戦時中に首里城地下に築かれた日本軍第32軍司令部壕の保存・公開について、玉城デニー知事は26日、2020年度中に専門家らでつくる新たな検討委員会を設置する考えを明らかにした。壕の保存・公開などを要請した城間幹子那覇市長と久高友弘市議会議長らに答えた。玉城知事が新たな検討委の設置を決めたことで、第32軍司令部壕の保存・公開へ向けた第一歩となりそうだ。

 要請を受けた玉城知事は「岩塊の崩落や酸素の欠乏など、安全確保の観点から現状では一般公開は困難だ」と従来の見解を示した。その上で「戦争を風化させない観点から、第32軍司令部壕の役割など歴史を次世代へ継承することは重要と捉えている。専門家等による新たな検討委員会を設置し、保存・公開や平和発信の在り方を、那覇市と共に検討したい」と述べた。謝花喜一郎副知事は「どういった形でなら保存し、公開できるかを含めた委員会にしたい」と語った。

 検討委の設置時期や結論を出す時期は未定。メンバーは土木技術や沖縄戦など、さまざまな分野の有識者から選び、多角的に検討する。那覇市の具体的な関わり方は、現時点で決まっていない。県は1997年に「第32軍司令部壕保存・公開基本計画」を策定したが、その後、整備や公開に向けた作業は停止していた。

 城間市長らは壕内に残るとみられる遺骨について、国の責任で収集するよう働き掛けることも求めた。玉城知事は「1柱でも遺族に返すことが重要だ。未収骨に関する新たな資料が得られた場合は国に情報提供し、国と協議して遺骨収集に取り組みたい」と述べた。

 第32軍は1944年3月、南西諸島防衛のために創設された。同12月から首里城下に新たな司令部壕の構築を開始し、学生も駆り出された。司令部壕は全長約1キロ、五つの坑道で結ばれていた。壕内には、牛島満司令官、長勇参謀長をはじめとした千人余りの将兵や沖縄出身の軍属、学徒、女性たちが雑居していたとされる。日本軍の拠点として米軍の激しい攻撃を受け、軍は45年5月22日に南部撤退を決定。県民を巻き込んだ沖縄戦の悲劇を生み出した。