〈桜の木は、知らないことだ〉。そんな書き出しで始まる随筆がある。不意を突かれた思いがした。何の意味かすぐに理解できなかったからだ。〈人が自分に桜という名をつけたこと。この国の人びとがただならぬ愛情の念を抱いて桜を視(み)ること〉と続く。戦後の代表的な随筆家岡部伊都子(いつこ)の作品である◆桜が愛(め)でられ、花見が楽しまれる一方で〈おそるべき形〉に利用された桜への拒絶反応がある。「若桜」だの「桜吹雪」だのともてはやされて散華(さんげ)した若者たちへの思い、桜美学が戦死肯定に使われてきたことへの深い怨恨(えんこん)である◆岡部は〈花は素直に咲いて散る。そのうなじをのばして咲く花々の紅雲を、素直に見られなくするものは何ものか〉と問い、だから〈桜の木は、知らないことだ〉と書き出さずにはいられなかったと告白する◆「桜を見る会」の桜こそ何者かの力に利用された桜の一つとして記憶されるのではないか。咲く前から「散った」と言われたが、今ごろは花びらが咲いていよう。コロナ禍にあっても忘れるわけにはいかない◆随筆が発表されたのは1979年。桜を見る会の怪しさを見越したように締めくくっている。〈市井に桜と住人とがいりまじって暮らしているのがよい。これ以上空気を汚染させたくない〉。得体の知れない思いに利用された桜は気の毒である。(丸)