時空を超えて橋が架かった! 目指していた街の“お祭り”が実現──出島表門橋架橋プロジェクト・渡邉竜一氏たちの挑戦 完結編2

※前編記事<巨大な橋を架橋現場まで安全に運搬せよ!───出島表門橋架橋プロジェクト・渡邉竜一氏たちの挑戦 完結編1>はこちら

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架けるを、楽しむ

2月27日、ついに出島表門橋架橋プロジェクトの大きな節目となる、架橋の日を迎えた。渡邉氏ら設計チームと地元の建設会社のコンサルタントが立ち上げた任意団体「出島ベース」はこの日を街の“お祭りごと”にするために架橋工事そのものをイベントにしようと、「出島表門橋一括架橋イベント─架けるを、楽しむ─」を企画。江戸町側から橋が架けられるシーンを一望できる出島和蘭商館跡見学スペース内に特設会場を設営。先着200名限定で、コーヒー、カステラ付き架橋記念プレートを用意した。

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▲出島ベースが用意した200人分の出島コーヒーのコーヒー、文明堂のカステラ付き架橋記念プレート。ものの10数分でなくなったという

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▲特設会場入り口では出島ベースのオリジナルグッズや文明堂のカステラが販売された

大勢の人びとが集結

架橋工事開始は午前10時だったが、すでに8時の段階で出島和蘭商館跡には長蛇の列ができており、市民がいかにこのイベントを楽しみにしていたかがうかがい知れた。その後も続々と人々が訪れ、開始直前には特設会場はもちろんのこと出島橋、玉江橋、県庁の駐車場など、周辺があふれんばかりの人々で埋まった。その光景はまさにお祭りと呼ぶにふさわしいものだった。

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▲大勢の観客で特設会場は埋め尽くされた。最終的に、出島内とその周辺には約5000人もの人々が集まった。平日午前にも関わらずこの数字は驚異的

いよいよ架橋、スタート

当日は雲一つない晴天・無風と絶好のコンディション。大勢の市民や報道陣が見守る中、いよいよ10時に架設工事がスタートした。

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130年ぶりに出島に橋が架かった!
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▲橋が架かった瞬間

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▲ 支点のチェックもしっかりと

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▲クレーンで橋が吊り上げられ、江戸町と出島に架けられるまではものの10数分だったが、その後の微調整で3時間近くかかった

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▲歴史的考証を綿密に行い、かつて橋が架っていた場所と同じところに橋を架けることができた。これにより、江戸時代の人々と同じ目線で出島に出入りすることが可能に

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▲歴史的瞬間を多くの市民が目撃した。まさに渡邉氏の思い描いていたとおりの町の“お祭りごと”になった

プロジェクトメンバーの思い

かくして多くの関係者、市民に見守られながら歴史的プロジェクトのハイライトとも言える架設工事は無事終了した。この日は晴天・無風と橋を架けるには絶好の天候に恵まれたのだが、長崎でこれだけ風が吹かない日は珍しいという。しかも一週間前の天気予報は雨だった。そして架橋が終わった後から徐々に雲が出てきて風も吹いてきた。かつて出島を行き来していたオランダ人や日本人の魂がこのプロジェクトを祝福してくれたかのようだった。

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▲橋の設計を担当した渡邉氏と高い技術力で出島表門橋の架設を成功させた大島久保JVの技術者たち

無事架設を終えて、3年半にも渡ってこのプロジェクトに携わった人々の胸には熱いものがこみ上げていた。

架設工事終了直後、橋の製作、運搬、架設の指揮を採った長崎市役所土木部道路建設課工務1係長の嘉松寿夫氏は以下のように胸の内を語った。

「私は2014年からこの橋の担当になったのですが、市役所で4年間も同じ業務に携わることはめったにないんですね。今まで関わったプロジェクトの中でも期間として一番長いし、プロポーザル時も私が長崎市側の責任者で、仕様書を作成する際も発注業者を決める前の叩き台の段階から関わっているので、思い入れはかなり強いですね。また、歴史の一部になるようなビッグプロジェクトにはなかなか参加できないのでやりがいは大きいし、とても感謝しています。それだけに橋が架かったことに関しては感慨深いですね。前日までドキドキしてたのですが、事故もなく無事終わったのでほっとしています。あとは板を張って、一般の人が渡れるようになるのを待つだけ。私自身も渡ることを楽しみにしています」

