「J-POP LEGEND FORUM」、J-POPの歴史の中の様々な伝説を改めて紐解いていこうという60分番組。日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年4月の特集は、YMOをはじめ、数多くのアーティストを手掛けてきた史上最強のA&R近藤雅信がキャリアの中で出会ってきたアーティストの楽曲に触れていく。第4週目は、独立して芸能事務所V4inc.で手掛けている岡村靖幸を中心にパーソナリティの田家秀樹とともに語っていく。

田家秀樹(以下、田家):こんばんは、「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは岡村靖幸さんの「少年サタデー」。4月1日に発売の最新アルバム『操』の収録曲です。テレビ番組『王様のブランチ』の主題歌でもありました。今月の前テーマはこの曲です。



田家:今月2020年4月の特集は近藤雅信。史上最強A&Rプロデューサー。今はこの岡村靖幸さんの事務所、V4inc.の社長さんであります。近藤さんはアルファレコードを皮切りに東芝EMIの制作部長、ワーナーミュージック常務取締役、ユニバーサルミュージックのレーベルヘッド、そういうキャリアの中で岡村靖幸さんに出会って今の会社を立ち上げました。1957年生まれ。すでに40数年のキャリア。現役であります。というわけで、近藤雅信さん最終週です。こんばんは。

近藤雅信(以下、近藤):こんばんは。よろしくお願いします。

田家:というわけでようやく岡村靖幸さんのアルバムに辿り着きました。先週、この放送を聞いていると集大成な気がして、これで終わってしまうんじゃないかと話されてましたけど、全くそうではないというのが今週です(笑)。

近藤:うーん、でも自分で自分のやっていることに飽きちゃったらおしまいだっていう感じはいつもありますね。自分を飽きないようにさせる、っていうことは考えているのかなあ。

田家:色々なアーティストと関わるときに、飽きかけたら離れるということはありそうですか?

近藤:飽きかけたら離れるというとはすごく人間的な感じがするんですけど、レコード会社って、アーティストと、ある期間や枚数の契約をするので、その中で結果を出さないといけないわけですよね。池波正太郎風に言えば、急ぎ働きにならざるを得ない側面はあると思うんですよ。

田家:次々と結果を出さないといけない。

近藤:そうなんですよ。だからそこをどういう風にやっていくかっていうことですよね。

田家:でも今はそういう状態で仕事をされているわけではないでしょう?

近藤:今は2、3枚の作品の中でなんとかしなきゃいけないっていう発想ではなくて、物の考え方が10年サイクルくらいで考えるようにはしていますね。今年以内になんとかしないといけないっていう発想は全くないし、それよりもとにかく良いものを出し続けていくっていうことに何より集中しています。レーベルも自分でやってて、マンツーマンのシステムなので、なんかやりたいと思った時に色々なところに相談したりとかする必要もない。例えば、朝日新聞の見開き全段カラーやりたいなってなったら、自分でやりたいって思えばできちゃうわけですね。そのやり方は、僕には向いているなと思うんです。

田家:岡村さんに話をすればいいわけですもんね。その中で最新アルバム『操』が完成しました。それではアルバム1曲目お聴きください。

岡村靖幸 / 「成功と挫折」

田家:これが出来たときはどういう風に思いました?

近藤:アルバムの心臓ができたなと思いましたね。深く深く満足しました。

田家:これは1曲目用に作ったわけではないでしょう?

近藤:1曲目用にって本人が考えたかは分からないけど、ある時からこれが1曲目なんだろうなっていう風に思ったのかもしれないですね。

田家:岡村さんは常日頃から曲を作っている人だって伺ったんですが。

近藤:そうですね、スタジオが彼にとって遊び場というか。仕事というより生活、生きている場所ということなんでしょうね。そんな感じします。最初の頃は僕がスタジオもどっぷり付き合っていたんですけど、事務所稼業も忙しくなり、ある日を境にスタジオの中は岡村くんの仕事ね、スタジオの外は俺の仕事ねって、徐々にそういう風に僕の中でそうなっていったのかもしれないです。

田家:いわゆる重低音でありながら、見事に計算と精微と風格、品格があるように感じました。「あり金もハリガネも」っていう歌詞が僕はすごい好きなんですよね(笑)。このさりげないユーモアというんでしょうか。そしてギターが小山田圭吾さん。フリッパーズ・ギターの話は先々週に近藤さんに語っていただいて、もう何の違和感もない人選ということになるんでしょうね。

