暗室用ランプ

 武雄鍋島家資料の中に、写真プリントのための暗室用ランプがあります。

 江戸後期、積極的に蘭学を導入した武雄領主鍋島茂義は、写真にも興味を持っていました。1846(弘化3)年に写真鏡の取り寄せを命じたこと、同年10月に「写真鏡一箱」がもたらされたことが「長崎方控」(武雄鍋島家資料)に見えます。

 「写真鏡」は、撮影用の写真機を指すこともありますが、素描用などに用いられたカメラオブスクラ(写生機)を指すこともあります。一般に写真機の日本への伝来は、1848(嘉永元)年に長崎出島に渡来したダゲレオタイプ(湿板写真機)とされていますので、この時の「写真鏡」は、カメラオブスクラであった可能性もあります。

 暗室用ランプの収納紙箱には「No2 KODAK DARK ROOM LAM」「MANUFACTURD BY EASTMAN KODAK CO.」と記されています。イーストマンコダック社の創業は1880(明治13)年で、社名としたのは1892年です。従って、このランプもそれ以降のものと考えられますが、詳しいことは不明です。

 明治から昭和初期にかけて、写真は華族の趣味として盛んでした。最後の将軍徳川慶喜もその一人であったことは、よく知られています。武雄には、昭和初期に撮影されたガラス乾版の風景写真も残されており、趣味として楽しんでいたのかもしれません。(武雄市図書館・歴史資料館 一ノ瀬明子)