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▲橋の設計と施工の発注、製作現場の監督などを担当した嘉松氏

出島復元整備事業の責任者である出島復元整備室長の馬見塚氏は「無事、安全に終わってほっとしています。でもこれで終わりじゃないですからね。架設は終わったけれど、我々の仕事はこれで終わりじゃない。この橋をこれからどう活かすかという大仕事が残っているわけです。今年の11月にはこの橋のオープニングセレモニーがあるので、それに向けてまた頑張らねば。このセレモニーは日本とオランダの新たな交流のシンボルとなるような、国際的なオープニングイベントになるでしょう」と語った。

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▲オープニングセレモニーに意欲を高める長崎市出島復元整備室の馬見塚純治室長

長崎のDNAがこの橋を出現させた

そして、この橋の設計者である渡邉氏は特別な思いとある手応えを感じていた。

「今は言葉にならないですね。これまでの3年半が脳裏に浮かんできて胸が熱くなりました。こんなに大勢の人たちが架橋を見に集まってきてくれて、まさに市民も行政も一緒になって、みんなで橋を架けたいと願っていた通りの、いや、それ以上の“お祭りごと”になりました。すごい瞬間でした」

そう語る渡邉氏の目には光るものがあった。

渡邉氏にとってこの橋、プロジェクトは特別なものだった。今から9年前、日本の橋の設計を志し渡欧。ネイ氏の元で設計士として研鑽を積み、さあこれから日本で素晴らしい橋を造るぞと意気揚々と帰国したがその希望は無残にも打ち砕かれた。土木業界の関係者に「日本ではヨーロッパのような橋の設計はまず無理ですよ」と言われたのだ。いきなり大きな壁にぶつかって悩んだ渡邉氏だったが、打開策を探る過程で長崎市が発表した出島表門橋のプロポーザルを発見し、参加。長崎市は、渡邉氏らの難しい条件をクリアし、出島の歴史を踏まえた設計案を選んだ。(※詳しい経緯については「2つの壁」を乗り越え、“出島”に再び橋を架けろ!を参照)

「やっぱり何事も一番最初にやるのが一番難しいんですよね。通常、特に役所は前例がない案を受け入れることに対しては強い拒絶反応を示します。受け入れる側もリスクを負うことになりますからね。でも長崎市は僕らが提案した世界的も珍しい、新しい橋のデザインを受け入れて、こういう橋を作ろうと言ってくれました。そういう意味で僕にとってこのプロジェクトは特別で思い入れがすごくあるんですよね。そもそも長崎は江戸時代から常に新しいものを受け入れながら時代の最先端を走ってきた町。その遺伝子がこの橋をここに実現させてるんじゃないかと思います。そして新しいものは出島という特別な場所から入ってきたということも大きいと思いますね。他の土地ならこういう橋は受け入れてもらえなかったかもしれません」

また、渡邉氏は橋の設計だけではなく、このプロジェクトを町全体を巻き込んだイベントにするべく仲間とともに出島ベースを立ち上げ、さまざまな活動に尽力してきた(※詳細は「こんな橋ならいらない」という住民も…それでも巻き込み“出島”に橋を!を参照)

「この橋はかなり特殊で斬新です。ただでさえ新しいことをしようとすると批判されることがたくさんあるし、橋が架かった後も批判されることがあるかもしれない。なるべくそのリスクを減らすために、僕の本業は図面を書く仕事なんですが、橋が架かる前から町の人たちに温かく見守ってもらえる状況を作ることに尽力してきました。それだけに架橋イベントでこれだけ多くの人々が集まって来てくれたということに感動したわけです。