近藤:そうですね、ギター最高ですよね。この不協和音的なファンキーな感じ、大好きです。

田家:このタイトル「成功と挫折」もストレートに感じましたけど。

近藤:天国と地獄、白と黒とか相反するものから物を作り出すっていうのはフォーマットとしてありますよね。言葉をどう使うかっていうところで彼はうまいと思いますね。



田家: 2004年のシングル『モン・シロ』ですね。アルバムは『Me-imi』に入っておりました。ユニバーサル・ミュージックへの移籍第一弾。

近藤:僕は当時Def Jam Japanっていうレーベルにいて、岡村くんに来てもらったという感じですね。

田家:誘ってきてもらった?

近藤:誘いました。大体、向こうから来たいっていうミュージシャンはなかなかないですよ(笑)。来ませんかって声かけないと。

田家:来ませんかね(笑)。このDef JamというレーベルはHIPHOPやR&Bの専門レーベルで、アメリカでは1984年に出来て、2000年にDef Jam Japanというのが始まって、近藤さんはこのDef Jam Japanのレーベルヘッド。

近藤:僕が入ったのはちょっと後なんですけど、当時はニトロとかトコナXとか、ピュアでコアなHIPHOPアーティストがいっぱいいるレーベルで、そこで歌物っぽい作品を入れていこうっていう。本国でのDef Jamもそうなっていった時期ですし。

田家:レーベルをやりたいっていうのは近藤さんの方から言われたんでしょうか? 会社の方から?

近藤:えーとね、ワーナーを辞めた時に何社か誘ってくれたところの一つが石坂(敬一)さんのところで。石坂さんに連絡してお世話になりたいんですけどって僕から連絡させていただいて。そこで提示された選択肢の中でどれがいいって訊かれて、Def Jamを選びました。

田家:『モン-シロ』のシングル盤では、帯に”Def Jamってどんな会社?”っていうコピーがついていたんですよ。こういうコピーがついてるシングル盤って珍しいなと思って、今でもとってあるんですけど。このコピーは近藤さんがお付けになった?

近藤:これは僕じゃないんですよ、本人だと思うんです。当時の現場のA&Rと相談してつけたと思うんですよ、未確認情報ですけど。

田家:今自分が移籍した会社がどんな会社かっていうコピーは初めて見ました(笑)。

近藤:その時から、彼はある種、質問に関しての天才だったと。質問力って今上がってますけど、この辺からもう高まり始めていたんじゃないでしょうか。

田家:なるほどね。そんな出会の中でどんなことを感じられたかはまた後ほどお話ししていただきます。そうやって始まったアルバム『幸福』に入っておりました「ビバナミダ」。




田家:2013年10月のシングル『ビバナミダ』。メーカーはV4 inc.近藤さんの会社です。独立して第一作だった。独立第一作のシングルってどんなもんですか?

近藤:第一作とかそんな考えてなかったかもしれないですね。

田家:ここからやってくんだっていう気負いとかもなく?

近藤:岡村くんと仕事を始めるっていうことで、ライブをやったり作品を出したりっていう中から出てきたものだから、1枚目だからっていう感慨はなかったですね。何年か経ったら総集編的な感慨が出てくるかもしれませんが(笑)。

田家:レコード会社のスタッフが、そこを独立して、担当しているアーティストと一緒に事務所を作るケースはそんなに珍しくないことなんでしょうか?

近藤:僕の場合はちょっと違っていて、ユニバーサルを辞めた後にアルファ時代の上司の川添象郎さんとV3っていう会社を1年ちょっとくらいやってるんですよ。で、そこではふくい舞ちゃんの『いくたびの櫻』とかをプロデュースしていて。で、その後に川添さんのソロ仕事が忙しくなって、僕も岡村くんとかで忙しくなったんで、じゃあ別会社にしましょうっていうことで作ったのがV4なんですよ。なので繋がっている感じはなくて。たまたまある人を介して岡村くんのマネージメントをしないかっていう話をいただいて始まった感じですね。

田家:2004年に発売になったアルバム『Me-imi』には、A&Rプロデューサーとしてクレジットされていたわけですが、そういう自分の担当アーティストを持って事務所を作ったわけではないんですね?

