、正社員として働くことを決意した。2月のことだった。自分の夢を断ち切ることに直結する「苦渋の決断」だった。張さんは3月中に退学の手続きを済ませた。

その会社は日本で中古車販売をしていた。しかし社長は、農業技術分野に進出しようと考えた。具体的には、中国の農業技術関連機構が日本のメーカーに研究設備の制作を依頼する際の橋渡しをする業務だ。そこで、張さんのように中国語にも日本語にも堪能なスタッフを必要としていた。中国での感染症対策のため、中古車販売は落ち込んでいたが、社長は3月になれば復調するだろうと考えていた。

張さんは4月中に日本の労働ビザを取得し、5月の連休明けには出勤し始めた。しかし中古車販売は回復せず、農業技術関連のビジネスも停止していた。張さんは出勤を続けたが、することはほとんどなかった。経営者が苦しんでいるのは明らかだった。

張さんは6月初旬に経営者と話し合い、退職することになった。5月分の給料などは受け取ることができたが、張さんは改めて職を探さねばならなくなった。「これは!」という仕事は見つからない。ハローワークに登録したが、連絡は来ない。張さんの脳裏には「僧多粥少(求める人が多いのに分け与える物が決定的に不足)」という中国の諺が浮かんでは消えている。
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日本の大学院で学んだからと言って、中国の大学で教職を得ることに直結するわけではない。しかし張さんの場合、博士号という「決定的」な資格を得るための論文完成が目前に迫っていたので、夢の実現は間近になっていたと言ってよいだろう。

張さんの説明を聞いていて、「仕事をしないで給料をもらうことに罪悪感があった」との説明は、気になった部分だ。他人を強く思いやるという、「日本人的」とよく言われる感性との共通部分ではないのか。そんな人材に中国の大学で日本について講義してもらえば、学生に日本をより正しく理解してもらうための、大きな力になったのではないか。そんな未来がコロナウイルス禍で断ち切られてしまった。やるせない気がしてならない。(取材/如月隼人)