2019年末から中国湖北省武漢市で流行し始めた新型コロナウイルス(COVID-19)は2020年3月11日にはWHOからパンデミック宣言が発令され、日本政府も4月7日に緊急事態宣言を発令、現在でも世界で60万人以上、日本でも1000人を越える死亡者が出る事態となっている。

日本での感染病歴史を調べると、遠くは弥生時代に稲作が伝えられた時の結核に始まり、邪馬台国が魏国に朝貢した時の天然痘、遣唐使によって平城京に広がり藤原四兄弟が犠牲となった天然痘など、中世・近代そして現代に至るまで多くの事例が歴史書に記載されている。感染病の根源は日本ではなく海外(主に大陸)から人が持ち込んだのは疑いのない事実だ。日本の感染病歴史を見ると、感染症(疫病)として恐れらえたのは梅毒・天然痘・はしか・ハンセン病・結核・コレラである。

結核でなく、咳込みが強く人に短期間に伝染する風病を平安時代には「咳逆(がいぎゃく)」と言った。巷では「しはぶき」と呼び、これが分類的にはインフルエンザに該当する。蘭学者の伊東玄朴が天保6年(1835年)に蘭独辞典にあるインフルエンザを「印弗魯英撤」と和訳した。流行性感冒をインフルエンザと呼びだしたのは戦後である。伊東玄朴は安政5年(1858年)に江戸に種痘所(お玉が池種痘所)を開設、この場所が東京大学医学部となっている。

(表1)に江戸時代以降の主にインフルエンザ感染病発生の経緯をまとめた。江戸時代初めの慶長年間に発生したが、その後100年近くインフルエンザは発生していない。これは3代将軍徳川家光の鎖国政策(正確には、長崎のみが西洋・中国・朝鮮との窓口)による効果だと思われる。その後、薩摩藩の琉球貿易(琉球は清と交易)や対馬宗氏を通じて韓国南部釜山の倭館運営で朝鮮王朝との交易が頻繁になると、享保年間以降度重なるインフルエンザ大流行が記録された。その周期は7〜8年サイクルであり、欧州・大陸で同時期頃に発生したパンデミックと比較すると、欧州・アジア大陸で発生後数年経つと日本で大流行していることだ。日本で起こったインフルエンザは、全部海外から伝染した疫病であった。

非常に面白いのは、インフルエンザが流行する度に民衆は愛称を付けて呼んだことだ。小駒風は、当時流行の浄瑠璃で毒婦を演じた小駒の名から取った。谷風は、当時の大関(現在の横綱)谷風が感染し最後は死亡したが、無敗の横綱に土を付け倒したウイルスへの尊敬の念か。お七風も八百屋お七の話題からだ。文政年間以降「薩摩風」「琉球風」「アメリカ風」といずれも海外から来たことを示す名前を付け、インフルエンザは海外からの人が運んで来たと分かる呼称であった。(工藤 和直)