近藤:持ってではないですね、それぞれ離れていて再会したって感じですね。



田家:アルバム『幸福』の中の収録曲「愛はおしゃれじゃない」、シングルカットもされました。Base Ball Bearの小出祐介さんとのコラボレーションで作詞は小出さんですね。先程の話ですが、レコード会社にいた時から付き合っていた岡村さんと、事務所として関わるようになってからっていうのは、違う発見はありましたか?

近藤:両方経験できるのも稀有なことだと思うんですけど、レコード会社ってミュージシャンにとっては親戚のおじさんみたいなもんだと思うんですよね。事務所って僕のイメージですけど、親父とかお袋みたいな感じがしていて。結局、生活全般っていうことに気を配らないとといけないし、ある種の健康、精神管理みたいなのもあると思いますし。だから、ミュージシャンとレコード会社、事務所っていうとは感覚が違いますよね。

田家:相当違いますよね。

近藤:違う脳みそ、違う筋肉を使う感じはありますね。

田家:実際の仕事でやらないといけないことでも、それまで事務所がやっていたことを自分でやらなければならなくなりますし。

近藤:50歳超えるまで、レコード会社に居たので、請求書も書いたことないし(笑)。

田家:もらう方ばっかりでしたでしょうね。

近藤:いい勉強になりましたね。コンサート制作もしたことがなかったし、CM制作の話は来てもギャラいくらにすればいいのかとか、全部分かんないんですよ(笑)。

田家:近藤さんがV4inc.で岡村さんを手掛けて初めてのアルバム『幸福』が2016年に出たわけですが、11年半ぶりだったわけでしょう。戦略は立てたりしたんですか?

近藤:気にしたのはジャケットのアートワークとか、作品を取り巻く環境をすごく気にしました。作品が絵であれば、環境って額縁じゃないですか。ちゃんとマッチングする額縁がないといけないとか、よく本人にも言うんですけど、鰻重って冷えたら美味しくないじゃないですか。冷えても美味いものもありますけど、できれば日本家屋でちゃんとした白木造りのテーブルとかカウンターで食べたいと思うんですよ。そういうとこで食べたらさらに美味い。そういう鰻重を世の中に提案したい。そういう感じですね。

田家:その環境づくりが朝日新聞の全面カラー広告だったりしたと。

近藤:新聞の全段広告っていうのは結構好きで。サディスティック・ミカ・バンドとかYMO再結成(再生)でもやりましたけど、僕にとっては新聞全段広告っていうのは重要なときにやるんですね。これはお参りみたいなものなので(笑)。

田家:ちゃんと御利益がありました。それではアルバム『幸福』の最後の曲「ぶーしゃかLOOP」。



田家:前作のアルバム『幸福』は、チャート3位で彼のオリジナルアルバムで最高位だった。結果が出ていますもんね。この曲は思い出すことがありますか?

近藤:これは元のトラックが、ホームページ用に作った映像をつけた音楽がベースになってるんですけど、ウエブデザイナーで中村勇吾さんという天才秀才がいまして。現代アートの領域までいっちゃうような人なんですけど、その人と組んで作ったらとても良いものができて。誰でもそうですけど、優れた人とコラボしたりすると、ケミストリーが生まれるわけじゃないですか。これは一つの成果なんじゃないかと思いますね。

田家:それは岡村さんからその方とやりたいと?

近藤:こっちからお願いする場合もありますし、向こうからいただく場合もあります。どっちからというより、良い恋愛ができるかどうかだと思います。良い恋愛ができればどしどしやりたいと思っています。

田家:そういう人選の共通項がお2人にあるんでしょうか?

近藤:ある場合もあるし、こっちから話す場合もありますし、色々ですね。

岡村靖幸 / 「インテリア」

田家:続きまして、流れているのはアルバム『操』の2曲目「インテリア」。先程の1曲目「成功と挫折」からそのまま繋がっているという作りになっております。この曲は、かっこいい曲だなあと思って。かっこいいとしかなかなか言えない不思議な曲です。

近藤:繋ぎ方でこんなに聴こえ方も変わるんだなあという楽しみ方もできます。

田家:彼がどこに拘っているのか、聴き手が聴いて分からないようなところまで拘ってるんでしょうね?

近藤:聴き手が分かるかという部分もあるのかもしれませんけど、分からない部分も全てのミュージシャンにはあると思うんです。そういう深みというか、面白味って分からない所に秘密があるから面白かったりするじゃないですか。そういうマジックがある音楽って普遍性が生まれてきますよね。ビートルズのアルバムもそういうところがあるし。そういう風になったら良いなと思いますけど。

田家:岡村靖幸さんのマジックってどういうところなんでしょう?

