髙島熊吉翁頌徳碑=鳥栖市曽根崎町

 肥前田代=ひぜんたじろ=(現在の基山町全域と鳥栖市の北東半分の古称)売薬の花形商品「朝日万金膏」の開発者、髙島熊吉(たかしまくまきち)翁(1870〜1948)。「幕末維新期、佐賀は日本の“医とくすり”の最先端を走っていた」のキャッチコピーで2018年、佐賀県立博物館で開催された「医とくすりへの志」展(県主催)では、パネルと映像「村を救え〜朝日万金膏にかけた人々〜」でその功績が紹介された。

 基肄(きい)郡重田村(現・鳥栖市飯田町)に生まれ、売薬業に従事した熊吉は、紙延べ膏(こう)薬の将来性に着目。大量生産に耐えうる品質の確保など研さんに励み、1905(明治38)年、「朝日万金膏」の開発に成功する。

 翁はこの技術を田代村(現・鳥栖市田代)の中冨三郎(久光製薬の前身・久光兄弟合名会社社長)、古賀要次郎など地域の同業者に広く公開し、この地での膏薬全盛時代を築く機縁となった。国道3号、鳥栖市曽根崎交差点脇に「髙島熊吉翁頌徳碑」がある。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)