ただ、これから先に関わるすべてのプロジェクトでこういうことができるかというと厳しいですね。正直、この活動にかなりの時間と労力とお金を費やしました。毎回こんなことをやってたら僕が潰れます(笑)。ですので今後は本業の設計の方に専念しようかと考えています。とはいえ、今後は橋のメンテナンスなどの案件もあるので、引き続き長崎には通い続けます。また、毎年2月27日の架橋の日にプロジェクト関係者で集まって、橋を清掃してその後食事をする会をやろうかと考えています。これからの橋の新しい維持管理のやり方になるかもしれません。本業に専念しようと言いつつ、こうしてまた自分から本業以外のことに首を突っ込んでいくのだから矛盾してますよね(笑)。

とにかく、今回のようにハード(橋の設計・監理)とソフト(出島ベースの活動)の両輪を回しながら、しかも民間の企業や市民のお金もいただいて、官民一体となって公共事業を進めていき、なおかつ世界的に見てもかなり興味深い橋が架けられたことで、今までとは違う地点に到達できたかなと思っています」

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▲出島表門橋の設計、設計監理、運搬、架橋に加えこのプロジェクトのPR活動などほぼすべてのフェーズに関わったネイ&パートーナーズジャパン代表の渡邉氏

“物語”の重要性

前回でもお伝えしたが、渡邉氏は今回の架橋は橋を大島造船所で完成させて、現場まで運搬し、巨大なクレーンで架設する「一括架設」という方法を提案した。しかし一般的に考えると、橋を分割して陸送し、現場で繋いで架設する方が簡単だろう。渡邉氏はなぜ一括架設にこだわったのだろうか。

「一括にこだわったのは、この橋の運搬、架設も含めて市民に見てもらいたい、つまり街のお祭りごとにするという目標を行政、施行者と共有するためでした。今回のような形の運搬、架橋を通じて、公共事業は市民に温かく迎えられることも可能なのだということを示せたと思います。

また、橋を船で運ぶということに関しても1つの思いがあったんです。先ほどもお話しましたが、江戸時代から出島には海から見たことのない最先端のものが入ってきていました。この橋には欧州の技術が注ぎ込まれています。今回再び、欧州の技術が海から入ってきたことを演出するには、橋は海からひとつの完成された形で入ってくる必要があると考えたのです。

人は物語に感情移入するものです。その先にある形、つまり今回の橋のような他のどこにもない設計ももちろん重要なのですが、まずは人々が興味をもつ入り口としての物語が必要だと思うんです。でも僕たち設計者は、いつの間にか物語をつくることを忘れてしまった。だから今回、物語をつくることにこだわったわけです。

ただし、演出や物語は故意に創作するのではないということも、歴史を学び、街の人と長い時間をかけてじっくり会話することで自然と気がついていきました。創作するのではなく、元々そこにあって埋もれているものを掘り起こす感覚といえばいいでしょうか。3年半は長い時間ですが、こういう物語に気がつくためには必要な時間でした。一般的には、物語をつくるという行為は本来の仕事の範囲ではないので、ほとんどの設計者は行いませんが、今回のプロジェクトの成功で、少しでも多くの人が物語の重要性に気がついてくれたらと思っています」

現在は橋桁の上部に木製の板が張られ、内側から照らすLED照明を設置するなど完成に向けて作業が進められている。その作業自体は4月中には完了する予定だが、公園側の整備にまだ時間がかかるため、実際に人が歩いて渡れるようになるのは11月頃になる。

「11月には出島表門橋の公開イベントが開催されますが、それまでにいくつか仕掛けを考えています。実際に人が橋を渡れるようになる日が楽しみでならないですね」(渡邉氏)

鉄のような固い意志で幾多の困難を乗り越え、圧倒的な熱量で多くの人々を巻き込み、歴史的プロジェクト「出島表門橋架橋プロジェクト」を成功に導いた渡邉氏。その活動はいち設計者の範疇を大幅に逸脱している。しかし、だからこそ新たな歴史の1ページを作ることができたともいえるだろう。

渡邉氏らの挑戦はこの先も続く。

文/写真:山下久猛 一部写真提供:渡邉竜一


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