近藤:前もYMOから岡村くんへっていう部分に田家さんから質問がありましたけど、優れた音楽って色々な音楽が介在されているから。一つ開けたら中にまた蓋があるみたいに、情報量が多いですよね。

田家:情報量多いですよね。このアルバムも情報、歌詞だけでなく音とか、リズムとかも語りにくいところもあるんでしょうけど。

近藤:そうですね。時間もかかってるし丁寧にやってるし念入りですし。むしろ『幸福』から4年で良くできたなと思いますね。

田家:岡村さんのプロになるキッカケも渡辺美里さんのレコーディングに遊びにきて、スタジオで踊ってたら、プロデューサーの小坂さんが妙な踊りをする面白いやつだっていうところから始まっていくっていう。そういう誰にも踊れないような踊りをできるっていうことで目をつけられたアーティストっていうのもなかなかいないでしょうし。

近藤:彼が音楽的に特に影響を受けているのは、JBとかマイケル・ジャクソンとかプリンスだったりとか、ああいうダンサブルな音楽表現だから。日本でも久保田利伸さんとかいますけど、ああなったのは必然だと思います。前に渋谷系の時も話しましたけど、音楽の聴いている量が半端ないですよね。埋蔵量がすごいあるから、色々なエッセンスが過不足なく混ざり合っていますし、その秘密がなかなか紐解けないですよね。色々な方に岡村靖幸の論文を書いてもらいたいです。



田家:アルバム2曲目「インテリア」の後に、3曲目「ステップアップLOVE」。やはり繋がっております。

田家:作詞作曲がDAOKOさん。DAOKOさんもそういう繋がりの中から生まれてきた関係ですか?

近藤:DAOKOちゃんとの仕事は、トイズファクトリーさんからオファーが来ました。最初はプロデュースだったけど、やってくうちにコラボになったのかな。これは『血界戦線』っていうアニメに関わる曲で、エグゼクティブプロデューサーは川村元気さんです。川村さんのやりたいアイデアを受け止めてそれを形にしていく。全体のデザイン力も含めて、彼女との仕事はとても良かったんじゃないでしょうか。良いもの作っても、出し方が良くないと、せっかく作ったのにみたいな反応になっちゃう場合もあるし、せっかく作るんだからきちんと世の中と恋愛してもらえる環境作りがスタッフ含めてできてるか大事だと思うんですよ。

田家:自分たちはそれができていると?

近藤:DAOKOちゃんとのプロダクトではよくできました。



田家:続いてアルバム4曲目、「セクシースナイパー」。近藤さんが関わるようになって、2013年に雑誌『ユリイカ』の岡村靖幸特集がありましたね。あれは近藤さんが仰った環境づくりの1つだった?

近藤:これは『ユリイカ』の編集者の安達さんのオファーだったんですけど、彼女のセンスがとても良かったし熱量もあった。だから了解しました。

田家:さっき近藤さんが色々な方に岡村靖幸を語ってもらいたいって仰っていた意味では、この本は本当に面白かったですね。

近藤:編集者によって、出来が全然違ってきちゃいます。考えてることが優れていて熱量もある人とどれだけ仕事ができるのかっていうのがポイントだと思うんですよね。やっぱり一緒にやるっていう場合には、そこがとても大事だと思っていますけど。

田家:特集の中で坂本龍一さんとの対談がありまして。その中で岡村さんが「坂本さんの音楽はエロい」という話をされていて、二人でセクシーとはっていう話になったのが面白かったですね。ブラック・ミュージックとセクシーって関連しているんでしょうしね。

近藤:ものすごく関連していると思います。日本にいるとついつい音楽の気持ちよさでR&Bとか聴きますけど、歌詞を読むとと体の力が抜けていくような内容も結構ありますよね。

田家:下半身ネタもいっぱいありますしね。そういう意味ではJ-POPの歌詞はすごくオブラートに包まれている。

近藤:国民性なんですかね。

田家:でも一貫している近藤さんのアプローチの中でも、アート性。岡村さんもアートに関心があったりするのは『ユリイカ』の特集の中で見せられた気がして。ああいう形だから初めて分かることもいっぱいあるんだなあって思います。

近藤:彼自身は、普通に写真集を買っていたり、展覧会に行ったりしてものすごくアートが好きなんですよね。それを殊更今まで出すこともなかったですし、出す必要もなかったのかもしれないですし。日常の延長のようにこうやって読まれたら良いなと思いますけどね。

田家:さっきの「モン・シロ」のジャケットも家庭の団欒の写真でして。岡村さんと奥様らしい女性と子供が2人で食事をしている写真のようですが、これはシリーズになっているんでしょう?

