初源伊万里盃(口径7.5センチ 器高5センチ 高台径3.5センチ 江戸初期)、 無地唐津碗形盃(口径8センチ 器高5センチ 高台径4センチ 江戸初期)

撮影・村多正俊

 いつも思う事なのだが、文化は年表のように、きっちりとは分けられない。大仰に言えば、昨日の幕末は、今日の明治と生活自体は何も変わらなかっただろうし、もっと身近な私事で言えば、毎年、新年を迎え、気持ちを新たにスタートしようとしても、その時の酒の酔いは、大晦日(おおみそか)に飲んだ酒によるものに他ならないのである。とは言え、めくるめく時代の流れは新旧入れ替わり、常に新しいモノが存在する。つまり、文化とは、きっちり分けられないが、グラデーションのように展開していく、というのが、自分の見解である。

 陶磁史においても同じ事が言える。定説では、唐津という陶器の後に出現する磁器である伊万里の発祥は、李参平が泉山陶石を発見し、有田東部の天狗谷窯にて始まったとされているが、今回紹介する染付のある盃(写真後方)は、小物成窯周辺で焼かれていた唐津盃(写真手前)と同時期に同じ窯で焼かれていたのである。当然、その後に完成される初期伊万里には焼成温度の低さもあり、安定性において及ばないが、磁器になる一歩手前の焼き物として魅力がある物である。

 さて、この試作品の磁器は初源伊万里と呼ばれ、初期伊万里とは一線を画しているが、この存在こそ、陶器から磁器に移行するグラデーションの中の一点と言えるのである。私は、この初源伊万里を追い求めて久しいが、最近になって、初源伊万里が焼かれた窯の大本である唐津の方に興味が移行している。それらは平戸系と呼ばれ、高台に土見せがなく、総釉なのが特徴だ。また、主観になるが、どことなく李朝の焼き物を匂わせ、半島の作陶家の手による事が汲(く)み取れるのである。写真の一点は、傷気こそ少ないが、焼きが甘く、カセがあり欠点だらけの盃だ。しかし、何カ月か使い込んでいるうちに、僅(わず)かだが生気が戻ってきた。

無地唐津碗形盃の高台 初源伊万里盃の高台

 それにしても唐津という焼き物は奥が深い。長年かかっても味わい尽くせない。また、今回のように、その後の産物である伊万里から遡(さかのぼ)る事で、また違った一面を見せてくれる多様性があり、これをフィールドの広さと言うのだろうか。そう考えながら、今日もカセた盃を大切に撫(な)でている。

かつみ・みつお 1958年、東京・新橋で古美術商を営む家に生まれる。10代から西洋骨董(こっとう)に目覚め、大学卒業後、10年間、西洋骨董店で修業。その後、古美術「自在屋」4代目を継承。東京・渋谷区の自宅に店を構える。著書に『骨董自在ナリ』(筑摩書房)など多数。