近藤:そうですね。岡村くんとアートディレクターの後智仁さんっていう方とのコラボ作品ですね。

田家:家庭とはなんだろうっていうことがテーマになっている?

近藤:そうですね、それがこんな風に表現されていった。

田家:『幸福』と『操』では会田誠さんがお描きになっていて、アート的な色彩が強い。

近藤:会田さんとは『ビバナミダ』も入れると、3作目なんですよね。森ミュージアムで「天才でごめんなさい」っていう展覧会があって、僕は2回観に行き、岡村くんも偶然行っていたんです。それまでは彼の作品を数点しか知らなかったんですけど、色々な作風があって。その中で滝の上に少女が十数人たたずんでいるような絵があったんです。それを見たときに天啓をうけまして。このタッチで書いてもらいたいって。で、岡村くんと相談して、お願いしました。会田さんは岡村くんと同い年で、中学生の時に岡村くんは新潟市に住んでいたんですけど、会田さんも同じ同じ市に住んでいたんですよね。もちろん面識はなかったけど、同じ時代に同じ場所にいたっていうのは大事なもので、そういう出自を僕は大事にするんです。そういった意味で言うと、これは会田さんとのコンビはいいかもと思っています。毎回作品をお願いするときは本人同士でミーティングをセッティングするんですけど、会田さんの世界観と岡村くんの世界観が乱反射していて僕はすごい満足しているんです。

田家:ミーティングはどういう話をされるんですか?

近藤:例えば『幸福』の時は、どういうものが幸福だと思いますか? っていうところから始まって。後日談なんですけど、岡村くんがなかなか掴めない幸福ってなんなのかなって話したことが、娘とお風呂に入っている絵に表されていて。あれは岡村くんが手に入れたくても、手に入れられない幸福じゃないかっていう意味で思いついたっていうことだった。『操』の場合はDAOKOちゃんとかライムスターさんともやったし、今までになく外の空気、色々な人と交わってるんですよって話したら、少年と少女が指切りげんまんしてる絵が想像できたんですって。それでそういう表現になったのと、色味はどうするかって話したらビタミンカラーが強いって話をしたら、それが蜜柑で表されたり。

田家:子供2人がアジア系とアフリカ系と考えると違う意味が出てくるかもしれません。アルバム『操』の5曲目「少年サタデー」。



田家:岡村さんは岡村ちゃんって呼ばれたりするので、思春期っていうイメージもあるのかもしれませんけど、これは少年性っていう別のテーマがあるのかなって思ったんですけど。

近藤:これはTBSの『王様のブランチ』からオファーを受けて生まれた曲ですね。土曜日の朝を爽やかに! っていうことで本人が書いたんですけど。作品の出来も満足しているんですけど、「少年サタデー」っていうタイトルがよく思いついたなって。

田家:『ユリイカ』の坂本さんとの対談で「諦め力」っていう言葉を使っていたんですよ。歳をとっていくこととか、何かをあきらめていくことを力にするんだっていうことで、この曲の中の少年性との距離感が面白かったですね。今じゃないと書けない曲だなって思いました。

近藤:なるほど、そうかもしれません。今は本人の気持ちとか、コンディションがいいんじゃないんでしょうかね。コンディション良くないとこういう曲書けないですし。悲しい時には書けない。



田家:続いて7曲目でリード曲「マクガフィン」。これはフィーチャリングとかではなく、”岡村靖幸さらにライムスター”という名義です。作詞が宇多丸さんとMummy-Dさんで、ターンテーブルがDJ JINさん。この"さらに"っていうのは本人のアイディアですか?

近藤:「さらに」は僕のアイデアですね。

田家:このセンスが似ているんでしょうね(笑)。「さらに」にしたかった?

近藤:うーん、色々考えたんですよ。岡村靖幸とにかくライムスターとか、岡村靖幸とかライムスター、岡村靖幸なによりライムスターとか色々考えて、その中で一番ピンと来たのが「さらに」だったんですよ。で、「さらに」がいいなと思って本人たちにもプレゼンして両者とも喜んでくれたのでこれになったという。

田家:近藤さんとしても面白がって?

近藤:面白い方がいいし、その方がお客さんも楽しんでくれるのかなって思いますし。最近、スチャダラパーがライムスターとコラボしていて、名前が「スチャダラバーからのライムスター」なんですね。これから平仮名3文字が流行ればいいなと思ってますけど(笑)。

田家:なるほどね。言葉も独特で岡村語というものがあるんですけど、音楽も一筋縄ではいかなくて、ファンク、ブラック・ミュージックでありながら、日本の音楽やクラシック、ハードロックとかパンクも入っていて。「なごり雪」もカバーしたことありましたよね。雑多なものが全部リズムトラックに入っているような。この怪物感を特に感じました。『ユリイカ』では過去のインタビューにも触れていて、90年くらいのエピックレコードの藤井さんっていうプロモーターが担当していたときに、インタビューの前に媒体の人に「音楽の話は絶対に訊かないでください」って言っていたと(笑)。

近藤:僕もたまに言うかも(笑)。インタビュアーの人も困りますよね(笑)。

田家:中途半端な知識で音楽の話をするよりも、しないでくれって言われた方が話の進め方が面白い時はありますよね。

近藤:その辺のことについては4月20日発売の「ミュージック・マガジン」で本人が答えていますのでぜひお読みください(笑)。

田家:それではアルバム最後の曲「赤裸々なほどやましく」。

岡村靖幸 / 「赤裸々なほどやましく」

田家:悩ましくではなく、やましくですよ。岡村語ですから、この曲みたいに「3+6みたいに10から1引けば9になるから」って。これに先ず驚きました。それでいて「幅広く浮かんだイメージ描こう」とか、「何千の星みたいに光る証に命あるから」っていうヒューマンなことも歌われているわけで。この人の言葉の感覚は常人ではないなっていう(笑)。これを聴いて1人だけ思い浮かべた人がいるんです、桑田佳祐さんですよ。岡村語に近いボキャブラリーで、こういう音楽ですって簡単に言えないわい雑さ、雑多さ。その塊のようなエネルギーを持った楽曲。

近藤:本人、それを聞いたら喜ぶと思います。

田家:何が彼を突き動かしているんだろうっていう。

近藤:そうですよねえ、なんなんでしょうねえ。うーん。

田家:この「うーん」はずっと続きそうですかね。お聴きいただいたのは、アルバム『操』最後の曲「赤裸々なほどやましく」でした。



田家:「J-POP LEGEND FORUM」近藤雅信Part3。史上最強現役A&Rプロデューサー、株式会社V4Incの代表取締役・近藤雅信さんの軌跡を辿る1ヶ月。今週は最終週、4月1日に発売の岡村靖幸さんの新作『操』のご紹介でした。流れているのは竹内まりやさんの後テーマ「静かな伝説(レジェンド)」です。先週のお話の中に、僕が集大成で終わってしまったように思われたくないなって仰っていましたが、その長いキャリアの中で岡村靖幸さんと出会って、今一緒に仕事されているというのはどんな風に思われてますか?

近藤:レコード会社時代も含めて、やりたい人とできているので、それはラッキーだったなって思いますね。どの職種もそうかも知れませんが、この仕事って自分が盛り上がらないとうまくいかないと、思うので。音楽業界の人はそれぞれ興味や趣味があると思いますけど、僕の場合は殊更、興味がある人じゃないと仕事がうまくいかない感じがしているので、今そういう風に仕事ができているのは幸福だなと思いますね。

田家:今持っているものを全部使い切れるアーティストと一緒にやっている感覚はあるんですか?

近藤:若い頃は、そういう風に仕事してきたんですけど、そういう風に全身全霊でやると短いんですよ、燃え尽きちゃうから。今は持久走みたいなもので、レコード会社時代は、とにかく急ぎ働きだったけど今はどう伴走していくか、どう燃え尽きないようにしてしていくかっていうのがポイントだなと思ってます。

田家:岡村靖幸という才能豊かなアーティストをマネージメントできるのは僕以外にいないだろうと思われたり。

近藤:それはないですね。僕じゃなかったら違う見せ方になるでしょうし、それはそれでアリだと思いますよ。

田家:なるほど。岡村さんが最後の担当アーティストになるんでしょうか。

近藤:うーん、分からないですね(大笑い)。お互いに飽きなければ続いていくんでしょうし。お互いがお互いを選ぶ仕事ですから。

田家:それが大人の関係でしょうしね。ありがとうございました。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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